カッコウと春ゼミと青空

貴重な2本

 植えたわけでもないのに、お向かいとの境に面した庭すみにアスパラが生えています。
株はほとんど大きくならず、それでも毎年2~3本ほどのアスパラが収穫できます。

昨日、太っちよさんとお痩せさんのアスパラが伸びているのを見つけました。
ポキリと折って、ブログのネタになるかもしれぬと写真だけ撮っておきました。

郭公 春ゼミ

 その日は気温27度、北海道なら夏の陽気といえる暑さでした。
カッコウの鳴き声を聞きました。
まだ気の早いやつだったものか、一瞬鳴いてると思ったもののその後聞かず。
でも、この陽気でしたらじきに他のみんなも鳴き始めることでしょう。
カッコウの声を聞くと、この土地で暮らし始めた頃を思い出します。
カッコウ カッコウ カコカッコウ
異質な土地へ来たという気分を味わったものです。
おお!私は北海道に来たのだ‼️
シャンシャン
そして春ゼミ・・・・「エゾ春ゼミ」の声も聞きました。
これも、なぜか一時耳に届いただけでした。でも確かに聞いたのです。
この時期、わきあがるような緑の中から聞こえてくるセミの声。
今やこの土地に長く暮らした私にとって
セミの声といえばこのシャンシャンが馴染み深くなってしまいました。
ネットで調べてみますと「エゾ」と命名されているものの日本各地にいるセミだそうです。
とはいえ寒地を好むので、本州では高地に住んでいるとのことです。
ヨーシンヨーシンケケケケと鳴くという記述もありました。
しかし単体の鳴き声だけを捉えればそのように聞こえるのかもしれませんが、通常大合唱の形で耳に届くので私の印象は「シャンシャンシャンシャン」なのです。
center.shiretoko.or.jp
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カナカナ

 そして「カナカナカナ」となくひぐらしの声は、もうむかあしのただただ懐かしいものになってしまいました。
もし、リアルにひぐらしの鳴き声をきいたなら、私は泣いてしまうかもしれません。
ただてさえ、もの悲しく情緒を揺さぶるカナカナですが、そこに心震える程の懐かしさを感じることでしょう。
北海道の道南地域には生息しているようです。
私とは反対に、道内から道外へと拠点を移した方のブログです。
www.sahiyuna.net
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青空

 暑い中、運動会の練習真っ盛りです。f:id:kyokoippoppo:20190524052607j:plain
そして、暑いとはいえ、爽やかな風が吹きわたるこの地。
雲は刷毛で掃いたような筋を作りきれいでした。



 さてさて、職場の友が、「アスパラ食べる?たくさん頂いたの。よかったら。」
と言って下さり遠慮なくいただきました。
30本程もあり、我が家のアスパラはその価値が暴落いたしました。
でも、価値は下がれど美味しいアスパラ
バターで炒めていただきました。

春の庭

安上がりガーデン

 我が家の庭は、安上がりガーデンです。
木と、球根と宿根草で成り立っているからです。
手間入らずかと思いきやさにあらず。
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植え替えをしないことによる困った事態が発生し、対応に追われます。
放置した球根は増殖し、窮屈になり、次第に細っこくなってゆきます。
そんな球根は葉だけをしげらせ、花をつけなくなってしまいます。
そんな状態の水仙ムスカリ、チューリップ。
生き残りのチューリップが、あっちに一輪こっちに一輪咲いています。
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スズランは頑丈な根っこを縦横無尽に伸ばしてゆきますので、増殖を抑えてゆかなければかりません。

下の青い花・・・これも、どこまでも根っこで伸びてゆきます。
これらは、エリアを広げ過ぎないように管理が必要です。
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f:id:kyokoippoppo:20190522192002j:plain:w200:left一方こちら(オレンジの花)は、ちっとも大きくなりません。
消滅しないように見守る一株です。







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 こちら(ピンクの小花)は、大事に大事に増やしたもの。
かつて日向に植えていたら、どんとん小さくなり瀕死の状態になってしまいました。
いちかばちか日陰に植え替えたところ息を吹き替えし大きく広がってきました。
この花の色、形大好きです。




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ビオラもかわいい。大ぶりのパンジーよりずっと好き!!こぼれ種であちらに・・・。f:id:kyokoippoppo:20190523052953j:plain:w200:right
そしてこぼれ種で増える・・といえば何といってもデイジーが代表選手です。
あちこちで顔を出したものをいくらか私が整列させました。

