私の「ありがとう実践」

やってみよう

 以前、一連のスピリチュアル記事を書き連ねたことがありました。
それに関する本を読み漁り、
「ありのままの自分」だとか、
「宇宙とつながる」だとか、
「ワンネス」だとか、
ハイヤーセルフ」
「解決しようとしない」…そんな言葉だけは仕入れて、ああでもないこうでもないと考えたものです。
その考えるという行為が、まるっと「自我」のなせるものなわけで、自我から離れるとか、高次のものと繋がるなんてことは私には難しいと感じ、そこから離れてゆきました。
kyokoippoppo.hatenablog.com

だからって、きっぱり足を洗ったわけではないのですよ。
スピリチュアルの世界や、その体験を語る方々の話に対しての興味は持続しているのです。

 小林正観という方、ご存知でしょうか?
私にとっては、名前だけは聞いたことがあったかも・・・というくらいのよく知らない方でした。
既に亡くなられています。
ご自分を唯物論者であると明言した上で、神や宇宙、人々の辿る運命を研究された人のようです。

小林氏の提唱するものに
「ありがとう」を唱えるというものがあります。

「ありがとう」が奇跡を起こす!みたいな言説は今までも見聞きしていました。
斎藤一人氏も同様のことを話しておられます。
過去、私の耳に入ったものの、そのまま抜けていった情報だったと言えましょう。


が、最近それを実践なさった方々の報告例にいくつか触れましてね、私の気持ちに火が着きました。
「私もやってみよう!」
と思ったのです。

やってみなけりゃ分からない!
それが大きな理由です。
やる気にさせた理由は他にもあります。

やり方が簡単であること。
声に出す出さないは自分で選択できますし、お金がかからない。
更には、心を込める必要が無いというのです。
心のあり様までどうこうして取り組むとなるとそりゃ大変なことですが、それは無し。
唱えておけば良いというのですから実践のハードルは低い。

ただし、たくさんたくさん言わなければなりません。
これも、一日数時間かけて数万回を唱えきった方あり、
1日千回あたりを続けた方あり、
カウンターで数える方、正の字を残しつつ数えた方、
カウントせずやれる範囲で続けた方、と様々でした。

得られた体験も様々でした。
奇跡と読んで良いような体験に恵まれた方もおられました。
途中涙が滝のように溢れる体験をなさる方が多いようです。
私が知った限りでは一攫千金のような体験は無かったという報告が何点かあり、
私、それが良いなあと思ったのですよ。
この実践の目的、また結果は
「一攫千金」という種類のものではないのです。

この実践の果実は、日常に対して心からの感謝を感じるようになることなのです。
既に自分は満たされていると知り、訪れるできごとを、感謝の念で受け取れるようになれるのです。
一攫千金に執着しないあり様なのです。
私が様々な情報を追いかけ、
本を読み辿り着こうとしても、できないと諦めた境地。
ほほう、このような別ルートがあったか!
という思い。

うれしく受け取る

 で、やり始めた。
私はもうカウントもアバウト。
洗濯物干しながら、歩きながら、野菜を刻みながら、朝の隙間時間に、夜寝付くまで、夜途中で起きてしまった時間に。
職務の間でも。
一日1000回は可能です。

以前始めて、今や立ち消えになってしまった瞑想タイム。
それを「ありがとうタイム」に変更して行うことにしました。


実践初日、勤務を終えて外にでたら西の空にこんな雲がみえました。

強風に煽られ刷毛ではいたように上に向かう黒雲。
その背後にある太陽がその上の白い雲に差しており、わずかながらも彩雲のように色づいておりました。
この写真ではわかりにくいですね。
それ程ささやかな彩雲。
私はそれを嬉しく受け取りました。

いやいや、これって「ありがとう」言わなくても見えたものでしょ!
と指摘されればその通り。
ウフフ・・・でもね、私は、翻弄される黒雲の背後に太陽があることを喜ぶ心境でそれを見たということです。
かすかな虹色に「やってみなされ〜」
というメッセージを感じたということなのです。

つまり、物事を受け取る気持ちなのだよ!
ということね。

そうは言っても、心配事に接しては、オロオロとうろたえる私のあり様はきっとそう簡単には変わらないことでしょう。
まとまったお金を手にする期待を胸に、年金支給日には一枚のミニロト宝くじを買うことでしょう。
そんな私のまま、「ありがとう実践」続けてみましょう。

そしてこんなことも私を喜ばせました。
ピアノ連弾演奏を披露したYou Tube動画。


www.youtube.com
長男H編曲の楽譜を使って演奏されました。
ありがたいね。

この本も読んでみたいです。
『大地が喜ぶ「ありがとう」の奇跡』