ティールはどこに??
引き続き、今までの一連の記事の先を綴る気持ちではおります。
ただ、
「ティールに向けて」という意識はしばらく引っ込めておくことにします。
このタイトルですと、どうも「これ」に縛られ過ぎてしまう。
日常を綴ったり、我が子たちのことを綴ったり、心にとまったことを綴ったりする中で、「ティール時代」というものを感じ取ろうとしてみる。
そんな風にしてみるのはどうかな?
アンテナは立てておいて、何か感度があったらそれを書き残すのです。
ティールに向けて
という一直線の矢印を改めて、
ティールどこにあるかしら?
というくらいの柔らかさで。
夏に知った「ティール時代」という言葉。
それを追いかける記事を綴ることを「旅」と称した私です。
でも、前回の記事で私は、
それに向けて歩いたとはいえず、切り株に座って本を広げていただけだったのでは??
と書きました。
そして、ちょいと止まると…。
はてさて・・・・となると、
座っていたあと立ち止まったわけで、どこが旅だったものだか?
って思い苦笑してしまいます。
でも、
せっかく知った「ティール時代」という新しい扉も、
ここまで本やらネットやらで調べた周辺の知識も、私にとって大切なものであることに変わりはありません。
記事に寄せられた皆さまからのコメントも貴重なものばかりでした。
周りを見渡せば・・・
夏、私が「ティール」という言葉を知り、関連の記事をアップした頃に、これに呼応して本書を読んで下さった方がおられます。
jidobungaku.hatenablog.com
「大人も読みたい、大人こそ読みたい、大人のための児童文学の話題」を提供してくださるmatushinoさんです。
彼女は、私に先んじてこの本を手に入れ、その感想を残しておられます。
表題になっている
子育て本は、もうこれ一冊でよいかも
という思いや、記事中の
もう新しい時代完全に始まっちゃってますよね。人の意識の変容が起こってる。
という感じ方に私はうなってしまいました。
私自身は、このような確信を語る域に達してはおりません。
matushinoさんの中にストレートに流れこんでいるこの本の内容が、私にはそっくり流れてきておりません。
私の中に、流れを阻害する何かがあるのかもしれません。
これは良い悪いの問題でなく、事実としてそのように感じるのです。
私がティール時代というものを理解したければ、自分のその部分を知ること…それに尽きるのではないかな?
だからこそゆっくりと、
歩きすぎないように、
急がないように、
嘘が混じらないように、
学んでゆきたいものです。
matushinoさんの記事の中でチロリと打ち明けられている
うちは子どもが荒れたので・・・という部分。
現在のmatushinoさんを形作ったのは、まちがいなく苦しかったに違いないこの体験なのでしょう。
そして彼女の苦しみは、もちろん当時のお子さんの壮絶な苦しみそのものであるわけで・・
「子ども」という存在は、全力でこれを表明し、対峙する親の有り様を変えてゆくものなのでしょう。
matushinoさんの記事からの引用です。
もうね、人間関係含め、ぜーんぶ世界作ってるのは自分なんですよね。
今まで心に響いた本は、どれも形は多少違えど、同じことを言ってました。もう、いい加減、認めよう。ぜんぶ、私なんだ、ってこと。
良いも悪いも、自分が世界を作ってるんだ、ってこと。
だから、未来は明るい。
未来は自分が作る・・そうなんだね!!
昨日は図書館へ寄り、しばらく離れていた物語を借りてきました。
「物語」からしばらく遠ざかっていましたからね・・・それを求める気持ちがむくむくわいてきちゃったのですよ。
うふふ・・・matushinoさんおすすめの作家さんマーガレット・マーヒーの本2冊(紹介されていたものがなかったので同じ作家さんの作品を・・)
学級の子どもたちにも手にとってもらえそうなので職場に持っていきましょう。
もう一冊はタイトルと挿絵に惹かれて引き抜きました。