 毎朝手入れをしてから出勤するのですが、スギナはいたるところから顔をのぞかせ、もう、もぐら叩き状態です。

それでも、私はめいめいが、それぞれ偶然の運命に身をまかせ葉を伸ばし、花を咲かせるわが庭が好きなのですよ。

もちろんもう少し整えたいし、見映えも良くしたい。・・・でも今のところはスギナ退治で精一杯なのが現状です。

ビューティフルガーデンはもう少し先の、”更なる老後”の楽しみに取って置くことにしましょう。

チューリップ画像でたんぽぽの話

チューリップ公園

 先週末の5月18日、 行ってきました。町内の観光地である『チューリップ公園』へ。
天気も上々。
母親を尋ねるため、今年何度目かの里帰りをしていた川崎住まいの義妹に声をかけられなかったら行かなかったでしょう。
だって道路から横目でみれば十分という気持ちだったのです。
f:id:kyokoippoppo:20190514060552j:plain:w400:left(この写真はネットより)
 
珍しく暑いくらいの日でした。日差しをさえぎるもののほとんどない公園を歩くのは少々しんどかった。
せっかくなので、写真に残したチューリップを貼りましょう。




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漫然と眺めて、名前も記録しておりません。
写真も、なんとはなしに気の向いたものを収めただけです。
私、薄いピンク系が好きなのだなあと写真を貼りながら思った次第。

とはいえ、この混植コーナーが一番良かったなあ。

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川崎住民の意外な目のつけどころ


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チューリップを眺めながらも、妹はしきりと「タンポポがすごいねえ!!」」
と感心するのです。
「道端も空き地もいたるところタンポポだ。川崎ではほとんど見ないよ。」と・・・。

あれ?そうなの?
タンポポ珍しいの?
そういえば、昨日会ったお客人(川崎住民、しかも妹夫婦の住んでいる所とも大変近い)も、タンポポの美しさを口にし、靴で踏まないようにして歩いていました。
いくらでも生えて、やっかいもののタンポポに意外な視線を向ける人がいることに気づいたのでした。
しかし、妹よ。あなたの故郷はここではないかい?
「昔はここに住んでいたじゃない?タンポポは見慣れた光景ではなかったの?」
「いやあ、こんなにたくさんは咲いていなかったよ。」

はて?そうだったかね。

そこでやっと腑に落ちました。
これぞ西洋タンポポのなせる繁殖力だと。

ameblo.jp

別の花の花粉がなければ、受粉に至らない日本タンポポですが、西洋タンポポはその必要がなくクローンのように増殖するらしい。
ここは、西洋タンポポの楽園と化しているということですね。
それにしても、川崎(妹夫婦の住む辺り)では、その西洋タンポポすら見かけないとはどういうことかね?

隙間の無い1日

あさ ひとり

夫が、「放流」のアルバイトに行っております。
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午前2時には起き出して、出かけてしまいますので朝は一人。
夫の朝食の支度がいらないというだけで、普段のその支度も大したことはしていないので、まあ、何も変わらないようだけど、朝ひとり・・・・ウフフな気分です。
朝から気兼ねなく、掃除機だってかけちゃうものね。
そう!!私は朝が一番元気!!
洗濯して、トースト食べて、お気に入りのブログ覗いて、昼前には戻る夫の昼ごはんは、なんとか用意して、それから外へ。
庭の草取りをするのです。
スギナが、あっちからもこっちからも顔を覗かせています。
いくら抜いても追いきません。もぐら叩き状態です。
ランドセルを背負った子どもたちが登校を始める頃、私もスコップを置いて、長靴脱いで出勤です。

大量のブツ

 この日(先週末の金曜日)・・・・午後2時半より年休を取りました。
夕方出かける予定があったのです。
サロマ湖のあちら側・・・ホテル『サロマ湖鶴雅』で、知人と食事をすることになったのです。
夫が学生時代お世話になり、かわいがってもらった喫茶店のママさんご夫婦と娘さんが道東旅行のツアーでこのホテルに泊まることになったとのこと。
一緒にご飯を・・・ということになったのです。・・ということで、私は2時半過ぎに帰宅。

 そこに待っていたのが、大量の稚貝だったのです。

f:id:kyokoippoppo:20190519064520j:plain:w200:right夫が、バイト先からもらってきたのです。
この仕事に関われば、期間中1~2回はいただく「稚貝」ですが、よりによって
「うわあ!今日かあ!」。
クーラボックスに入れられておりて氷も入っていましたので、しばらく放置できますが、食事を終えて帰宅してからの仕事量を思うと、ぼやっとはしていられません。
直ちに、アルミの大鍋とパスタ用の鍋を用意して、湯を沸かし始めました。
せめて茹でてしまおうと。
家を出る直前まで奮闘しました。(写真→)(スマホでは↑)

