もうすぐ開花

空色の蕾

 この花、「アガパンサス」という名前のようです。
初めてこの植物が蕾を持ったことを書いてから2週間。
いつ咲くか?と待つものの、まだもう少しのようです。
『開花』というタイトルで書こうと思っておりましたが、『もうすぐ開花』に変えて公開することにしました。
kyokoippoppo.hatenablog.com
2月15日
f:id:kyokoippoppo:20190220185503j:plain:w200:left
2月16日
f:id:kyokoippoppo:20190220183753j:plain:w200  2月20日
f:id:kyokoippoppo:20190220184955j:plain:w200:right

(日付がスマホでは少々ずれて表示されます。パソコン画面に合わせたらこのようになりました。)

解読不能の本

 これだけの内容ですので、最近のテーマになりつつある、人智学関連の内容も加えることにしました。
「ヨヘン・ボッケミール」という人の論文をもとに出版されたテキスト・・『植物の形成運動』があります。

植物の形成運動 (耕文舎叢書)

植物の形成運動 (耕文舎叢書)

  • 作者: J・ボッケミュール,石井秀治,佐々木和子
  • 出版社/メーカー: イザラ書房
  • 発売日: 2000/11/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る

自分の手元にありながら、解読不能な箇所があまりに多く、パラリと見た後お蔵入りしていました。
この度取り出して改めて開いたのは、ブログ記事にしようという動機によってです。
ブログを始めてから私の世界は広がり、楽しくなっています。

 開いては見たものの、やはり解読不能な箇所ばかり。
全ての文字を追うことはできませんでした。
それでも、前回よりは興味が続き、解読できた箇所もちらほら。
少しずつ発掘し、その欠片を拾っているような気分です。
それらはまさしく欠片で、つなぎ合わせることもできず形にもなっていない土器のようなものです。
でも、その行為は苦しいものではなく、楽しいものなのです。

観察

 人智学とは、霊眼によってシュタイナーが見たという世界の描写を真摯に受け止め学ぶという側面もありましょうが、シュタイナーが若い頃に打ち込んだゲーテ研究の成果を知ることも含まれます。
『植物の形成運動』は、主に植物の葉の繁茂の様子を観察し、そこから時間の本質について、時間と生長について、形の変容(メタモルフォーゼ)へと考察を進めてゆくという内容です。
葉っぱの観察から思いもよらない道が続いてゆくのです。
そして私はその道の途中で迷子になる。
迷子になる=未知のものに触れている・・・・それは実はワクワクするものでもあるのです。

 今回の記事には、迷子の私にとってよきガイドとなった訳者のあとがきの文章を抜き書いて、貼り付けることにいたします。

盛んに繁茂していく茎と葉の領域から受ける印象と、花から受ける印象とは、何と異なっていることでしょう。緑の世界が終わると、そこから、色彩と蜜と香りにあふれる花の世界が、まったく異なった風情で現れでます。花はいまや、花粉の媒介者である虫や鳥などの動物界とも接触をもつようになります。私たちは、虫をおびきよせる虫媒花のからくりにも驚かされますし、風の「動き」や光の具合をみはからうかのように花を開いて花粉を遠くまで飛ばす風媒花にも、驚きを感じます。花の美しさとはかなさは、明らかに、緑の領域に見られた旺盛なたくましさとは別世界のものとして感じられます。
 しかしここで、このような動きと色彩に満たされた花の領域から根の領域へと目を転じるなら、そこは、花とは対照的に、大地への固定と生命の喪失による固化という、かなり鉱物に近い在り方をしているこ
とがわかります。
ですから、植物体が有する器官のうち、根はいくぶん鉱物的であり、茎・葉は最も植物的であり、花・果実(種子)はやや動物的である、と述べることができるでしょう。

雨水そしてウンディーネ

雨水

 本日2月19日は二十四節気の「雨水」の始まりだそうです。f:id:kyokoippoppo:20190219063234j:plain:w260:right
https://www.543life.com/image/season/2usui/bnr_usui.jpg

