青い海を眼下に・・

一年の12分の1が終わってゆく

 1月末がやってきました。
流氷接岸はこれからだし、天候の不安定もまだまた予想されますが、1月が終わるとホットします。
2月になると、商業施設は早くも🎎ひな祭りムードになりますし、日差しの勢いが増していることが体感できるからです。

とはいえ、今季の冬は異常。
こんなことで良いのでしょうか?

25日夕刻から冷たい風が吹き、天気予報は荒天を伝えておりましたが、この地ではゴーゴーと風が吹くばかり。
固まりきれていない雪は舞い上がり、小さな吹き溜まりを作っておりました。

26日、日曜日、早朝まだ明けきらぬ町に除雪車が走りました。
今季初めての除雪。
オレンジ色のライトを光らせて、ブーゥゥゥ・・・・。
雪の多いときでしたら、溜まった雪を寄せてはバック、寄せてはバックし、ひと箇所を何回かバケットでならしてゆきますが、今回は少々の吹き溜まりをサラリと寄せて、あっという間に終わる作業でした。
出動しなくても住民はなんら困らない程度の除雪でした。

台所の窓越しに写真を撮ってみましたが、窓に反転した居間が映り込むばかりのものになってしまいました。没!

この日は、掃除洗濯、クロゼットの片付け、ブータロウ(我が家の愛犬)のシャンプー・・・・と精力的に動き、その勢いで、我が家の衣類不用品と娘の放出した不用品を抱えて遠軽のリサイクルショップへと行ってきました。
(衣類はメルカリでもほとんど売れず、夏に有志で行うフリマに冬物を並べても売れ残るだろうと思いまして。)

売り上げは百円ちょい。

それでも娘は上機嫌。
ゴミ袋だって90円もするんだよ。
プラス100円で片付いたのたから上等!と・・・。

娯楽の殿堂

 まだ遠軽にいるときに義母からTELが。
「あなたに・・・ともらったお芋を預かっているからおいで!」と。
そして「パチンコに行きたい気もする。」
と。

戻ってから、義母の家に行きパチンコ屋さんまで送ることにしました。
内心
「私も遊んでいきたいな。・・・でも我慢たな。」
と思っていたら、私のそんな気持ちを察したように義母は財布から千円札を出し

「あんたもちょっと遊んでいきな。」
と。

ウホウホと同行しました。

50銭パチンコです。

義母と並んで打ちました。
私は「海物語」が好きなのてすがね。
そちらはほぼ満席。
ホラー系の騒がしい台で打ちました。


何回か当たりが来たところで私は終了。
自分の財布も開かず、勝ち逃げすることに心苦しさも覚えながら、戦い続ける義母を残してもどってきました。
50銭パチンコの換金率は悪いので景品に。
ティッシュママレードをゲットしましたことよ。


義母には「いつでも迎えに行くからTELしてね。」
と伝えてありましたが、結局知り合いの車で帰って来たとのこと。
私は我が家で作ったおかずを持って再度訪問。

遊ばせてもらったお礼代わりです。


財布は痛まなかったものの、パチンコ屋さんで時間を使ったことがその日の汚点のような気がして、落ちつかない気持ちで布団に入りました。
パチンコ・・・楽しいのですよ。
たまあに行って良いじゃないか?!みたいな気分なのですよ。
でも、時間を浪費した気分にも襲われるのです。
(自宅ではテレビの音声さえ、うるさく感じてほとんどテレビも見ませんのに、パチンコ屋さんの騒音には鈍感でいられるってなんなんでしょうねえ・・)
f:id:kyokoippoppo:20200127184346j:plain:w250:left三輪明宏氏だって書いておられます。
「まがまがしい場所には近づくな!」
と・・・。
パチンコ屋は、まさしく
まがまがしい場所でしょう。

義母の財布から出たお金なのを良いことに、ウホウホとついていき、遊んだ自分の根性も何だか嫌らしいよな。
そんなことを思ったワタシ。


そしてみた夢

 空を飛ぶ。青い青い海を俯瞰する。
海は美しい水色で、ところどころがレースのように白い。
横にはこれもレースのような白い線で描かれた「いか釣り船」の連なりが見える。