サロマ湖沿いの道を

 サロマ湖は日本で3番目に広い湖です。
その湖の縁を縫うように道が続いています。湖を左に見ながら進む道。
空は青く湖も青く輝いていました。
写真に収めたく途中少々迂回してパチリ。「月見が浜」という場所です。
湖にせりだしている小高い山は円山(まるやま)です。

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「月見が浜」とは何と美しい地名でしょう。
この道は、以前は湧網線という鉄道が走っていた所です。廃止になってしまったのは実に残念。
月見が浜見つかりましたでしょうか?
目的地は出発地の対岸にあたる栄浦にあります。

サロマ湖に沈む夕日

 さて、走ることおよそ一時間で到着。f:id:kyokoippoppo:20190519073721j:plain:w200:right

我が町の夕日は西側の山に沈んでゆきますが、ここでは湖に沈んでゆきます。
せっかく来たのだからそれも写真に収めたいなともくろんでおりました。

到着時はまだ日た高く、湖面は白く光っておりました。

懐かしいSさんご夫婦に会い、ひとしきりロビーで話を咲かせ、レイクビューのレストランでビュッフェ形式の料理をいただきました。
お料理は、すぐに口に運んでしまいパチリはできず。

 キラキラ輝いていた西日は、そのうち雲間に隠れてしまいました。
しかし、湖面すれすれの所で再び顔を出しました。
多くの人が、カメラやスマホをかざして写真におさめておりました。
ガラス越しではない夕日を求めて湖畔へ。
大きな流木のあいだからパチリ。
 

ああ!写真が残念すぎる。
でも人様のものを借用するのも癪(シャレたつもり)なので、これでいきます。
7時、名残惜しく手を振り別れて帰路につきました。
なにせ翌日2時おきのアルバイターさんがおりますから。
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8時帰宅。
私には仕事が待っています。茹でたホタテの身を外すのです。
もちろん次の日に回しても良いのですよ。
でも、せっかくの休日をむき身外しでスタートしたくありませんでした。
がんばりましたあ。
最後にパチリ。
ようやくお布団に。でもまだ休めない。
ブログの下書き(前回のもの)
を打ってやっとおやすみなさい。
よく働いた1日でした。

 明日はホタテのウロ(深緑色の部分)取りからスタートだ。

長靴はいて潮水かぶって

町の一大事業「放流」

 5月15日より「放流」が始まっております。
サロマ湖内で育てたホタテの稚貝を湖から引きあげ、外海(オホーツク海)まで運び、撒くのです。
全ての漁業関係者に加え、多くの漁業関係者でない人々まで巻き込んでの一大事業です。

漁業関係者ではないわが夫・・・還暦過ぎて腰痛と五十肩の痛みを抱える夫にまで、「手伝ってほしい」とのお声がかかり、夫は初日より2時起きで出動です。

 20年も前に・・。

 20年も前に私はこの仕事を体験しております。(湖から引きあげる作業)
当時の記述が残っています。
それを参考に、過去の様子を思い出してみましょう。
貼り付けた写真はネットより借用しました。
 *  *  *
 朝は(これって夜か?)2時も過ぎたら起き出して、酔い止め薬を胃袋に流し込み、浜仕事用の衣類や小物を車に積んで漁港へと走ります。
外ではすでに、ゴーゴーという車の騒音が、まだ明けきらぬ町に響いています。
全ての車が列をなして登栄床漁港に向かっているのです。

 港に到着。
 船はエンジンを作動させ、灯りをともし待機しており、そこに必要なもろもろを運び込む漁師さんや、あいさつをかわす人たちが行き来し賑やかです。
甲板にて手早く中手袋、ゴム手袋、腕抜き、合羽、ライフジャケットなどの装備を済ませると、船は次々と港内から出て行きます。
いったい何隻の船が出てゆくものやら・・・。
それぞれの作業拠点へへさきを向けて、船はスピードをあげます。
耳はエンジンの音だけに支配され、冷たい潮水が船の上下に合わせるリズムで甲板を濡らします。
この季節の夜明け前はまだまだ寒く、カイロを貼った身体を震わせて身を縮め、吹きつける風と潮水の飛沫を頬に感じるのです。

 作業開始時間は決められています。

のしという太いロープに、船の横を固定して、無線を待ちます。
私たちも立ち上がり、稚貝の入った資材が引き上げられると同時に動き出せるように、甲板の上のそれぞれの持ち場で、足を踏ん張りその時を待つのです。
タプンタプン・・・船は波に揺れています。
静かなれどいよいよだ・・・という気持ちで張り詰める時間。