雨水から次の啓蟄までの期間をさらに三分割する七十二候では
「つちのしょううるおいおきる」土脉潤起
となり、土が湿り気を帯びてくることをあらわすとのこと。

小さくか細い芽

 そんな本日はいくらか寒気が緩みました。
真冬日脱出していたのかは定かではありませんが、スキー場で感じた風は、刺すよう冷たさではなく少々柔らかいものでした。

 職場である小学校の教室には、夏から放置されている土入りの水槽があります。
昨年の夏、子供のたちが「幼虫見つけた」と大騒ぎして、水槽に土ごと入れて持ち込んだものです。
始めのうちは霧吹きで水をかけたりしていましたが、今はだれも関心を寄せず放置状態です。
自然から切り離され、管理もされていない土の中で幼虫はもう干からびてしまったのではないでしょうか?
それでも、この土の中からか細い雑草が芽吹き始めています。
水槽の壁面には水蒸気が結露してうっすらと貼り付いています。
小さな雑草の種は教室の中にあっても何かしらの季節の変化をキャッチして芽吹いたのでょうか?
f:id:kyokoippoppo:20190219195329p:plain:w160:leftバレンタインデイも終わり、普段出入りするコンビになどではひな祭りの装飾がなされ、桜餅も目につく所に置かれ、桃色の印象が濃くなります。
ここ北の土地でも”春の歩み”を感じ始める頃なのです。

水の精・ウンディーネ

 雨水にちなみ、「『天使たち妖精たち』より「ウンディーネ」について一部をご紹介しましょう。
記述はまだまだたくさんありますが、わかりやすく‘’今日の日‘’に因む箇所を抜き書きします。

天使たち妖精たち―精神世界の霊的存在 (Steiner Books)

天使たち妖精たち―精神世界の霊的存在 (Steiner Books)

 刻々と変化する天候の日、雲が出て雨が降ったり、霧が発生する日に、先に述べたのと同じ方法で、それらの現象に私たちは没頭します。物質的な印象の代わりに、内的な印象が現れるようにします。そうすると、ある体験をするようになります。
滝の中で飛び散り、跳ねる水などが特に適しています。立ち込める霧、散乱する水、煙のように上昇する水蒸気、あるいは霧雨、 驟雨が降るのを見るとします。これを内的に感じると、第二種族の妖精(精霊)たちが現れてきます。第二種族の妖精たちは、変容・変化を特徴とします。
本来、稲妻を描くことができないように、この第二種の妖精たちをスケッチすることはできません。
一定の形姿は一瞬しか存在せず、次の瞬間には、すでにすべてが変化しています。

ウンディーネは植物の芽生えにも関わります。

「地上で植物が芽吹くのを見ると、変容する妖精たちがまわりにいる」と、言うことができるのです。「植物の芽の上を、肉眼には見えずに躍動している妖精が、大地から植物を芽生えさせる力と関係している」と、霊的なまなざしは感じます。

f:id:kyokoippoppo:20190219203118j:plain:w310:right私は霊的なまなざしは持ち合わせてはおりませんが、
教室にある小さな水槽の土の中でグノームが働き、わすかな水分の中にウンディーネがいて発芽を助けているのかな?と想像したりするのです。