「美しい!美しい!」
と思いながら、快感に浸る。

まがまがしい場所へ出向いた私だったのに、こんな夢がプレゼントされて・・・ありがたや。

ああ、父の命日がやってくる。

命日は28日なれど、亡くなったのはおそらく27日の夜。
お線香をあげてから出勤いたしましょう。
・・・・・
とこんな下書きを書きながら、結局バタバタ時間に追われ、線香あげずに出勤。
帰宅後チーン。
  *   *   * 
「何だかなあ、パチンコに行くkyokoはどう思われるだろなあ。」
と思いながらも、『日記』というのはそもそも、その日の出来事を書くものであり、
元来他者に見せるものでもないわけですから・・

他者の反応を気にする自分を封じこめて投下!!

関東地方で雪の予報ですね。
こちら、今日もちょびちょびの降雪でした。

マイ バースデイ、そして見た夢の話

62歳になりました。

 今日は私の誕生日。
ホロスコープを作ってみました。

(チョコレートの部分には、私の旧姓が記載されていますのよ。)

作ったといっても落書きのようなもの。
眺めたところで、何の発見もありません。
今後の自分の人生、波風立たず平穏に過ぎて行くことが望みですので、ホロスコープを作ったところで、新展開の予兆を探す気持ちも乏しいのです。

生まれたときの星の並びや、現在の星の動きなどか地球上に生きる我々に実際影響を及ぼしているものか?
その確信も得ておりません。
が私は、自身と、我が子たちの誕生日にはホロスコープを作ってみるのです。

冬の始めに産まれた長男、冬のさなかに産まれた長女と私、冬の終わりに産まれた次男。

冬は占星術が身近になるシーズンなのです。

サビアンシンボル

 12星座×30度、合計360度にはそれぞれ、「サビアン・シンボル」というものが存在しています。
私の(というか1月24日生まれのほとんどの人)サビアンは
「先祖の委員会」です。
anmin579.com

先祖とのつながりが強いらしい。
kyokoippoppo.hatenablog.com

このブログは占星術について詳しく語ることを目的にはしておりませんので、
まっ、私のサビアン・シンボルはそれであるということたけをお伝えして話を先に進めましょう。
先に進めましょうと言っても、みた夢の話です。

知っているという確信と懐かしいという感情

 夢の話ほど伝えにくく、聞かされる立場としてはこれほどつまらないものはないといわれますので、
ここでさよならして下さってもかまいませんよ。
ここから先は、私の備忘録的な記事です。
(「つげ義治」氏は、夢の話を魅力的な作品に残した人ですね。
記事の末尾に貼り付けた『オモシクない自己満ブログですが・・・』で少々話題にしております。)


団地の階段の踊り場のような所から、私はある景色を見ている。
そこはすっかり整地され、建物の一軒すら存在しないのですが、道の痕跡から、
「ああ、花月園の母の実家の跡地だ。」

と思う。
「その家があった場所だ」
と。
のっぺりと白い、区画だけの土地を見て私は懐かしくてたまらない気持ちになる。

場所は変わるものの、そこは花月園の実家のあたりである。
両脇に木が立つ一本の細道が奥へと続いている。
これを見つけるや、その道は馴染みのある道だという確信があり、
「ああ!この道だ!」と思いながら進んでゆく。
それはとある神社へと続く道。

(実際には、そのような道などないのですが・・・・・。)


そして神社・・・・その中。
今となっては”暗い”という印象しか残っていないので描写はできません。
が、夢の中の私はやはりそこを知っていて、
「ああ!覚えている。」
と思う。


夢の中で感じる懐かしさや、知っている、来たことあるという感覚。
これってとても、面白い。
皆さんはこのような、夢の経験はありますか?