「ホタテ作業船、ただいまより作業を開始して下さい。」
始まった!!
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その時から数十分、ただひたすらにほろうのです。
私が体験したころは、「ざぶとん」という資材が、多かったと思います。
絵ては、左のものがそれです。四角い座布団状の資材です。
一ヶ所に穴があるので、逆さにしてそこから稚貝をふるい落とします。
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不明瞭を避けるため、かごの輪郭のみをざっと描いてありますが、湖水から引き上げられたばかりの資材は、重く塩水を含み、細い生物やネロネロが貼り付いていて、慣れないうちは、ひとまとまりて持つことさえ難儀しました。
汚れて手にあまる座布団の様子と、足の踏み場もない甲板の様子が見て取れる画像がありましたので拝借しました。





「土管」と呼ばれる連段の資材も、引き揚げるや
縫い付けてあるヒモをひき、ただちに開いた面を下にして貝を落としてゆくのですが、ヒモを見つけることに手間取り、それを引く抜くのに手間取り、下手すりゃ相手と回す向きが合わなくて、資材を一ねじりしてしまいそうになったり・・・・。
中腰の作業のため、腰も背中もビリビリと痛かったなあ。
定量ほろうと帰路は各船ごとに帰港します。貝の鮮度を落としてはならないからです。

貝が痛まないよう、まといをかけて、(水にぬれたこいつも、重い重い重い!!)海水をかけながら港に戻るとこれを降ろします。
稚貝は今度はトラックに積まれ、外海に面した湧別港に運ばれてゆくのです。
この作業を4回から五回繰り返すのです。10時過ぎには作業終了です。
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 とにかく大変な重労働でした。
でも、重労働をしているという実感が私を奮い立たせてくれました。
湖に顔を出す真っ赤な太陽を日々おがめることも嬉しいことでした。タイミングによっては眺める暇もないことしばしばでしたが・・・。

   *  *  *
 

私はおふとん 

 今は、資材も作業のやり方も違うのかもしれません。
2時になると夫が起きて支度をしている音が聞こえます。
その音を聞きながら私はぬくぬくお布団の中。

がんばれー。ご老体の夫よ。がんばれーこの仕事に従事している私の友よ!


16日の新聞に放流の記事が出ていました。
湧別漁協は11日間で、2億5千万粒を放流する予定だそうです。



 この稚貝ですが、仕込みは夏に行われます。
そちらの仕事はかろうじて現役なのですよ。
放流よりはよほど楽な仕事といえますが、私は毎度ヘロヘロになるのであります。
今年も声がかかるのかな?
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晴天

桜去り

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晴天のもと

すもも咲き

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魚(ホッケ)はようやく乾き、食卓にのぼりました。f:id:kyokoippoppo:20190514060909j:plain:w300:right
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小鉢のものは頂き物の「こごみ」。f:id:kyokoippoppo:20190514055237j:plain:w330:right
草ソテツの若芽です。こごみが育つとこうなります。




ホッケの皿にある薬味は「山わさび」。
親戚の農家が醤油漬けの製品にしているものを添えました。
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北海道に自生しているわさびで、大変美味。

我が町のチューリップフェアも開催中。

この広さ、色の多様さに圧倒されます。
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春爛漫です。
朝のストーブはまだ必要ですが・・・。

母が残してくれたもの

今週のお題「母の日」

ペチュニア

 「京子はすごいよお!」
という感嘆の声を、母からもらったのはいつだったでしょうか?
「ベランダのよ、ペチュニアがよ、咲いたよ!えーーー。すごいオオオオ。」
何事にも大げさな母はそのように言いました。
13年も前・・・2006年のことです。
その年の7月、胃ガンの手術を受けた母の、退院後の生活を助けるために私は上京したのです。
 家の中は、どこもかしこも汚れていて、びっくりしました。三度の食事も、お風呂洗いも、床ふきもやっていなかったわけではないのですが、もう、念を入れてという働き方ができなかったのでしょう。

 ベランダには、箱型の白いプラスチックの鉢が置かれており、枯れたペチュニアが並んでいました。
土も減っており、根元にはビニールポットを型取った形の土が、姿を見せていました。
二つのうちの一つは完全に枯れきっておりました。
しかし、もう一方の鉢の方は、根元付近に緑の葉が芽吹いていたのです。そこで私は完全に枯れてしまった苗を引き抜いて捨て、ポットに残った土を再生可能な方の鉢に移してやりました。f:id:kyokoippoppo:20190513060705p:plain:w330:right