また本日はスーパームーンが見られる日でもあったようです。薄い雲のベール越しの月も美しかったです。

最後にサチコさんのブログもご紹介。
funcyqutton.hatenablog.com

ピーコ3体

お洋服につける可愛いもの

f:id:kyokoippoppo:20190212073648j:plain:w200:left 先の三連休に作り始めた孫のためのお洋服。
不用Tシャツ二枚でこしらえました。ここまで作った段階で
娘に感想を聞いたところ、
「可愛いものが付いていないと着たがらないのよ。」
とのこと。
孫よ。すっかりおしゃまさんになったものだ。
なるほどよっしゃ✨
「そうだ!ならばあれを付けよう」
と思い出したのが以前作ったレースのピーコ。
ゴソゴソ・・・昨年頑張ってお片付けしてしまったがために、どこにしまいこんだかわからなくなり、探すことしばし💦・・・・。
・・・・・ありましたありました。
ところがです、出てきたものはちょいと薄汚れていたのです。
このレース・・・・以前次男が古着屋を営んでいたときの品物から調達したものです。
不用になったスカートの裾にフリフリとついていたものをほどいたものなのです。
洗濯もせず、ほどきっぱなしのヨレヨレ状態のまま編んでしまいました。
汚れたピーコを縫い付けるのはなあ、と思い新しく編み直したのが先日の日曜日のことです。

眼鏡型拡大鏡

  そこで役に立ったのが眼鏡型拡大鏡です。
○○○ルーペではごさいません。
メルカリを始めたときにいただいた1000ポイントで、1000円の激安商品を手に入れたのです。
安いだけあって、顔を動かすたびに視界が揺れます。
でも、顔をあまり動かさず手元だけをじっと見て編み物をするくらいなら苦にならず、苦にならないどころか最適でした。

可愛くない

f:id:kyokoippoppo:20190218194948j:plain:w320:right ちゃんと糸を洗い、乾かしてから編み始めました。
糸が少々太かったので、針もちょいと太めのものを使いました。
数段で編み上がるものなのに、目数が合わず編んではほどき、編んではほどきようやく仕上がったものが写真の真ん中のもの。
わかります?
可愛くないのですよ。
これなら始めに編んだ汚れピーコ
(一番上)の方がましだよなあ。
目の位置やくちばしの位置の微調整でいくらかは変わるのでしょうが、何だか全体がずんぐりしていてシルエットがいまいち。
羽もがんこくて美しくありません。
1日の徒労がむだになりました。
うーむもう一体こさえるか。
かぎ針を細いものに代えて、再び編み始め・・・。

目が、肩が・・・・

 さすがに途中でやめて風呂に入り休みましたが、
目はシバシバ、肩はこりこりでした。
そんな身体の影響か?夜中につらい夢を三回みて三回起きました。
起きたときは「夢でよかったあ」と心からほっとしましたよ。

ピーコ出来上がり。

できあがり!一番下のピーコです。編目も一番きれいだな。

 お洋服に縫い付けました。
材料費ただのお洋服です。うれしくなって記事にしました。
今晩も目がシッパシッパです。

義父の死をきっかけにして②

 今回の記事は特別です。

前回の記事を書く途上で、私はとても大事なことに気づきました。
今回はそのことを綴ります。
私が私のために書き残すもの。
今これを読んでいる方にとって、有用であったり、面白かったりする要素はおそらくないと思います。
でも、最後まで読んで下さって、私の思いを分かち合っていただけましたら、大変うれしいです。

ブログのネタ

 じいちゃん(義父)の死があり、四十九日法要がありました。
日程にのっとって執り行ったということです。
そしてまあ、せっかくだからそれを記事にしようと思ったわけです。
そしてこれだけでは内容が貧弱だから、最近よく話題にしている「ルドルフ・シュタイナー」の文章を引用して体裁を整えようと目論んだのです。
その夜、数冊の本を引っ張り出し‘’死後の世界‘’に触れている箇所を探しました。
そこまでは、ブログのネタ以上のことを考えてはいませんでした。

手放したものは?

 しかし、私はちょいと立ち止まったのです。「でもな。」と・・・。
書くことに意味かあるのか?と。
解読の難しいシュタイナーの著作物を、私は手放さずに持っておりましたが、シュタイナーの思想(人智学)を学ぶことは、かなり前に手放していたのです。

そこに思いが至ったとき、ああ、私はもう一つのことに気づいたのです。
自分が手放したものはそれだけではなかったことに・・・・。 

高校って行かなきゃだめなの?