誕生日を迎えた日に見たこの夢と、自分のサビアン・シンボルが妙に関連して感じられ、今日の記事として残したくなったのです。

 神奈川 東京で暮らした歳月よりも、長くこの町で暮らす私ですが、
夢の中では横浜、新宿あたりをさまよっていることがあります。
大抵電車に乗っており、路線図を頭に描きながら帰る先を探していたりします。


kyokoippoppo.hatenablog.com
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よい記事に出会う喜び

北海道新聞の「読者の声」

 道新「読者の声」欄に寄せられた次の投書を切り抜きました。

共鳴てきる内容だったからです。
しかし、切り取った勢いのまま記事を書く流れを作れず、
数日が過ぎました。
でも何とか、気持ちを固めて今記事をしたためてゆきましょう。

願望

 麻生氏のこのような発言は、この度が初めてではありません。
総務相時代の2005年にも「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」という発言しております。

麻生氏は、日本民族優れた選民であると思いたい、そういうシナリオを手放せないがためにこのような発言をしてしまうのだろうと思います。

日本は島国であるあるため、そのように思い込みやすいのでしょうね。

”歴史が示す事実より、日本人の「純血」を信じたい”という思想は大変恐ろしいと思います。


麻生氏の発言に対して、静内のアイヌの方達が抗議をしております。

news.goo.ne.jp

向けられた抗議に対して「誤解が生じる発言ということなら、言い方に気を付け訂正せないかん」と述べた麻生氏ですが・・。

「誤解」という言葉で、受け取った側の問題にすり替えてしまうような発言も非常に残念です。

「日本人」であるこの方の、この答弁が、私には潔くは感じられませんでした。
誇らしい行いとは思えませんでした。

自分が立つ足元を見ずして、自分の内面にも目を向けず
「民族」とか「国家」という大きなものに飛躍して、美化し尊大な話をすることには大きな危険が潜むと感じてしまう私です。

で、今朝目にしたブログです。

心洗われた

ウナズキさんのブログです。
opop7976.hatenablog.com

心に残った部分を抜粋いたします。

こんな都会のそれも決して綺麗とは
言わない水路に、

しかも種を超えて、仲良くお互いの
テリトリーをわきまえて、

自然に生えた少ない餌を

取り合いすることなく、
静かに食んでいたので驚きましたした。

この風景は初めて見ました。


私たちでもこうしています。仲良くしてねと
物言わない痛烈な風刺を

私をふくめて人びとに向けられているように

感じられて小さなショックを受けました。


気まぐれで通ったという買い物帰りの道で見かけたカルガモと白鷺の様子から感じたことが、語られております。

この気まぐれな行動が、宇奈月さんの記事となり、その記事が北国に住む私の心にまで波及して、気持ちの良いさざ波を残しました。

新聞紙上の声や、ブログの中での声・・。
声高ではなくても、しっかりと芯を持ち、確実に気持ちに届く声。

今日はそんな声に励まされ、私もささやかな記事といたしました。

SILENT SNOW

2020年冬

 北海道オホーツク海沿いの我が町も、異例の冬でしで、雪が積もらず、春先に見るような全く勢いのない雪景色のまま日が過ぎておりました。
積もっても、20分も除雪すれば済んでしまうようなあっさりした雪ばかりでした。

休み明けのスキー学習は、町のスキー場がオープンできず、お預け状態。

音もなく降る雪

昨日は、静かな雪が終日降って、
ようやく「白一面」の世界となりました。






f:id:kyokoippoppo:20200121165834j:plain:w330:left今朝の我が車。
(年末にぶつけられた車です。
ようやく修理が終わって戻ってまいりました。)

ワイパーが窓に凍り付かないように、浮かしてあります。

でも今日は車を置いて、歩いて出勤しました。
雪の下は、わずかに降っては解けて固まる・・・を繰り返した黒々とした、氷です。
その上にふわりと積もった雪。
気をつけて歩かないとスッテンコロリンしてしまいます。


車で出勤した先生は、通勤途中で滑って路外に転がり落ちた車を見たとか・・。
「今朝は一台落ちてたわー。」
冬には珍しくない話題です。








f:id:kyokoippoppo:20200121165848j:plain:w400:leftようやく白い景色とはなりましたが、まだまだ足りないね。
いつもは、窓の半分を塞ぐような雪なのに。
庭のオンコ(イチイ)の雪帽子のさみしいこと。


雪の下で、春を待つべき秋撒き小麦が、むき出しのまま寒風にさらされ、ダメになってしまっているようです。
今年は国産小麦の価格が上がるかもしれませんね。


  *  *  *  *  * 

ドカ雪くるのか?

