図書館へ
早くも2月の半ばとなりました。気温の高い日が続いています。
スキー学習の助っ人になるべくスキー板をゲレンデの保管庫に運び込んでおりましたが、結局当日はスタッフに恵まれ、出番はなく終了しました。
そのため午前中、板を回収するために車を出しました。
ついでに、ガソリンのセルフ給油も済ませました。レギュラーの価格がリットル170円という高値。
さらには米10キロを買い、食材も少々。所用が済んだので最終目的地、町の図書館へと向かいました。
現在手元にあるのはこれら。
『書くことの不純』は先週借りていたもので、現在読み進めているところ。
以前記事にした『極夜行』の著者、角幡唯介氏によるものです。
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『魔女のひきだし』は、ご自由にお持ち帰り下さいコーナーにあった1冊です。
除籍された古本がロビーにたくさん置かれていて、時々掘り出しものが目に入り持ち帰ってくるのです。
カウンターにて、
『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』をリクエストし、
借りた本たちを手に、まぶしい外へと出たそのとき、青空に嬉しいものを見つけました。
数羽の白鳥です。
例年にない暖かさに誘われてか、先発隊の白鳥たちが戻ってきたのです。
冬の寒さは、まだしばらくはぶり返すことでしょうが、「春の使者」は北国にもいよいよ姿を見せ始めたのです。
おろかもの
帰宅後、『魔女のひきだし』を一気に読み終えました。
魔女にまつわるお話が綴られたエッセイ集。
角野栄子氏は言わずと知れた『魔女の宅急便』の作者ですね。
『魔女のひきだし』には、魔女にまつわるお話が18話収められています。
その中のひとつ「おろかものたち」について触れたいと思います。
ドイツの黒い森地方で行われる祭りについての文章です。
その祭り、バード・ヴァルゼーの前夜祭には市長が町の鍵を、「おろかもの(カーレン)」に渡すという儀式があるのです。
祭りの間だけは誰でも町への出入りが許される・・・・それを表す儀式だとのこと。
祭りの日は、「おろかもの」に扮した人々が様々な仮装をして現れます。
長いむちをふりまわし、ヒュンヒュンと音をたてる。鈴をいっぱいつけた肩から胸へと交差してかけられたベルトが、足をふみならすとシャンシャンと軽快に鳴る。いずれも春を呼び込む音だという。
この異形のものたちは何者なのだろう。
角野氏はこのように問います。
暖かい春を運んできたり、秋の豊かな実りをもたらすものも、「人の力」をはるかに越えた彼らなのでは?
と書いています。
その力が反対に働けば、大変な災害になるものの、人はそれを退け、しめ出し続けるわけにはいかない。
季節の変わり目に、「おろかもの(ナーレン)」に鍵を渡し町に受け入れ、共に楽しむのではないだろうか?
彼女はそのように書いています。
さらに、「おろかもの(ナーレン)」の中には魔女も含まれているのだろうと続けています。
マクベスに現れる魔女のせりふに、
「きれいはきたない、きたないはきれい」というものがあるそうです。
きれいなものは人の喜びなのだ。そしてきたないものは、きれいを支えている。それが命あるものの生きている世界なのだ。
白鳥を見たその日に手に入れた本。
そしてその中のエッセイ。
春の気配を感じた良き日曜日でした。
そしてこの本は『日本人は何故キツネにだまされなくなったのか』
にも通じるように感じています。