 私はかつて、シュタイナー教育に強く憧れ、それを知ろうとしておりました。
また共感の輪を広げるべく地域での上映会を行ったりもしたのです。
折しも長男が義務教育を終える時期と重なっておりました。

 そこから年月が流れ、過去のそんな自分を~シュタイナー教育に思いを寄せ、それに憧れを抱いた当時の自分を~今の自分が貶めていることに気づいたのです。

それに憧れた自分、
高校進学に疑問を持った長男に、「学ぶことは捨てたもんでないよ」というメッセージとして、憧れであった教育の存在を語った自分、
当時日本にはなかった「シュタイナー学校」を海外に求め、留学しようとして動き出した息子、
息子が動き出したと書きましたが、母親である私も相当に肩入れをしたことは容易に想像できることでしょう。
成績不良でもう机に座っているのが苦痛であったという息子が留学を希望?
シュタイナー学校
何ですかそれは?
という中学校の先生方の当然のとまどい、
英語もろくに理解しない母子。
さらに悪いことに家庭という地盤がもろく、夫婦のやり取り、父子のやりとりもぎくしゃくし、不穏で張りつめた空気が常にありました。

 具体的な準備を進めてきましたが、結局息子は留学しませんでした。
高校進学を免れてしまったことで、留学へのこだわりはだんだん醒めていってしまったのでしょう。
この結末で良かったと思うし、当然の結果だと思います。
高校という場所に希望を見いだせなかった息子に私の憧れを被せてしまい、息子を乗せてしまったというのが、当時の現実だったのでしょう。

つまり・・・この時期のことは何だか思い出すのか辛いのです。
今となって思うあの日々は、‘’‘自分が作った渦に息子を道連れにしつつまきこまれた‘’’という印象が強く振り返りたくなかったのです。
現実をしっかり見つめることもなく、憧れだけを携えて空回りした自分だったからです。

ピアノ

 息子の留学への熱は冷めましが、彼がこの時期に並々ならない熱意で取り組んだものがありました。
ビアノです。
このことはいずれ書きましょう。
その後彼は、音楽と共に歩いてきました。
作曲も学びました。
ビアノにしても、作曲にしても知識ゼロからのスタートでした。
勉強ができず、勉強がいやで高校に行かなかった息子ですが、彼のその後は勉強に次ぐ勉強だったのです。

うつ

 そのうちに彼はパニック障害になりました。
そして、数年後うつに・・・。
このあたりのこともそのうち書くことがあるでしょう。

 そう、鬱です。
当時就いていたコンサートホールでの仕事を、任期満了をもって辞め、その後療養期間に入りました。


完治はしておりません。
早く早く早く早く治れ治れ治れ治れ!


 息子にはゆっくりなおせだの、焦るなだの言いながら、私の願いは早く治れ!

で、息子は治らない。

鬱の息子

 そうやって1年2年3年・・。
しっかりと働けない期間が続きます。
そうこうするうちに、自分の息子へ向ける眼差しは変わってきたのでしょう。
もちろん、そうあってはならないという私自身の踏ん張りは捨てていない!
「息子は頑張ったのだ。」
「大変な苦労と努力によって技術を身に付けたのだ。」
「あなたは価値のある存在だよ。」

 でも、それはもはや私のふんばりであって、この思いの底には、氷の下のたゆたう水のように、不安と残念感と苛立ちが蠢いていたのです。

稼げない息子 
一人前ではない息子
助けを必要とする息子
残念な息子
私の目はすっかり‘’世間の目‘’と重なっていたのです。
もちろん、世間からきれいに自由でいることなど、多くの人にとって難しいのですから、それは仕方ないのかもしれません。
しかし、私の場合、これは仕方ないでは済まされないと思ったのでした。

将来‘’世間の目‘’で息子を見て、軽んずるぐらいなら初めから「シュタイナー」とか言うなよ!
そうやって自分の憧れを語り、
「高校いかない道もある」なんて言うなよ!
世間並が気になる自分であることをしっかり自覚していろよ!!!