 やってもやっても終わらず疲労困憊、お手上げ状態の雪はもちろん歓迎しないのです。
歓迎はしないものの、だからといってこんな冬だと何だか緩んでしまいダルダルです。
ドカ雪になって、アドレナリン出しながら下着まで汗に濡らして除雪する・・・・
「いやいや、ひどいね。」
とご近所さんと挨拶を交わしながら除雪する・・・・そんな雪を待っているような、いないような私です。

今回はあっさりした記事なので、
YouTubeで見つけたピアノ曲を貼り付けておきましょう。
ギロックの小曲です。
ささやかなささやかな曲ですが、
二曲めの『THE SILENT SNOW』が好き。
www.youtube.com

この記事はそのまま、私の「音楽の部屋」にも使い回します。
kyokoippoppo.hatenablog.jp

追記

f:id:kyokoippoppo:20200121190824j:plain:w250:left

娘からも写真が送られてきました。
「ヤッホー!!待望の雪!!」

娘の育児日記から②

親バカなんです。

 娘の育児日記をネタにした第2弾です。
しょうもない話をしながらも、その日々は人生の彩りだと感じるし、なんだかんだ娘の絵や文章を読んでもらいたいから貼り付けるわけだし・・・・・結局親バカなんです。
親バカになる・・・ということがなければ、”子育て”なんてしんどいばかり。
だから、私が息子娘の様々なことを語るときは、内容がなんであれ”そういうこと”ですから・・。
そう前置きして、さあ!今日も語ろう。

 *    *    *    *
 子どもたちが社会に出るにあたって、私たち夫婦は無策でした。
将来の安定や備えのための知恵を授けるでもなく、学業の成績に頓着するわけでもなく、まあ子どもがやりたいことにはできる範囲で応えてやりましたが、それは幼いころの遊んでやったとか、連れて行ってやったという程のこと。

学校での学習についていけなかった長男と長女。
冴えた頭脳は持ち合わせていたようだが、素行に問題有りだった次男。

長男は中卒・・もうこれ以上机に向かって勉強したくないところへ、ピアノに目覚めた。(カテゴリ「長男のこと」に詳しい)
次男は高卒・・高校卒業後、専門学校へ進学するも中退。
それ以降バンド活動、古着屋、会社設立、フリーカメラマン、アイドル育成、借金苦の末・・なんと今は忙しいながらも裕福生活。
長女・・・高卒。卒業後は札幌に出てアルバイトで凌ぎ・・・その後結婚し一児をもうけるも現在は別居生活。

そんな感じですの。
「世間を甘く見ていたね。」と指摘されれば「さようでございます。」と言うしかありません。

過去記事は、娘の札幌での有り様が垣間見える記事です。

kyokoippoppo.hatenablog.com

娘の札幌生活は、転職につぐ転職、撤退につぐ撤退、といった風情で、婦人科系の不調も重なり、自活には程遠いものでした。
娘の根性も足りなかったのかもしれません。
しかし、わかっております!!アルバイトスタートで社会に出した親の責任も大きいのです。

娘は
「自分に自立は無理!!」
と言い切って婚活モードに向かい、早々とお相手をつかんだのでした。

で、今はその方とは別居中・・なんともはや・・といったところですが、
何ですかね、親バカですけどね。
娘は年々賢くなっているのですよ。
その考え方や、行動の仕方に私が感心することさえあるのですよ。
生まれてきた孫には申し訳ないけれど、「この道を歩かなければ、たどりつけなかったのだな」と思うのです。
「娘がこの地点にたどり着くためには、これだけの経験が必要だったのだな」と・・。
そんなこと思いながら、ある日の日記を御披露。(夫婦間の溝がまだ見えないころですね。)
子育てあるある(別の日の日記から・・)の絵も添えて・・・。

あの頃は・・・

あの頃は・・・
いま夫が東京へ出張中です。

娘を寝かせて1人の時間ができました。

《そういえば夫がいない夜で自分1人の時間ができたのは産後初めて!》
f:id:kyokoippoppo:20200118121952j:plain:w400:leftなんだか1人暮らしの時を思い出しました。

