さらば旧校舎

黄緑色の手すり

 私が長らくそこで働き、奮闘したY小学校。
気の遠くなるような、一つ一つの作業行程を経て、いよいよ校舎そのものの解体が始まりました。
 
 自宅前の道をまっすぐ進んだところにその校舎は建っており、数日前には北側の壁が全て取り払われていました。
がらんどうの内部に黄緑色の階段手すりが見えました。
感慨深くその場所を見つめた私。
二年前、特別支援学級に在籍するお子さんとそこに佇み、多くの時間をそこで共に過ごしました。
とにかく学校に登校してくれば良い、人と交わることを覚えて、日常のリズムが整えば良し!
それが彼の入学当初学校が必要と定めた目標でしたから、私もそれに従う姿勢でその子に添いました。
試行錯誤の日々でした。

彼にとっての楽しみな時間、他児童との遊びの時間であるとか給食の時間を、いくらでも待っていようとするお子さんでした。
私はその時間、文字の一つでも覚えて欲しかったのですが、勉強など大嫌い!
ただただ彼はお楽しみの時間を待つのです。
時には空腹という生理的な苦痛に腹を立て、イライラとしながら。

強制力を行使することもできず、私も共に待つのです。
二階の緑の手すりによりかかって。
彼の隣で時計の針を共に眺めるのが私の任務となりました。

昨年4月、彼と過ごした濃密な時間をこのように振り返っております。
https://kyokoippoppo.hatenablog.com/entry/2023/04/08/083117

それは、昨年度の1年間、その子の手を引き校舎を歩き回った私の時間です。
ごっこに興じ、ジャングルジムを渡り、ブランコに揺られた時間です。
数を唱え、一つ一つの字を教えた時間。
せっかく用意した教材を破られ落胆し、机に向かわぬ彼に腹を立てた時間なのです。

(彼は二年生進級後転校しております。)

解体

 そんな事を思い出しながら、解体が進む校舎横を通り、現職場へ。


その北窓からは、工事の様子がよく見えました。

なんたって境界線に並んでいた大きな白樺が全てなぎ倒されてしまいましたからね。
kyokoippoppo.hatenablog.com
重機が、がらがらとコンクリートを割り、見るたびに残る校舎は小さくなっていき、




本日、23日午後には全てが瓦礫と化しました。


造成中のエリア

 さてさて、解体が進められる敷地の隣、現職場であるY学園の片隅にて造成中のものがあります。
ささやかなささやかな造成現場。
改めてその写真を眺めて、そのささやかぶりに自分でびっくりしております。

これは、kyokoによる開墾地。
我が家の庭に増殖した水仙ムスカリの球根でも植えてみようと、勝手な思いのもと始めたものです。
校内外を整備する、校務補のSさんにはこの試みを打ち明けておきました。
除草作業の際、草の禿げた一画に気づいていた彼は言いました。
「でも…」
「石しかないよ。」

と。
そうなのです。
掘り返しても石ばかり。
石石石。
カラカラに乾いた土と石。
取っても取っても出てくる石。

それを、掘り返しては取り除き、そこにいくらか養分のある土を入れました。
町の遊歩道の脇に、雑草や枯れ葉を積んでおくエリアがあり、そこでできた堆肥は自由に利用できるのです。
そこへ出向いてスコップでそれをすくい取り、米袋に入れて2回ほど造成エリアに鋤き込みました。

いくつかの球根を埋めました。
さあてさて!来春それは芽吹き花を付けるでしょうか?

もっともっと精力的に動けば良いのでしょうが、職場にて自由になる時間は限られます。
そして、実は・・・この計画推進に対しての熱意が萎え始めています。
kyokoによる小さな小さな造園作業…その後の進捗はどうなるかしらね!