でも私はそれを発し、その言葉は息子と私に作用し、息子はマイノリティーとしての道を歩き出したのです。

ここで是非書いておきたいことは、息子自身は鬱の症状や、そこから波及するままらない現実に苦しみはしましたが、自分が選んだ道を後悔していないということです。
彼自身の希望の灯は消えていないのです。

その道に泥を塗ろうとしていたのは他ならない私だということに気づいたのです。

あの時の自分を肯定するために・・・

 私は、泥で汚してしまった道をきれいにし直そうと思ったのです。
あのときの自分を否定せず、人智学で語られている言葉を再び拾ってゆくことにするのです。
そして、私は前回の記事を書きました。
kyokoippoppo.hatenablog.com

きっと分からないのです。
人智学を理解することは難しいから。
でも、今なら、世間が気になる未熟な自分であることを十分に自覚しながら、過剰な興奮や渦を作らないようにしながら進むことができそうです。
私のこの姿勢は、自分自身を助けることになるでしょう。
もちろん、息子のうつが軽減し、働けるようになることを望む気持ちは消えません。
それでも少しずつ、人の価値や人生の意味などを、新しい視野でもってとらえ直すことができるようになるのではないかしら?
いかがでしょうか?

翌日の追記
このページを開いては書き直しを繰り返しています。記述したことがしっくりしない箇所が次々に見つかります。
今後も書き直しては更新するページになりそうです。

義父の死をきっかけにして①

四十九日法要

f:id:kyokoippoppo:20190215190311j:plain:w320:right 先日、義父の四十九日法要がありました。
とりたてての信仰心もないままに、通例行う法要としてそれをやりおえたわけです。
仏教でいうところの四十九日法要の意味は、アバウトに認識しております。
 ~死後の魂は死後七日ごとに審判を受け、その行き先を決められてゆく、その最終段階が七回目の七日の節目の四十九日であって、我々遺族はその魂がより良き行き先を得るように、法要を執り行い祈る。
 またその儀式は、我々にとっては、死者の魂との別れを意味する。
それを受け入れ、この日を節目として気持ちを日常に戻し、前を向いて暮らしてゆく。~
いかがざんしょ。

温かい骨箱

 さて、午後にはお骨をお寺の納骨堂に納めに行きました。
暖房と日差しで暑いくらいの部屋からお骨を持ち出せば、外はマイナスの気温です。
車での移動の間に義母は、
「じいちゃんの骨箱温かいよ。」
と幾度も言っておりました。
気温差による現象だと思われますが、花いっぱいで暖かく、明るい座敷から持ち出され行くその先は、寒くほの暗いお寺のお堂です。
「寒がりだったじいちゃん、嫌だって言っているのかな?」
とばあちゃん。
「大丈夫。じいちゃんはもう寒いも暑いも無いところにいるよ。」

 寺の中は案の定寒くぶるぶる.....。
お骨を納め終えた生身の私たちは、慌ただしくそこを後にしたのです。

シュタイナーの本を広げては読んで・・・・

 その日の夜、私は自分が持つ「ルドルフ・シュタイナー」がらみの本を書棚から引き抜いては開き、‘’死後の世界‘’について述べられているページを探しました。
今回の記事に添えようと考えたのです。

 死後の世界について述べられた箇所は確かにみつかりました。
しかし、シュタイナーの思想(人智学といいます)
を断片的に抜き書きすることに意味があるのかな?
そんな風にも思ったのです。

天使の存在について、
霊の世界について・・・・、
宇宙と人との関係について・・・・、
自分自身は何も実感できないのに、「シュタイナーの本にはこう書いてありましたよ。」
ということだけを、系統立てずに思いついたときにだけチビチビ引用するのはどうなのだろう?