懐かしいなぁ。
当時は当時で大変だったし悩みもありましたが
今振り返ると、20代前半とても楽しかったなぁ。

好きな服着て好きな髪型して
志茂田景樹みたいな時期もあった)

好きな音楽聴いて

好きな人と過ごして

寝不足だって楽しさの一つだった。
エナジードリンク飲んでる私フィー!みたいな頭悪い時期もあった)

《今の寝不足は一週間引きずる。
立て直しに時間がかかりすぎて早寝厳守!!》
・・・・



f:id:kyokoippoppo:20200118122006j:plain:w400:left
今の生活・・・
ヒールは履けないし
揺れるピアスもつけれない。
BGMは「ノンタン」か「お母さんといっしょ」
毎日楽な服を着て、疲れないために!と頭を使い。
キラキラ女子とは程遠く。
夫に髭生えてると言われる始末ですが、、



f:id:kyokoippoppo:20200118122018j:plain:w300:right



今、幸せで安心で、バタバタしてるけどどこか穏やかで。
些細な喧嘩や不満はあっても毎日こうして過ごせることに感謝感謝です。


あの昔のようなパワーや思いを今はもう持っていないし、価値観や求めるものも大きく変わりました。
(戻れと言われてもこの楽を求めたスタイルから抜けれる気がしない)

だけど、あの時の自分を思い返すとなんだか少し寂しくなります。
歳をとったなぁーというのもあるし、もう戻れない!という思いかな?

なんとなく一つの時代が終わった感じといいますか。
人生ここからだけど笑

昔を思い出せば懐かしいけど、戻りたいとは思わない。
幸せなことだ!

撤退につぐ撤退とみえた娘の札幌生活・・。
楽しい日々でもあったのだなあ。
私が味わったことのない青春だなあ!!

娘の育児日記から①

誕生日

 私の誕生日が迫ってきます。
そしてその一週間後が娘の誕生日。
例年この時期には、娘の来し方を振り返ります。
特にこの冬は、娘の描いた「育児日記」を整理したことも手伝って、その思いはなおさらです。
kyokoippoppo.hatenablog.com


 その日記を、拝借して今記事といたします。
その前に
過去記事をまずは貼り付けましょう。
高校生のころ
「お母?何故私を産んだの?」
と問いかけた娘について書いてあります。

「生きていくのは大変だ。それなのに何故産んだ?」
「がんばりますから産んでくださいと頼んだわけではない。」
「それなのに勝手に産んだのだから、お母さんは子どもに『こうでなければダメ』とか『努力しろ』とかいうのはおかしい!!間違っている。」
という言い分でした。
怒りとしてぶつけてきたのではなく、”生まれてきた”ということや”生きていく”ということの覚悟が定まっていない自分を持て余しての発信だったと感じています。
そんなことが綴られている昨年の記事です。


kyokoippoppo.hatenablog.com

 そんな娘は、縁合ってある男性と結婚し、子どもをもうけたのでした。
もし将来自分の子どもから
「何故産んだ?」
と問われたら、私と同様
「できたから産んだ。」
という答えしか持たないでしょうね。

そんな娘の育児日記です。
文章はコピーの上、ところどころ削って提供いたします。
画像は原画を写真に撮り、これも名前が明かされているところはカットいたしました。
(ネットで探せば、素性は丸分かりでしょうが・・。)

子どもなんていらない

【あんなこと。こんなこと。】〜私の激変編〜
2017.05.12

f:id:kyokoippoppo:20200116183839j:plain:w400:left昔の私
私は子どもを産むまでなにが心配だったって

《愛せるのか?》
《私に母性はあるのか?》
ということでした。

子育て願望ゼロだった私。
友人との会話も

《子育てイヤイヤ!》
《自由なくなるのイヤイヤ》
《好きな服着て身軽に出かけたい!》
《好きに起きて好きに寝たい》

子育てなんて無理ーー!

