『椅子がこわい』・・・おもしろい!!!①

腰痛

 まず始めにお断りしておきましょう。
これからしばらくは、ネット上で見つけた泉谷閑示氏のメッセージについて探っていこうと思います。
kyokoippoppo.hatenablog.com
まずはメッセージの大きな柱である身体と心はつながっているに関連して、前回は自分のワークショップ体験を書きました。

 今回はこのことに関連する本『椅子がこわい』(夏樹静子)について綴ってゆこうと思います。
「私の腰痛放浪記」とサブタイトルがついたこの本は、夏樹氏の体験が綴られたノンフィクションです。とってもおもしろかった。

(私は1997年発行の文藝春秋社のものを読みました。)

1995年4月から~5月に綴られたものが、第一章から第四章で、残りの章は改めて1997年3月より執筆されています。
第一章の書き出しは次のようなものです。

この記録は、もしかしたら私の遺書になるかもしれないし、あるいはまた、私自身に回生のきっかけを与えてくれるかもわからない。

腰痛で遺書を持ち出すかい?と思われるかもしれませんが、現実はまさにそのようでした。

私は、1993年1月から約3年間、原因不明の激しい腰痛と、それに伴う奇怪とさえ感じられるほどの異様な症状や障害に悩まされた。考えられる限りの治療─最後に、どうしても最後まで信じられなかった唯一の正しい治療法に辿りつくまで─を試みたが、何ひとつ効なく、症状はジリジリと不気味に増悪した。私は心身共に苦しみ抜き、疲れ果て、不治の恐怖に脅かされて、時には死を頭に浮かべた。
95年春、発症後2年余りした頃、私はもうほとんど仕事もできなくなって、自分はこの得体の知れぬ病気によって死ぬか、自殺するか、それとも余病を併発して死ぬ、(毎日ひどいストレスにさらされているわけなので、その可能性が最も高いと思った)以外にないと考え始めていたから、せめて自分の体験をありのまま記録しておこうと心に決めた。

 (漢数字はアラビア数字に変換して記述しました。)    『椅子がこわい』前書きより

 本のページの三分の二が、悪戦苦闘するも治らない過程で占められており、夏樹氏が最後の治療の場となる病院のベッドに横になる場面は、ようやく第7章で訪れます。
その時にも、夏樹氏はこの治療に確たる信用を寄せていたわけではありませんでした。
これまで、あまりに多くの医療や治療を試したものの、結局どれも夏樹氏の腰の痛みを取ってはくれませんでした。
「また今度も同じだろう。」としか思えない回路ができあがってあたのです。

あらゆる治療法

本書の三分の二は、治療を試しても治らないという体験談が占めており、これをしっかり読者に読ませるのですからさすがにプロの文章はすこいものです。わたしはそこにも感服するのです。
さてその数々・・・・ご紹介しましょう。

⚫まずはホームドクター夏樹氏自身の心の執着によるものと指摘。
⚫定番でしょう・・・整形外科病変は認められず。職業病。再度受診時にはマッスル・ウィークネス(筋肉弱化)と指摘される。
⚫灸頭鍼
⚫婦人科
⚫高塚氏による手かざし治療

⚫福岡市の整形外科運動不足 筋肉弱化 預金残高の不足(筋肉の預金残高が減ってしまった)
(夏樹氏はこの説に強く納得し、腰の負担を感じにくい水泳を始め、熱心にプールに通うようになります。)
⚫気功
⚫足裏マッサージ
⚫腰部MSI→異常無し
⚫中国鍼直後劇的に良くなったがその後痛みが戻る。自律神経失調を疑うようなる。
⚫野菜スープを飲む
⚫精神科「それは凝りですよ」と言われ体操を進められる。
だか、そこで処方された薬は鬱病のものだった。
⚫サウナ、テープ、温熱利用法など。
⚫「冷え」の可能性を指摘されたので、室内に絨毯をしき厚いタイツをはいた。
⚫腰湯
⚫精神科の医師に「疾病逃避」の可能性を指摘される筋弛緩剤とアリナミンの注射
⚫仕事を忘れ快適に過ごすための入院
⚫電気療法
抗うつ剤を服用痛みと倦怠感が消える。(上記の電気療法と同じ時期なのでどちらの効果によるものかはわからないとしながらも、痛みのない安堵感にひたる。
しばし平穏を保つが快癒を信じて行った旅行先で再発。)
慌てて、同じ治療に戻るもその後痛みが去ることはなくなる。
カイロプラクティック→尾てい骨が折れ曲がって仙腸関節が開いていると指摘される。
鍼、ベルト、肛門からの尾てい骨調整
⚫堀江治療院腰の異物感を指摘される。
骨シンチグラフによって異物を確かめるも異常無し。
堀江先生はさらに夏樹氏に霊が憑くていることも指摘する。
(でまかせはない話だったので、供養をするもそもそも腰とは関係がなく、徳を積んだという結果のみ)
⚫祈祷
⚫眼科(眼鏡の調整で腰が治ったという曽野綾子氏のエッセイの一部を思いだし受診。)眼鏡の狂いはなかった。
⚫精神神経科→次々と精神安定剤が処方されるも治らず

産みの苦しみ

 すごいです。「まあ、これだけの治療を試せたのはお金もあったのね」などと即座に思う私です。
しかし、どれだけお金を使っても治らなかったということですよね。
四章の最後は河合隼雄氏とのやりとりについて書かれています。
河合氏は言います。

「そう、人間は大きな変革をする時に、産みの苦しみのようなものをあじわうあことがあるんですよ。それがクリエイティブな仕事をしている人だと、ジャンルを変えたりする場合などにね。」

そして夏樹氏はこの章を次のようにに締めくくっております。

ただ、私は、河合先生が、「大きな世界がひらけてきる」といわれたことばを信じたかった。産みの苦しみの果てに、どんな世界がひらけるとしてもー。

思いがけず、長いブログになりそうです。
二つに分けて書くことにします。
          ・・・・・・・・・続く