ウ~ム
しかしそう思った末に、結局書いておくことにしたのです。
何故って??・・・・これは、私の日記だからです。
公開しているということは、もちろん読者の存在を大いに意識してのことではあります。
(読んで下さる方はまだまだ少数ですが、それでもね。)
でも、私は私のためにこれを書いているということを忘れてはいけないと思いました。
シュタイナーの思想を断片的にでも、追ってゆきたいと私が思ったのならそうすれば良いのです。
何万もの断片を寄せ集めたところで、私はこの思想を理解することはできないでしょう。
でも、私は一つひとつ拾ってみたい。
自分に身近なところから、目にふれたことろから。
自分自身の理解にたどり着かなくても、今はただ自分の興味に従って。
カテゴリー「シュタイナーに関すること」の中身をぼつりぼつりと増やしてゆこうと思います。

死の扉

 死の扉を通過すると、感覚がすべて私たちから抜け落ちます。外界は私たちに、もはや何の印象も与えません。外界は、感覚をとおして私たちに印象を与えるからです。感覚は私たちの身体とともに脱落します。感覚知覚にのみ結びついた思考も、私たちの身体とともに抜け落ちます。そのような思考はエーテル体(生命体)のなかに存在するからです。死後数日間しか、エーテル体は私たちのもとにとどまりません。(中略)死後、私たちが見る「人生のパノラマ」の中にエーテル体は存在します。このパノラマを、死者は認識し、眺めることができます。このパノラマを、人は死後、見なくてはなりません。

「人生のパノラマ」を見せたエーテル体はその後全体の中に解消してゆきます。

私たちが人生のなかで有用性について考えたこと、感覚界について考えたこと、物質との結び付きにおいて考えたことは、私たちが死の扉を通過するとき、私たちから離れてゆきます。

死の扉の彼方の世界に持ってゆけるもの

理想的な思考、理想的な感受、純粋な人間愛、正しい意味での宗教的な敬虔さとして、私たちが起きているときに構築し、守護天使と結合したもののみを、私たちは死の扉の彼方の世界に持ってゆきます。

天使たち妖精たち―精神世界の霊的存在 (Steiner Books)

天使たち妖精たち―精神世界の霊的存在 (Steiner Books)

‘’死の扉の彼方にまで持って行けたもの‘’が、あの世で守護天使たちに渡す手土産になるようですね。
そしてそれらは私たちが生前構築しておくものだとのこと。理想的な生き方、考え方、感じ方であると・・・。
それを守護天使に引き渡せば、その分守護天使が死者への助けとして、力を与えてくれるようです。



エーテルという言葉が出てきました。
人間を構成する4つの部分(体)のうちの一つです。
この説明はより専門知識のある他の方の記事に助けてもらいましょう。
www.depressive-cbt.com

夫の製作物・・・・アイスキャンドル

アイスキャンドル

f:id:kyokoippoppo:20190212183726j:plain:w200:right 昨日私がミシンカタカタ動かしていた時、
夫はアイスキャンドルを作るべく頑張っておりました。
はじめプラスチックの塗料ケースに水を入れて放置していたところ、予想外の早さで、全面凍結してしまったのです。
それで次はこんなに風に二重にして穴を確保。


f:id:kyokoippoppo:20190212184029j:plain:w310:right
できあがりました。
せっかくなので写真を撮りました。
光をきれいに撮るのは難しいな。
f:id:kyokoippoppo:20190212190408j:plain:w180:left









こちらの記事も便乗させてもらいました。読みやすい記事でしたので・・・。
ameblo.jp

 この方のその他の記事にも目を通してみました。
私にとっては未知の領域で、理解が難しいものが多かったです。でも、ここに貼り付けた四元素の説明は、シュタイナーの『天使たち妖精たち』を参考にして書かれており、本書の難しい内容を分かりやすく伝えてくれていると感じました。

天使たち妖精たち―精神世界の霊的存在 (Steiner Books)

天使たち妖精たち―精神世界の霊的存在 (Steiner Books)