ハサミで枯れた上部分を取り去り、緑の葉だけにすると、これでもかというほど、水をかけてやりました。
その時の「ペチュニアが元気になりますように。」
という願いは、「母が元気になりますように。」
という願いと重なっていました。
枯れかけたペチュニアが、母の姿とだぶったのです。


しかし、花と母のその後を身近で見守ることはできませんでした。北海道に戻る日がやってきたのです。
胃のあたりを押さえながら、這うように移動している術後の母に、「鉢の世話をしろ」とは言いづらく、かといって置物のような暮らしぶりの父には、母の手伝いを頼むだけで精一杯でしたので、私は滞在最後の朝に水をやり、その後のペチュニアの運命はなるにまかせることにしました。

その後

 そしてしばらく後、私は母から先の言葉を聞いたのです。
健気に咲こうとしている花の蕾を見つけた母は、「おや!」と驚き水をやり、肥料もパラパラと撒いてみたのだというのでした。f:id:kyokoippoppo:20190513065636j:plain:w200:right
「京子すごいよお。真っ赤だよお!京子は植物の世話も上手だよお!」

 一方母も、色々食べられなくなっちゃった悲しみしにも慣れ、身体に合わせて食べる流儀にも慣れ、術後の身体と付き合うことそのものに慣れていったのです。

再発

 しかし、1年半後・・・・ガンは肝臓に飛び再発しました。

手術は無理だといわれ、抗がん治療を始めましたが、
「まるで自分の身体じゃないみたいだ。このような身体で生きていても意味がない。」
と言い、その治療はやめました。

「おかげさまでどこも痛くないよ。」
と母は言い、死への準備を着々と始めました。

すでに市民葬(川崎)の積み立ては完了しておりました。
家族には、きっぱりと「祭壇も棺も最低のもので良いのだ。葬式に金なんてかけなくて良いからね。」
伝えておりました。

電話周りの便利貼り紙には、死亡時電話するところとして社会保険庁の電話番号と、夫婦の年金番号までがマジックでしっかりとメモされておりました。
更には不用品引き取り業者の番号まで。

死亡も死亡後も、母にとっては日常の延長であり、その段取りも大事な‘’自分の生活‘’だったのです。

延命措置を望まないという意志を明確にするため尊厳死の文例にのっとり文書も用意しました。
ただ母が思い残すのは、我が死のあとに一人になる夫のことでした。
「どうしようよ。長生きして子どもたちに迷惑かけたらよお。私が先に逝くなんて思いもしなかっよ。」
ともらすのでした。

八重桜

 その後、痛くはなくてもだるいと訴えるようになった母でした。
年が開けた2008の春には、「台所に立てなくなった。」と言い、弟夫婦の家でしばらく過ごしましたが、とうとう入院することとなりました。
「あんたはもう、葬式の時来ればいいんだからね。」
と念を押すように言われていた私でしたが、周りからの助言に従う形で上京し、母を見舞うこととなりました。

「きょうこー。よく来てくれたよう。悪いよお。」
例の大げさな母の言葉を聞くことを想像しながら顔を出した私でしたが、母は私の顔を驚きもせず見つめ、ささやくような声で、
「静かに逝きたい。」
と言ったのです。
窓の外は八重桜が満開で、ひっきりなしに桃色の花びらを降らせておりました。

数日後の4月28日、母は静かに逝きました。
様子から、そろそろだろうと思い病院に泊まった日の翌朝、息をひきとりました。

むくみがひどぐ点滴は外されており、モニターすらついておりませんでしたのでまさしく身体ひとつの母。
その母の顔を、さほどの切迫感もなくながめておりましたら、
はふーと最後の息を吐きました。
なんとなく佇まいが変わった姿で亡くなったことがわかりました。

「よかった。楽になった。よかった。楽になった。」
私は母の頭をなでました。
母の死を見たことで、私は
「死ぬっていいことだな。」
と心から思えました。
もちろんこれは、”高齢でそれに相応しい死”を指しております。
実際私自身が死を身近に感じたとき、どのような態度を取るのかはわりません。
しかし、「死ぬって悪くない」という思いは、母が残した最後のプレゼントだと思うのてすよ。
お母さんありがとう。
  *  *  *  *
下記の記事は、そんな母の、私にとってネガティブな部分について書いてあります。
こういうことも含めての「私の母」なのです。
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さて、一人残された父は比較的元気にひょうひょうと暮らしておりましたが、母の命日から一年も経たないうちに風呂場て急死してしまいました。
電話をかけて
「元気!」
と聞くたびに決まって
「生きてるよ。」
と返した父でしたのに。
いきなり死んじゃった。
これはこれで、父らしい最期でした。
お父さんありがとう。

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