銃を取れ…頭脳警察

シンクロニシティを感じた朝

 反戦歌の連載4回目となります。
TAISEI・AKIBA氏You Tube動画で取り上げた曲をそのまま紹介しております。
腰まで泥まみれ』の記事をアップしたのが17日の金曜日。
心から緩む夜。
そして迎えた気ままな土曜日の朝
テーブルに置き去りになっていた前日届いた新聞をパラパラとめくっていたところ、このような記事が目に入りました。
北海道新聞16日付の夕刊です。
数年前より夕刊が、翌朝の朝刊とまとめられて配達されるようになったため、読んだときには既に前々日の記事となっております。)


三里塚闘争…これを闘かっている人がまだおられるのか!

そんなことを思いながら新聞を閉じ、つぎにはスマホを取り上げて、
頭脳警察』を検索にかけました。
TAISEI氏が『腰まで泥まみれ』の次で取り上げているのが、このバンドの『銃を取れ』だったからです。
私の知識はほぼゼロ。
TAISEI氏の動画の中で初めてその名を知り、過激なムードを嗅ぎ取ったに過ぎませんでした。

銃を取れとな?
反戦歌というより闘争歌?

TAISEI氏は「プロテストソング」という言い方をしていました。
フォークではなく、ロックのジャンルであると語られていました。
今回の曲・・・・どういう記事にできるのやら?
という思いを抱きながらも、ひとまず検索だ!!!
スマホを手に取り「頭脳警察」と打ち込みました。

三億円強奪事件の祭、広く報道された犯人のモンタージュ写真がまず目に入りました。
この顔・・・・・
「ああ!見た!」
と思う世代もだんだん少なくなっていることでしょう。

頭脳警察のレコードジャケットにはこの写真が使われているのです。
結局迷宮入りとなったこの事件。
犯人を捕まえられない警察をまるでからかうかのような、彼らの意図を感じるわけです。

動画の中の一つ、とあるライブ映像を選び、再生してみました。



www.youtube.com
若者たちが、この曲に共振し、踊り、トランス状態の人も見受けられます。

さらにコメントのやり取りに目がいき、驚きを覚えたのです。

三里塚のLIVE?

その通りです。幻野祭というイベントで唯一テレビでも流せる貴重なVです。

新聞記事を閉じた直後のこと!
シンクロニシティを感じた私の気持ち分かって下さいますか?
これは三里塚で行われた祭りでのライブ映像だったのです。

幻野祭

幻野祭についても調べてみました。

日本幻野祭は、1971年8月14日から8月16日にかけて、日本の千葉県成田市天神峰で開催された野外音楽イベントである。

三里塚芝山連合空港反対同盟の青年行動隊有志らが、「成田空港建設阻止の闘争に明け暮れ、みんな祭りを忘れている」「音楽によって解放されたい」として、第二次代執行を目前にした新東京国際空港(現・成田国際空港)建設予定地(天神峰現地闘争本部周辺)で開催した。ロックバンドや前衛劇団のステージが繰り広げられ、三里塚闘争と無縁の若者らが全国から集った。

出場を乞われ、『頭脳警察』はここへやってきました。
ここには、闘争に関心のない若者も多く集まり、マスターベーション的な騒ぎを繰り広げました。
全裸で踊る、薬物を使用する、大きな音声によって住民の迷惑にもなり、当事者である農民たちに受け入れられたとは言い難いイベントだったようです。

『銃をとって叫べ』歌詞
銃をとって叫べ
誰に俺たちが裁けるのかと
銃をとって叫べ
誰が大地を汚したのかと

無知な奴らの無知な笑いが
うそでかためられたこの国に響き続ける
銃をとって叫べ
子供だましの伝説にゃ
もうごまかされやしない
あいつらには 何もわからない
顔もみたくない
人の為に死ぬなんて真平ごめんさ
だから銃をとれ
彼の手はもう引き金にかかったんだから
だから銃をとれ
だから銃をとれ
だから銃をとれ

視聴したYouTube動画では、まさしく叫ぶように歌われていました。
祭りに参加した若者たちは、熱狂へと導かれていました。

若者たちの過激な行動で溢れかえっていた当時の社会・・・・これは時代が生んだ曲といえましょう。
権力に歯向かうというむき出しのメッセージを若者は欲しがったし、時の革新政党や過激な新左翼の支持も強かったのだろうと思います。

Wikipediaによる「頭脳警察」の説明は以下の通り。

頭脳警察は、日本のロックバンド。メンバーは、パンタ(中村治雄)とトシ(石塚俊明)。
頭脳警察は、新左翼全共闘全学連などによる政治運動が激化した時期の最後、1972年にレコードデビューした。タブーに挑戦する政治的に過激な歌詞とラディカルなライブパフォーマンスによって、発禁や放送禁止、コンサート会場への出入り禁止などのエピソードを持つ。


三里塚闘争については過去のブログでチロリと書いております。

kyokoippoppo.hatenablog.com
ここから一部抜粋します。

 千葉県三里塚では、1966年に、にわかに浮上した成田空港建設計画に対し、農民たちが反対の行動を起しました。
これには多くの子どもたちも行動を共にし話題になったようです。

子どもを含む農民が政府を相手取って闘うわけですから、そこには、やはり運動を引っ張る指導者が必要でした。革新政党がそれを担うことになり、政治的な闘争になってゆかざるを得ませんでした。指導者側からしても、闘う場や、旗印として三里塚を利用できるという相互関係が成り立ち、両者は抜き差しならない関係になっていったようです。さらに過激な党派も加わり死傷者をうむほどの闘争になっていったのです。

 現実的な生活を考えれば、条件付き賛成に転向したい住民も出始めるのは当然で、運動離脱に際しての怖れや仲間の本心がみえないことによる疑心暗鬼が農民たちを苦しめたことは、以前書いた三池炭鉱の闘争と同じ構図のように思えます。

今も・・・・

熱狂的だった闘争もいつの間にか沈火し、かつて行動に熱意を注いだ人々も、多くは社会の中に組み込まれ、生活の糧を得る暮らしになっていったのではないでしょうか。

私の中では「三里塚闘争」はとっくに過去のものになったのだろうと思い込んでいました。

そう思うということ自体がもう、私の諦めなのですよね。
こういう活動は必ず鎮圧されるし、国のやることは阻止できないし、そのうち過去のものになる・・・。
事実そうなのだろうけど、それ以前に私がそう思い込んでいるのです。

しかし、新聞の記事を読み、この活動を今も続けていた人がいることを知りました。
とはいえ・・・・・やぐらは取り払われたのです。

頭脳警察』なるバンドもとっくに姿を消してるかと思いきや・・。

いまだファンを離さず、活動を続けていることを知りました。

www.habozou.com

日本のロックのはじめのはじめ
今では、考えられないほどの過激な時代に過激なロックが登場した。
思想などはとりあえず置いておいて、聴いてみてください。
最近のロックと称されるものとは違う。

自分は、友人が教えてくれなかったらおそらく聴くことはなかっただろう。
そして、このブログを始めなかったら再度聴くこともなかったかも知れない。

なんだろう? この癖になる音と言葉・・・

2023年2月3日のブログ記事です。
このようなファンがいらっしゃるのです。
私には馴染めそうにない『銃を取れ』でしたが、過激でない作品もお持ちのようでよ。


あーらやだ!!
パーカーまで売ってるわ!
三億円強奪事件の犯人モンタージュの図柄で・・・。


一つの記事を更新する度に、知らないことに出会う。

とても面白い!