産んでダメなら引っ込めるーってな訳にはいかないし。
一生の付き合いになると思うと背負うものが大きすぎる。

ビビる。ビビる。ビビりまくりです。

『子どもを産んだら変わるよ!』
『産めるなら絶対産んだ方が良い』
『絶対かわいい!』

セールスの押し売りの如く勧めてくる、母になった友人たち。

というか、私。
子どもがそんな好きじゃない。
f:id:kyokoippoppo:20200116183852j:plain:w400:left
温泉やバイキングで騒がしい他所の子を見ては
『うるせーなぁ。。』
と思っていたことも多々!
(心が狭くてごめんなさい)

赤ちゃんや子どもを可愛がる大人の温度にもついていけず

『やーん赤ちゃん可愛いー』
『子ども大好きー!』
なんて言ってる人を見るとなんとなくゾワッとしてました。

が、
が!!!
f:id:kyokoippoppo:20200116183904j:plain:w400:left
まぁ色々ありまして産んでみたら、、、
まぁなんということでしょう。

可愛いんですよ。
なんて可愛い生き物なんでしょう。
びっくりするほど可愛い。
今世紀最大に可愛い。

自分が子どもを産んでから他所の子も可愛い。
自分の子は宇宙一可愛い。

子どもの可愛いさは触れ合わなきゃわからないもんですね!

今では母性全開の私です。

母性全開、幸せロードまっしぐら・・となれば良かったのですが、色々ありまして
今は夫くんと別居中。
娘29歳のときの出来事です。
kyokoippoppo.hatenablog.com

落ち着いた話し合いの中で、二人が決めたことであり交流は続けているのですがね。
どうなっていくのかねえ。
来年の今ごろ、私はどんな記事を書くのかねえ??

直木賞受賞!!『熱源』

 先程、直木賞受賞作品が発表されました。
テレビの音声が『熱源』と伝え、私は「おおお!!」と声を挙げ、画面に駆け寄りました。
『熱源』・・・・昨年晩秋に読み終えた作品です。
夢中になって読み進めたわけではありません。
しかし、放り投げることなく、寝る前には手に取って毎晩ちまちまと読み進めました。

結果その物語は、点滴のように私の心に沁み入って、一つの磁場を作りました。

作品の受賞は、喜ばしいことでありながら、
何だか、
私の『熱源』がみんなの『熱源』になってしまうようで、ちょっと複雑な気持ち。
しかしね・・。
川越宗一さんの、他の作品は読んだことがない私。
いっぱしの「ファン気取り」をするのは間違ってますね。
川越さん!!受賞おめでとうございます。
www.shosetsu-maru.com
こちらの記事より一部抜粋いたします。

 九州にルーツを持ち大阪で生まれ育った著者が、北海道の先住民族たちの物語を書くことになったきっかけは、夫婦旅行だった。妻のリクエストで二〇一五年夏に北海道へと足を運んだところ、知られざる歴史と出合った。
「たまたま室蘭から足を延ばして、白老町アイヌ民族博物館へ立ち寄ったんです。そこに、ブロニスワフ・ピウスツキという人物の銅像があったんですよ。説明書きには、一九世紀末から二〇世紀前半にかけて活躍したポーランド人の民族学者で、アイヌを研究していたと記されていました。彼はわざわざ地球を約半周してきて、北海道の少数民族研究の先駆者になった。その歴史的事実に不思議さというか違和感を覚え、ピウスツキについて調べ始めたんです。その過程で樺太出身のアイヌ、いわゆる〝樺太アイヌ〟であり、日本初の南極探検隊に参加した山辺安之助という人物の存在を知りました。ピウスツキと山辺安之助が出会い、二つの人生が交差したポイントを軸に、物語を生み出せないだろうかという構想が生まれたんです」

過去記事の貼り付けが多いこのような記事は、ご法度かもしれません。
 でも、ここに『熱源』読後の私の発信を、再び掘り出して据えておきたくなったのです。
直木賞決定という記念の日に免じて、ご容赦下さいませ。
kyokoippoppo.hatenablog.com
「ウポポイ」は本日開館100日前ということで、こちらも本日の北海道ニュースの話題になっておりました。
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『熱源』を発端にして、アイヌ民族についての興味を強くした私でした。

せっかくですので、2日前のこの新聞記事も貼り付けておきましょう。(汚れたテーブルにうっかり置いて油じみができちゃった。)