若年起業家のその後

 6月になりました。
大型台風、線状降水帯、暴風雨・・・などの言葉がテレビから発せられています。
そんなさなかの3日土曜日は、創設された義務教育学校の第一回運動会が予定されていました。

しかし、事前に延期が決定されました。
というのも、台風の影響以前のこの気温。
ただでさえ気温の変動の影響を受け体調を壊す児童が多かった一週間。
この気温下で運動会を決行するデメリットが、事前延期決定の決め手となりました。

 土日は通常通りの休日となり、運動会は平日火曜日に開催されることになりました。
本日土曜日は、前線の影響を受けての雨も重なり、どうあれ運動会の開催は不可能な天候でした。
ストーブ点火でお家で過ごす。

ならば、その時間を利用してのその後を綴りましょう。
とはいえ前回話題にした場面に巻き戻しての記述となります。
過去記事や写真をベタベタ貼り付けながら、我が家の備忘録として残す記事です。

若き起業家

 札幌に拠点を据えて活動を始めた
2010年春狸小路に古着屋404を開店。
当時のが、写真家森山大道氏の目にとまり、その作品に収まっています。

その年の引っ越し騒動については前回の記事にしました。
7月には、『新生CRAQER(クラッケ)』発行の活動についてが、再び新聞に掲載されました。
Mさんという相棒と共に始めたストリートファッション誌発行の活動でしたが、札幌在住の若者を巻き込み輪を広げたのです。
ポケットサイズの無料配布だった冊子は、A4版の有料(280円)のものへと変化しました。

8月、Hの作品が札幌のポルトーホールにて演じられました。(前回の記事)
9月は「しゃりばり」という道民向けの冊子に顔を出します。

www.hit-north.or.jp


当時の民主党政権の「地域社会雇用創造事業」の一つであった、起業家への資金支給の応募が何と!通ったのでした。

珍しく黒髪のYであります。
「躍進」・・・まさしく躍進の様相を見せるY。

しかし、衰退の種はそのときには既に内臓されていたのです。







記述を進めましょう。

2011年…7月Yはローカルラジオ番組に出演しています。
その頃長男Hは、コンサートホールキタラでの仕事が決まり、その後程なく自作品が「新人音楽祭」へのエントリーを果たしました。
これまでの努力がようやく実を結んだのです。
夫婦は再びのお上りさん!
そして久しぶりに家族全員が札幌で顔を合わせることができました。
ただ、あまりに気の毒だったのは、依頼した奏者の演奏が見事に失敗であったこと。
Hの落胆は相当なものでした。
kyokoippoppo.hatenablog.com

閉店

 助成金をもらって設立することになった会社SDSは、この年大晦日に生まれました。
しかしその頃、の熱い心は残っていたものか?いなかったものか?
Yを応援し続けた順風は、いつのまにか止んでいたのです。

 車税代も車検代も払えないとぼやきながら、ナンバープレートを外した「アルファ・ロメオ」を我が家の庭先に置いていったのはいつだったか?
いずれまたこの車に乗るかもしれないと手放さずにいたその車は、我が庭先で雪に埋もれ、夏の日差しを浴びて過ごしていたのです。
開けて2012年2月・・・404閉店。

赤字は免れているものの利益がほとんど無い!そんな状態で経営を続けていましたが、とうとう消滅!
つまり店名通りの404.....NoFoundという末路となったのです。

同年の暮れあたりから、長女Aから不調の訴えが寄せられるようになり、私の心にも不安の雲がかかり始めます。
2013年…我が家の庭先で雪に埋もれるふた冬を過ごしたアルファロメオは、私の通勤用の車になりました。

すごい抵抗したのだけどね!!
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長らく放置された車の整備に30万円ほどもかかりましたよ。

 店を畳んだは写真家としての道を歩き始めます。
会社はどうなった?って?
もう青息吐息だったのではないかしら?
税金をいただくということは、そう簡単なことではなかったらしく、使い勝手の悪い助成金であったと聞きました。
『CRAQER』も創刊号の後、1~2号あたりまでを発行後、中断しています。

 そんなこんなの細道は、何故か写真家稼業へと向かっていったのでした。
「機材を積んだり撮影場所に出向くためにどうしても車が必要となるんだ。」
その言葉を絶好のチャンスとしてつかまえ、私はさっさとアルファロメオを手放しに戻しました。
こんな仰々しい車を乗り回すなど、とても嫌なことでしたからね。
しかし、程なくは交通事故を起こします。
車を引き取ったほんの数ヶ月後である11月のこと。
二晩の徹夜あけとなったその日、信号待ちの車に追突してしまったというのです。
私がほんのいっとき、通勤に使ったことがここでは、幸いとなりました。
夫の職場に関係する任意保険に加入したまま車を引き渡していたからです。

 設立した会社は、定められていた期間何とかそれを維持し、その後終了とあいなりました。

2014年・・・当時の恋人との関係がうまくいかなくなった娘A。彼女の涙で幕を明けたお正月でした。


9月・・・予定日されていた長女Aの石灰化上皮腫の手術の日に、Yの盲腸の手術が図らずも重なるという出来事もありました。
kyokoippoppo.hatenablog.com

不安のさざ波

同年11月・・・・長男HからのTEL。
鬱の診断を受けたという報告でした。

 ああ、私の心には常に不安のさざ波が打ち寄せるようになるのです。
を中心に我が子たちの動向を重ねて書きました。
我が子を語りつつも、忘れがたき自分史でもあります。

お付き合いして下さった皆様!
ありがとうございます。