三連休製作物みっつ

おいなりさん

 おいなりさんを作りました。f:id:kyokoippoppo:20190211073942j:plain:w200:right
夫が好きなのです。食べたくなると小揚げ二袋を買ってきます。前夜も、「頼むな」といわんばかりにそれを差し出したので今日は”おいなりさんの日”となりました。
ところでこのおいなりさん用の揚げにも地域性があるのですよ。
maruyaneko.blog.fc2.com
”おいなりさん用の揚げ”について検索していて見つけたこの方のブログですが、他のページに目を通す過程で大変魅せられました。
写真が美しく、食べ物は美味しそう!!
パンを手作りする方のようで、手作りパンが特に特に美味しそうなのです。
(我が家のおいなりさんは全然おいしそうに撮れていなくて残念!!)
瞬時にファンになりました。
こういう見つけものはブログをやっているからこそのもので、大変にうれしい!!!

 さて、そうそうおいなりさんです。今は味付きのお手軽の揚げも売られておりますが、揚げの厚みがなく、つまりお豆腐部分が少なく甘味も濃いので使いません。それは使いませんが・・・
家で小揚げを使って作るにしてもなかなかのお砂糖の量です。
揚げにも、寿司飯にもお砂糖が入るのですから。
休日の朝これを作るのは、面倒なことではあるのですが、がんばれば「お昼何する?」の会話は不用になります。
朝昼おいなりさんで済ませるからです。

キャラ漢

 私は近所の小学校で支援員として働いております。
担任の指揮下で支援を要する児童に添い、お手伝いをするのです。
今は3年生の教室に入っています。
この仕事についてから11年が経ちました。
指揮下で働くとは言いながらも、ちょいと自分なりの工夫やカラーを出してみたくもなるのです。
担任に「いいですか?」とお伺いを立てた上で教室に持ち込んだのが『ポケモン漢字』というもの。(略してポケ漢!

 無味乾燥な漢字の反復練習ばかりでは味気ないなあと思い、以前特別支援学級の児童用にも活用した漢字練習カードのような物を作って教室の片隅に置かせてもらったのです。
子どもたちは、色をぬったり、コレクションしたりと楽しんでくれました。f:id:kyokoippoppo:20190211105220j:plain:w300:right


f:id:kyokoippoppo:20190211110737j:plain:w200:left先日はある女の子からかわいいキャラクターのカードも作って欲しいと頼まれたのです。
「うーん、そのうちね。」などと気のない返事をしておりましたら、メモ帳にたくさんの”かわいいキャラクターたち”の名前書いて「これ、お願い。」と差し出されました。
ということで、この三連休のうちに作ることにしたのです。
本日はとうとう最終日。なんとか一枚(カード8枚分)こしらえました。
ポケモン描くよりは楽ちんでしたが一時間はかかったな。
とりあえずキャラ漢出来上がりで一安心。

頼まれてもいない製作物

 先の二つは発注を受けて作ったものですが、これは頼まれてもいない製作物です。
連休初日には手を着けております。
しばらく手を着けずにいた布、捨ててもよいような着古しで孫の服を作り始めたのです。
図書館で借りた雑誌には”1day"などと書かれているけれど、型紙を写し取って、着古しの中から使うものをチョイスして、何とか部品を切り出すだけで一日仕事となりました。

これ・・着てもらえるような代物になるのでしょうか?本日午後の作業となります。
一旦、アップして、午後の進捗具合と、クオリティーを確認した上で、追記として続きを書きますね。

2月12日の追記f:id:kyokoippoppo:20190212072915j:plain:w200:right
昨日午後からは、頭痛と寒気に襲われ、お洋服は仕上がりませんでした。
風邪ひいたか?と不安でしたがどうも目の疲れや肩こりからきた変調のようです。
たっぶり睡眠を取ったら元気回復しました。
裾と袖口の始末が残っていますが写真アップ!!
(若干ボケておりますが出勤時間が迫っておりますのでそのまま・・)