時代と場所によせる共感

夢の中で

 上菅田町の「源氏が丘」から、向かい合う「富士見ヶ丘」をながめる私。
「ああ、私の家のあるところ。」
と一瞬思うも、
「ああ、私の家は町田に引っ越したのだった。」
と思い出す。
そして、我が家にたどり着くためには西谷駅から、大和駅まで相鉄線にのり、そこから小田急線に乗り換え・・・などと路線図を頭に描くや、
いやいや、親はそこから千葉に越したぞ!
となれば、上菅田からどうやって千葉まで?
と途方に暮れる。
夢がそこで、途絶えることもあれば、
ああ、私北海道で暮らしていたんだ!
までたどり着くこともあります。
そう、私は川崎生まれですが、物心ついてから18歳までを横浜で過ごしました。

 北海道に嫁いでから38年にもなりますが、横浜界隈や故郷ともいえる上菅田は、時々夢にでてきます。

・・・今日のブログは、自分のノスタルジーに浸るもの。
ご了承下さり、その上で読み進めていただけましたらうれしいです。

kyokoippoppo.hatenablog.com
このブログはタイトルの通り母のことを綴っておりますが、少女だった私が見た横浜についても書かれております。
その部分を下にコピーし、貼り付けました。

 私は川崎で産まれましたが、物心つく頃には、横浜におり、そこで幼少期から18歳までを過ごしました。
それを言うと、地元の方に、「まあ!都会から!」
と言われますが、住まいのあった場所は横浜駅(港)より内陸部で、周りはほのぼのした風景でした。
住宅地の周りには田んぼと畑と雑木林が点在し、田んぼにはレンゲが咲き、畑周辺には肥やしの匂いが漂っていました。
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 横浜駅は身近な駅でした。
 東口と西口を繋ぐ連絡道がありまして、そこは薄暗いトンネルのようでした。その入口に足を踏み入れると、ハーモニカのもの悲しい音色が聞こえてきました。復員した傷夷兵が、ハーモニカを吹いているのです。手足を失くした者は四つん這いになり、じっと動かず頭を下げておりました。

 東口は開発途上で、商業施設はほとんど無かったと記憶しています。
これが幼少期の記憶に残る横浜の風景です。
(写真は駅西口のものでしょう。1964年開催のオリンピックの旗が掲げられていますね。)

 


kyokoippoppo.hatenablog.com

これは夢に出てきた「横浜」。

もう、夢の中でしか訪れることがない「横浜」。
そう、私は北海道の広い空の下で暮らしているのです。
ブログを綴ることを楽しみとして暮らしているのです。

ああ!!相鉄線!!

 ブログを綴ることを楽しみにしている私。
いただいたスターに喜ぶ私。
読んで下さり、スターを残して下さるありがたい方々。
さて、前回投じた記事についたスターを確認、スクロールしておりましたら、「はじめまして!」の方を発見。
これも、うれしい出来事ですよね。
さっそくその方のブログを訪問しました。
出会った記事はこちら。

hachi555.hatenadiary.jp

 ビックリ!!なんと相鉄線を綴ったブログではありませんか??
クリック一つで、自分が相鉄線界隈に飛び出したように感じました。

最も利用した駅「西谷」(にしや)を、検索ワードにして飛んでみましたら・・・・ありました。ありました。
hachi555.hatenadiary.jp
し・か・し・・・
懐かしい!!   のか・・・??
懐かしい!!
地名は・・。そう・・地名は。
相鉄線」も「西谷」も「二俣川」も・・

しかし写真は、私の記憶との隔たりが大きすぎて・・。

当たり前ではあるけれど、懐かしさを誘う欠片すら残っていないのでした。
はるか昔・・・
田舎の親戚から届いた餅や干し柿の入った荷物の終着は、「西谷駅」でした。
幼少期、母と一緒に歩いて行き、駅で木箱を受け取り、それを持って帰ってきたのでした。

星川の「しょんべんプール」という異名を持つプールに通ったのが小学生時代。
改札では、駅員さんが切符にパンチを入れてくれるのです。

高校へ行くのもこの駅から。
上り電車に乗る友人が多数いた中、私が通ったのは辺境に建った新設校。
下り電車で三ツ境まで。
定期をかざして、西谷駅の改札を毎日毎日利用しました。

その西谷駅・・・
今や変貌著しい駅だそうで・・。
jafmate.jp

ああ!!
地味だった「西谷」がこんなに脚光を浴びている!!
新宿とつながっている!!
とはいえ私には、そんなこと何の関係もありはしない。

が、それでもなお、私はこの出会いがうれしかったのです。
記憶に刻印された駅名を目にするだけで、うれしかったのです。

時代と場所によせる共感

 
 この度のブログのタイトルは『時代と場所によせる共感』です。
たとえば・・・
saitama-dame.hatenablog.com
jh0iamさんのこの記事・・。
自分が生きてきた時代の空気感までが、届けられるように感じるではありませんか!!
そして、
uwisizenさんが寄せて下さったこのコメント。

2020-01-30・ブログ開始2周年の節目に書いた記事に寄せられたものです。

id:uwisizen

きょうこさん。

3年近く「孤独のブログ」。
そのブログが終了するので、やめようかと迷ったあげく、
「もう一度、チャレンジ」と思って始めたのが「はてなブログ」。
本当に、いろんな方につながることが出来ました。
まさか、町田駅をご存知の方と会えるとは、感激です。
しかも絶対に住まないであろう北海道の方に。


私の返信が以下の通り。

きょうこ (id:kyokoippoppo)

uwisizenさん、コメントありがとうございます。
そうなのです。
普通に暮らしていれば、会う可能性も、知り合う可能性もないであろう人たちと繋がり、交流を持てたのはブログのおかげです。
古き町田界隈を知っているということで、親近感を伴い分かち合えるのもブログのおかげ。
末永く楽しんでゆきたいです。
これからもよろしくお願いいたします。


この時代のこの場所を知っている者同士ですね!!という強い共感と、しみじみとした喜びのやりとりとなりました。

それぞれの場所から、思い思いに発信する糸が、ところどころで交差し、出会い、感応し合う。
スターが残され、コメントがやりとりされる。
そのまま続く関係もあれば、一瞬の火花のように交わされる軽やかな関係もある。

ブログのこのようなつながりがとても楽しいと感じ、この度の記事といたしました。

 * * *

  

※過去記事をスクロールしていて気づいたのですが、
 貼り付けたはずの写真が所々消えておりました。
 なぜ????
 先日「デバイスの空き容量が増やせます。」の忠告にしたがって、スマホでその操作をしたからか??
 少しずつ手直しする必要がありそうです。
 まだまだ色々わからないワタクシです。