『腰まで泥だらけ』♪・・中川五郎


 同じ職場で働く支援員さんは、私を含めて4名。
気持ちの良い人ばかりです。
さて、先日はバレンタインデーでしたね。
私は全く気にもせず、意識に昇るのは翌日の年金支給日の方、という心持ちで過ごしておりました。

が、しかし・・・私以外の3人はそれを意識していらっしゃったようです。
それぞれの方からプレゼントをいただきました。
お一人からは手作りのパウンドケーキ。
もうお一人は、わざわざ柚子の種を仕入れて作ったという手作り保湿剤。バレンタインだからとはおっしゃらなかったけれど、タイミングがその日だったので私はそう受け止めました。
そして、もうお一人はホットチョコなるドリンクを!!
私はもらいっぱなしだよ。
翌日さっそく、ホットミルクにチョコレートを溶かしていただきました。
がっちり糖分補給をして良き一日をスタートしたのでした。

『腰まで泥だらけ』

 それではそろそろ本題に入りましょうか。
今回紹介する歌は『腰まで泥だらけ』
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選曲はこちらの動画を手引きにしていまので、ここで紹介する曲は、そのままTAISEI・AKIBA氏の選曲によるものです。勝手にコラボしている状態ですね。
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むかしぼくが優秀な軍隊の 隊員だったとき 
月夜の晩にルイジアナで演習をした
隊長は ぼくらに 河を歩いて渡れと言った 
  ■ぼくらは 膝まで 泥まみれ
  ■だが 隊長は言った 進め

隊長危ない ひきかえそうと  軍曹が言った 
行くんだ軍曹 俺は前にここを渡ったぞ
ぬかるみだけど頑張って歩き続けろ
  ■ぼくらは 腰まで 泥まみれ
  ■だが 隊長は言った 進め

隊長こんな重装備では 誰も泳げません  
そんな弱気でどうするか 俺についてこい
わしらに必要なのは ちょっとした決心さ
  ■ぼくらは 首まで 泥まみれ
  ■だが 隊長は言った 進め

月が消え 溺れながらの叫びが聞こえて  
隊長のヘルメットが水に浮かんだ
みんな引き返そう と 軍曹が言った
  ■ぼくらは 泥沼から抜け出して
  ■隊長だけ 死んでった

裸になって水にもぐり死体を見つけた  
泥にまみれた隊長は きっと知らなかったのだ
前に渡ったときよりも ずっと深くなってたのを
  ■ぼくらは 泥沼から抜け出した
  ■進め と言われたが

これを聞いて何を思うかはあなたの自由だ 
あなたはこのまま静かに生き続けたいだろう
でも新聞読むたび よみがえるのはあの時の気持ち
  ■ぼくらは 腰まで 泥まみれ
  ■だが バカは叫ぶ 進め


  ぼくらは 腰まで 泥まみれ
  だが バカは叫ぶ 進め
  ぼくらは 腰まで 首まで
  やがてみんな 泥まみれ 
  だが バカは叫ぶ 進め!


 ホットチョコのとろけた茶色を見つめながら、男が沈んだ泥に思いを馳せた私でした。
この歌は、アメリカの反戦歌手ピート・シーガーの曲を中川五郎が日本語に訳して歌ったものです。

「渡れ!」と叫びながら泥の川を突き進んだ隊長が、ズブズブと沈み、溺れ死んでしまったというストーリーが歌われています。

♪It was back in nineteen forty-two♪
原曲『Waist Deep in the Big Muddy』の歌詞は1942年の出来事として歌い出されています。しかし、これに類似し、モデルとなったといわれる事故は、1956年に起きています。リボン・クリークという湿地帯での演習中に6人の兵士が溺れ、亡くなったそうです。

ピート・シーガーはこれを、
1942年の出来事として、隊長一人が川で溺れる物語に仕立て、1966年に発表しました。
時はベトナム戦争のさなかであり、戦争の深みへと進めていく大統領リンドン・ジョンソンの姿勢を象徴したものと受け止められました。

ベトナムの共産化を阻止する口実でアメリカは1965年から本格的に軍事介入して南ベトナム軍を支援、北爆を行い地上軍を投入、北ベトナム軍・南ベトナム解放戦線との戦闘を開始した。戦争は長期化したが、68年、解放戦線によるテト攻勢からアメリカ軍の後退が始まり、73年には撤退した。75年には南ベトナム政府の首都サイゴンが陥落し、北によるベトナム統一が行われ、完全に終結した。

世界史の窓のページhttps://www.y-history.net/appendix/wh1603-064.htmlより引用

日本でも・・・

 1965年(昭和40年)2月7日に開始されたアメリカ軍による北ベトナムへ攻撃(北爆)で一般市民の死者が増えたことがマスコミで報道されると、日本国内でも反戦運動が始まりました。
60年安保闘争で安保法案に抗議した鶴見俊輔・小林トミらによって市民グループ「声なき声の会」が作られ、それは後の「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」(ベ平連)となりました。
また当時の学生運動も、「ベトナム戦争反対」を掲げて活動を行いました。

1967年ピート・シーガーの日本公演でこの曲に接した中川五郎は、すぐに訳詞を作って日本語で歌い始め、日本語による『腰まで泥まみれ』が誕生しました。

 記事がボリューミーになりますので、(&気力追いつかず)中川五郎について、詳しくは書きません。
1949年大阪府生まれのフォークシンガー、訳詞家小説家としても知られています。
ボブ・ディランのすべての歌の歌詞を翻訳している方です・・・・・と伝えるにとどめておきましょう。


wired.jp
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対岸はあるのか???


 戦争・・・・これが正当化される理由など一つもありません。
それなのに戦争や紛争をやめる手立てを人間はまだ知りません。
「進め!!」
と一度でも号令をかけたら、引き返すことはできなくなるのです。
進んだ先に対岸はあるのでしょうか?
 
 最後に・・・・
この歌は過去のものではないと思わせる、ある方の文章に出会いました。
ameblo.jp

集団的自衛権」「改憲」「武器輸出」「原発再稼働」「特定秘密保護法」などなど、毎朝、新聞を読むたびに本当に少しずつなのかもしれませんが、歯車が一つずつ回っていっているそんな気持ちになってしまいます。
いったい僕たちは今どこまで泥につかってるんだろう。
流されることなく「自分」で考える、まだ取返しがつけばいいのだが・・・・

(大文字はkyokoによる)

ああ、そうか。
泥につかっているのは、私たちなのかもしれないのです。