公開練習

 今回もY校のYネタです。
正確にはそれに関わる私の話題となります。

が・・・・本題に入るその前にお見せしたいものがあるのです!
ゴールデンウイーク中に仕上げた(ネコちゃんは以前作っていたもの)編みぐるみ全作をお披露目。



目鼻や手を付けるのに何回もやり直した苦心の作です。
先日おやつと共に孫に送りました。
喜んてもらえたようで、満足満足!

刺激が欲しい!

 さて、タイトルの話題に入るとしましょう。

 我が町は北海道の端っこ、オホーツク海沿いの町です。
おしゃれなお店もありません。
賑わう通りもありません。
ここに育つ子どもたちの多くは、保育所から中学卒業時まで、ほぼ変わらぬ友と過ごし、高校生になってようやく他校の生徒と交わるのです。

刺激の少ない生活といえましょう。
憧れるきらめきや、刺激が自分の住む世界から遠く離れた場所にしかないことを痛感するは、
「ここに生まれた事で、既に多くの損失を余儀なくされた!」
と不満の声をあげるのでした。
この田舎町で、せめて自分のなりを変容させ、先生に反抗することで刺激を自家生産しているようなでした。
 夏に行われる学校祭は、刺激を満たす行事の1つだったのでしょう。
は俄然張り切るのでした。
クラスごとの山車作りや、パフォーマンス。
合唱にも真面目に取り組んだようです。

そして、一番のお楽しみは後夜祭でのバンド演奏の披露。
磨いた練習の成果を見せるとっておきの時間なのでした。
因みに、彼らの練習場所は、空き家となっている旧・友人宅(敷地が広いので新築した家屋の横に旧宅が残っていたのです。)
漁師宅横の大きな倉庫
農家の畑横のD型ハウス内など・・。
私は車を出し、そこここへとYを送り、そして迎えにいくのです。

公開練習

 そのうちは、自分たちのバンドのライブをやりたいと考えるようになりました。

校は先記事で書いたように校則の無い学校です。
しかし、のような野放図な輩も抱える学校は、校則に代わる「決まり」のようなものを設け指導せざるを得ません。

校外活動には許可願いを出すようになっていたようです。
学校側に打診したところ、
「ライブをやるなら、許可願いを出すように」
とのこと。
そのことをYは大いに不満に思うのでした。
もちろん私は、
「やりたければ、願いを出すしかないでしょ」
と言いました。
が、Yは、そうすると先生は、それを盾にして、
〜〜しないと許可できないとか
〜〜していると許可しないぞ!
と言い始め、いちいちうざい!
とぼやきます。(Yの勝手な思い込みかもしれませんがね。)
ライブの許可を得るために「従順」を差し出さなければならないことが、どうも我慢ならないようなのでした。
Yとのそんなやり取りの中で私は、学校が生徒の校外の活動にまで制約を課すのはおかしいのでは?
と思うようになったのです。

我が子の不満に引きずられたとも言えますし、
我が子の味方でありたかったということもありますし、
我が子に好かれていたかっただけの、未熟な母親の感じ方だっともいえます。


私は、
「ライブが認められないなら、
公開練習と名を変えてやってしまったら?」
と提案したのです。

「おお!それで行こう!」

 町の文化センターのホールを借りてそのイベントを行うことになりました。
未成年者の申請ですので、大人の責任者が必要です。
それには私が名を貸しました。

それ以外は手を貸しませんでした。Yたちは、職員の方たちに相談したり、助けてもらったりしながら当日の準備を進めたようです。
このような校外の大人とのやり取りは、学校では得られない貴重な体験といえましょう。

この催しに伴って、
タバコ、ケンカ、飲酒のようなハメを外した行為が起きないように!
またゴミの散乱などが無いように、最後は自分たちで周辺を見回り汚れた場所を残さないように!
これは予めYには伝えておきました。
Yにしても、センター職員との関係ができつつあるなか、このことの自覚はできていたようです。
このイベントは、刺激の少ないこの地において、楽しみなものとして伝わり、友が友を呼ぶ形で広まり盛況でした。
これを知ったY校の先生方も数人見に来て下さいました。
応援の気持半分、監視半分だったのかもしれませんがね。

呼び出され・・・

 問題なく、この日を終えたものの許可なくイベントを行ったことで、当然Yは咎められました。
センターには、今後このような申し入れに際しては学校へ一報して欲しいと伝えられたとも聞きました。
私は呼び出しに応じる形で学校へ顔を出しました。
学校へは無許可なまま、私が責任者として名前を貸し、後押ししたことに関しては詫びを入れることになりました。
その上で、学校が関与しないことで得られる体験があったこと。
自分たちが起こす行動の自覚も持てたことなどを伝えました。

素行の悪い息子の母ちゃんが、偉そうな事を口にしたことは確か。
苦笑する先生方もおられたかもしれません。
これを読む方の反応だって、決して温かいものばかりではないことでしょう。
言い訳無用で受け入れるしかありません。


ただね、
これも忘がたい思い出の一つなのです。

 年度末ごとに進級認定会議に名が登りながらも、何とか卒業を迎える時期となりました。

なんと!そこで、大きな問題が発覚し大わらわとなったY校。
はい!
も関わっておりました。
その顛末については次回にて。


の作品をまた1つ貼り付けて処分いたします。
折り紙をちぎってできた形を、何かに見立て作品にしたものです。