深夜の電話

 のことは、このシリーズ前にもランダムに話題にしてきました。
この度は、発端は「思い出お片づけ」でありながらも、時系列に沿い、まとまった記事を書き続けております。

 話題にこと欠かない次男ですが、内容が内容だけに躊躇する気持もありましたし、何でもかんでも書いてしまって良いものか?迷いもありました。
へ向けて、これまでに、数回打診してきました。
その度に好きに書いて良いし、何を書いても良いという返事をもらっていました。
でも、なかなか踏ん切りがつかなかったのは、書くにあたりそれなりの気合いが必要なものが多かったからです。

そして書くのであれば、これは外せない!という話題それこそが、今回の記事となります。
Yの行状のなかでもトップオブトップのお騒がせ&問題行動。

2回に分けて書くことにします。

深夜の電話

2007年8月のことです。
 ポワトリンというバンドメンバーとして忙しく活躍していました。
見たことも聞いたこともないバンド名でしょう。
しかし、ビジュアル系というジャンルを好む一定の人たちの間では、相応の支持があり、各地でのライブを繰り広げていたのですよ。

それまで暮らしていた札幌の住宅・・・・専門学校入学時に住んだ部屋を退去後、自力で探して借りた札幌2つ目の部屋・・・それを兄のHにそのまま引き渡し、は東京で暮らし始めていました。
長男Hはこのタイミングで、故郷を離れ、札幌暮らしを始めています。


 私はその頃、週に数回の頻度で、隣の集落の児童館で働いておりました。
そんなある日、
深夜に電話がなりました。
深夜の電話・・・・・それだけでも不穏です。
飛び起き受話器を取った私の耳に、
「こちら札幌の東警察署です。」という声に続き、
「◯◯ Yはお宅のお子さんでしょうか?」
という声が届きました。

わななく身体

 「はい!そうです。」
私の膝が早くもぶるぶると震え出しました。

深夜、二人乗りの不審なバイクを発見した巡回中のパトカー。
近づき呼び止めたところ、すぐには応じず走り続けたとのこと。
しかし、程なく観念し停止した。
運転していた男に尋ねたところ、免許は持っておらず、住所を問えばは「無い!」と答えたというのです。
それがYであったと・・・。

わななく身体の中から、私は声を絞り出して聞きました。
「息子と、一緒に乗っていた方に怪我などはなかったのでしょうか?」
と。
「それは大丈夫です。」
「ご迷惑をおかけしました。」
あやまる私に警察の方は言いました。
「お母さんは監護能力はある方だと分かりました。Y君のためにも一度出頭して下さると助かります。」


「住所不定となれば、大抵留置されるのですが、お兄さんが札幌にいらっしゃるそうなので今晩はそちらへ引き渡して良いでしょうか?留置することで、良からぬ者との接触も心配されますので。」

大いなる温情による配慮といえましょう。
「分かりました。よろしくお願い致します。」
わななく声でお願いし、電話を終えるや直ぐにへ連絡し、ことの次第を伝えました。
その後一睡もできず夜が明けました。

札幌へ

 翌日の仕事を急遽キャンセルし、私は札幌へと向かいました。
早く!早く!
私の気持ちは急いていました。
今急いだところで何かが大きく変わるわけではありませんが、駅に着くや小走りでタクシー乗り場に向かい東警察署へと走ってもらったのでした。
同じタイミングで管轄内での別の不穏な事件があり、入口には数人の報道関係者がカメラを構えて待機しておりました。

その横を通り、署内に駆け込んだ私でした。


この続きは次回ね!