生温かい風と奇妙な空いろ
昨日9月最終日・・児童と共に4日間の学期間休業となる私!!
緩んだ気持ちで職場を後にしました。
生温かい風が吹いていました。
夕餉の時間(夫のアルバイトが終わって、最近早いの)・・・目を向けた窓の外が奇妙な色に染まっていました。
食べかけご飯もそのままに、外へ飛び出した私!!スマホ持ってね!!
一面の雲の裏側を、西へ傾きつつある太陽の光がくまなく照らし、ベール越しのような不思議な色となり地上に注いでおりました。
一ヶ所あいた隙間から光がも漏れだしています。
東に目を転じれば、雲の切れ目の向こうには、やけに青々とした空が見えました。
旅の続き・・で???何がどう分かった????
「ティール時代」へ向けての時代の変容・・・・そもそも分かる人には分かる話で、私のように、本を読んでは解釈しようと色々こねくり回す人には所詮分からない世界なのかもしれません。
そんな気分になりながらも、・・そこに近づきたい、分かろうとしたい私です。
なので・・今日も・・・。
一連の記事に飽き飽きしている方もいらっしゃるかと思いながらも・・続けましょう。
● 天外氏は「戦う経営」の限界や、そこから派生する負のものを知るようになる。
● チクセント・ミハイ氏が提唱するフロー理論が、初期ソニーの経営の姿と重なると感じる。
● 天外塾において「フロー経営」を伝える活動を進める。
● フロー経営のありかたは「ティール組織」の目指すことろと重なる。
● 経営者のみならず、「人育て」という観点から次世代の教育論として世に出されたのが『ティール時代の子育ての秘密』である。
前回はこのようなことを書きました。
経営のあり方としてのティール組織が、どう子育てとつながるのか?
そのあたりを何とか整理したくて周辺をうろうろしていたわけです。
本日もまだその辺りを歩いております。
「ティール組織」のおさらいです。
ティール組織という概念は、2014年にフレデリック・ラルーの著書「Reinventing Organizations」で紹介されました。
旧来型組織とは一線を画する組織のあり方として提示されたもので、それにより組織や人材に革新的変化を起こすことが期待されています。
組織内の階層的な上下関係やルール、定期的なミーティング、売上目標や予算などといった、当たり前のように行われている組織構造や慣例を撤廃し、意思決定に関する権限や責任を管理職から個々の従業員に譲渡するなどのあり方です。
次男からのライン
私がこの夏、ほわっとした印象のみで、「ティール」について綴ったとき、それを読んだ次男がラインをくれました。
「まさか母さんのブログでティール組織が出てくると思わなくて、ついラインした」・・・とのこと。
次男は、様々な曲折を経て今は東京の会社で働いております。
仕事内容は???
ユーザーのモーメントをとらえ、ユーザーが「今」欲しているコンテンツを、欲しているその瞬間に最適なチャネルで繰り返し届けることができるカスタマーエンゲージメントプラットフォームです。
次男の職場のウェブページの一部ですが・・・・私には理解不能な言葉たちです。
そして次男のラインの一部。
次男に貼り付けの了解を伺ったところ、快諾を得たものの、
「本来のティールの解釈とピタリ重ならないかもしれないからね!!」とのこと。
次男が受け止めたティール組織の有り様であるとしてお読み下さいませ。
私には分かりやすく納得できるものでした。
天外氏の書籍の内容は、(本書に限らず他の書物も)スピリチュアルな印象を受けますが、
彼はソニーで活躍された技術者であり、成果主義を批判する立場に立つ経営者なのです。
ですから彼が語る「教育」は、より時代にフィットし、未来に向けて活躍できる「人材育成」である・・・と考えて良いと思います。
土井 利忠(どい としただ、1942年2月2日 - )は、兵庫県出身の技術者・経営者。「ホロトロピック・ネットワーク」代表。ペンネームは天外 伺朗(てんげ しろう)。
Wikipediaより
次男が綴った文章・・
自分の中で決めつけに似た、そう思っている、そう思いたい、自分はこうであるという強い主張や意見ってのは、裏を返すと他人の意見や価値観の違いを認めないと同義で、これが起きる原因が発達段階の未熟さって言われてたりするんだよね。
権限は持つものの発達段階が未熟な大人によって成長や可能性が阻害されてしまう・・・
こういうことが起きており、そこからコーチングの必要性が高まっていると文章は続きます。
ほうほうなるほど・・。
おお!!
チクセント・ミハイ氏のフロー理論の入り口がカール・ユングの講演会だったこと
は,前回の記事で紹介しております。
どこそこ会社の社長であるとか、重役であるとか、どれだけのお金を稼ぐという事実がそのままその方の発達段階の成熟を示すものではないのですね。
今の時代にふさわしい人間の発達や人の姿を追求すると・・・・もう今までの価値観は通用しない。
そういうことのようです。
息子の文章をひっくり返してみましょう。
自分の中の決めつけに似た、そう思っている、そう思いたい、自分はこうであるという強い主張や意見を手放せること。
(happy-ok3さんからいただいたコメントを読み、確かに…!と思ったのでこの部分を訂正します。原文は残したままにしておきましょう。)
「強い主張や意見に、むやみに固執しないこと。」
このように訂正いたします。
何でも簡単に手放すわけにはゆきませんものね。手放せないものを持つことは大切なことでもありますものね。
ある程度の緩みを持つ大切さを表現したかったのです。
happyさん、ありがとうございます。
続けて、
他人の意見や価値観の違いを認められること。
となります。
これは『ティール時代の~』の巻末資料
4. むやみに「いい人」、「強い人」、「立派な社会人」のふりをしない。装わない。格 好つけない。
5. 自分の弱さや欠点をさらすことに抵抗感がない。
6. むやみに人を批判しない。
10. むやみに「いい・悪い」の判断をしない。
14. むやみに「正・誤」を判別しない。
16. むやみに「コントロールしよう」とはしない。
などと重なる姿ですね。
少しずつ腑に落ちてきました。
病弱っ子甘えっ子だった次男からこのようなラインを受け取る日が来るなんて、この頃は思いも寄らなかったわ!!