家なき子たち

 連載記事として書き進めている「次男のこと」ですが、長男長女の様子が混在しての記述が多くなっております。

私に襲いかかってくる心配事は、トリプルウェーブでしたからね、次男のことだけを切り離して語ることは難しいのです。
 当時札幌で暮らしていた三兄妹。
それぞれがそれぞれの生活のために苦闘しており、その様子をうかがい知る私の心は、3人分の心配事に揺れ、痛むのでした。
いつもの事ながらこの度も、当時の出来事を残しておきたいという私の思いだけで綴るもの。
退屈でしたらどうかスルーなさって下さいね。

 この度の話題は、またまた巻き戻された地点から語られます。
前回も盛りだくさんの「大変だった出来事」を書き連ねましたが、それでもなお、語り尽くされてない話題が残っているのです。

2013年〜年明けの頃に、我が子3人が3人とも、拠点を変え居候生活となっていったことを書きます。

H、アパートを出る

2014年・春
 は、長らく住んだ麻生駅近くの住居から、お付き合いを始めた女性のマンションへと移り住みました。
これはヤドカリのような移動でありまして、古巣の宿を残したままのお引越し。
古巣の荷物もその後しばらくそのままでした。
この件はあまり詳しくは語れません。
この出来事の前に、私が急遽札幌に出向くようなすったもんだもあったのですが、なにせお相手のあることですので、ここまでといたします。

A、オンボロアパートASUKAビルへ転居

 同年、夏の盛りの暑い日に長女Aは、とてつもなく安くボロいアパートに越しました。
不動産関係の仕事をしていた当時の彼の手引きで入手した物件です。
彼女の生活もジリ貧で、こうでもしなければ生活が成り立たなかったのです。
kyokoippoppo.hatenablog.com


しかし同年暮には、親知らずの抜歯があり、予後の辛さから
彼のマンションへ身を寄せたのは翌年2月。
そのうち彼の妹さんもそこへやって来て、Aと妹さんの交流も始まるのでした。
そんなおもしろ同居生活でしたが、程なく肝心の彼との関係が危うくなり始めるのです。
自分が誘導したとはいえ、家にまで転がり込んだ彼女というのは、新鮮味が落ちますからね。
そういう男性心理がストレートに現れた形です。

で、次男です。

 次男は古着屋時代にお世話になったOさんという女性宅に、身を寄せるようになりました。
やはり夏のこと。
Oさん…彼女さんではありません。
古着屋稼業の先達として、様々な助言をして下さったという方。
私とほぼ同年代の方なれど、私とは全くタイプの違うアクティブな女性です。
とはたいそう気が合ったらしく、ジリジリと生活が追い詰められていたYに、自宅の一部屋を安い家賃にて提供して下さったのです。

ただ交通機関の不便な所だったため、写真の仕事をしていたはどうしても車が必要になりました。
そこで、元々Yの所有物であったアルファ・ロメオを私が返してやりました。
そして、数ヶ月後にはその車で交通事故を起こすわけです。
(前回の記事内容です。)

車は破損し、廃車と相成りました。
その後の彼の車事情に関しては、私詳しく覚えておりません。

フリーカメラマンの収入の不安定さ、スキル不足、将来の展望が見通せない焦り…そんな不安にかられてか、ネガティブなTELとメールを寄こしたY。

これは2014年1月の出来事として、Yのアルバムに書かれているメモです。


3月には27才となり、
4月には札幌在住のプロカメラマンの元で、3ヶ月限定の修行を始めています。
RSRライジング・サン・ロックフェスティバル)の撮影などに足を運び、精力的に活動していたように見えましたが、フリーの仕事の不安定さは続いたようです。

その3ヶ月を終えた夏には、とあるスタジオ会社と関わるようになります。

製作部長の肩書き。
名刺には専務の肩書き。
「カメラマン」の仕事は既に過去になったかのようなYのプロフィール。

このような冊子を作って札幌のお店など置き無料配布されていたのですが、スタッフを構えての会社の収入を、それだけに頼っていたとも思えず。
不思議な会社でした。
今はもう無いようです。

9月には長女の皮膚トラブルの手術があり、
図らずも、同日Yの盲腸緊急手術がありました。

11月には長男の「鬱病」診断の報告あり。
これらも前回の話題でしたね。

札幌おのぼりさん

 その暮れ、母は札幌に出かけています。
珍しいことに遊びの目的で出ていったのです。
無免許運転の始末だの、
ブウタロウの引き取りだの、(記事にはしておりません。
Hの女性絡みのすったもんだだの、
Aの真夏の引っ越しだの…
もちろんの作品を聴くための嬉しいイベントもありましたが、おおかたが必要にかられての、せわしない札幌行きばかりでした。

札幌おのぼりさんの私。
そして待ち合わせにやって来たのは赤いコートを着た娘。
彼女はその時には滝川の人になっていました。
しばし同居した彼と別れた後、婚活モードへと舵を切った娘。
Aは早々にお相手を見つけ、前年11月には我が家にもその報告を済ませ、入籍は先なものの滝川での生活を始めていたのです。
そのお相手も今や、「元夫君」となっていることは、読者の方ならご存知のことと思います。
話を戻しましょう。
札幌へ出た私は、A私とで焼肉店で語らっています。
(別にHを仲間外れにしたわけではありません。Hは常に余裕がなく誘っても応じなかったのです。)
新しい職場を得たは、再び息を吹き返した様子でした。

金回りも落ち着いた様子でした。
一つの安心材料といえますが、
の語る言葉が何だか不穏。
「右も左も(政治色を指して)行き着くところは同じ。」
「ウラの仕事が…」
何だかな、またまた彼の尊大な態度が息を吹き返したようでした。



前回の記事からほとんど時が動きませんでしたね。

つまり、今回の記事は前回の記事にきれいに被せることのできる副旋律なのですよ。