私の歩みとして…④

東から西へ

 今朝、3月25日、カーテンを開けたら、
「おや!」
何と大きく長い雲。

東から西へと一直線!
「ほほう」
これ、先端部分に角でも付いていたらとびっきりの龍神雲ですわよ!
確かめたい。
確かめたい。
しかし窓からその先端は伺えず。
外まで出てみようかな?
だがなあ・・・夜間ストーブの設定温度を13度まで下げていた居間の空気は寒々しく、起き抜けの身体は急速に冷えてきて、
「ウウム迷う!」
でも、本日月曜日、ゴミ出しの日でもあります。
どうあれ外へ出なければならない日なら、雲の様子が気になる今行こうではないか。
そのように考え直して、防寒着を着込んで外へと出たのでした。
まずは東。
先端は少しずつぼやけ、朝の光の中に消滅しておりました。
お次は西。
いつも夕焼けを見に行く場所へ。

角付きの雲では有りませんでしたが、東から西へ一直線に伸びた雲はなかなか壮観で満足満足。
再び東へ身体を向けた私を、朝日がまぶしく迎えます。

足元に・・・

 その朝日を見やり、ふと足元を見ましたら…フフフ…龍神様こんなところに居られました。
歩道に解け残っていた雪。

「おいおい、上ばかり見上げているけど足元(現実生活)にも目を向けよ!」
ということでしょうか?
分かっていますよ。
だって私は昨日、不用品をいくつか車に詰め込んで紋別のリサイクルショップまで行ってきましたからね。えっへん!!

紋別

 身の周りをきれいにして、不用物を溜め込まないことの奨励は、スピリチュアルに限らず、よく聞く話です。
室内で目に入るものが、ゴチャゴチャと乱れていれば、心さらには潜在意識まで乱される、という警告はすんなり理解できます。
そうありたいと思いもします。
にも関わらず苦手な分野。
自分なりの努力はしているつもりなのですがね。
ということで作日は、春休み中の計画に組み入れていた不用品処分のため隣の市まで車を走らせました。
オホーツク海沿いの道。
信号もほとんどなくノンストップで走る道。
紋別は坂の多い町です。高台からはオホーツク海が望めてなかなか良いロケーションです。
しかしハンドル握る手を外してシャッターを切るチャンスはなく、ケンタッキーのお店の前からかろうじて撮った一枚がこちらです。
海には、帰りそびれた流氷が浮かんでおりました。

リサイクル店には不用の食器類の他に、プリンターとペット用のキャリーバッグも持ち込みました。
しかし、この大物2つは引き取ってもらえませんでした。
使用されたペット用品は、リサイクルされにくいらしい。
なるほどね。
メルカリで検索してみても、たくさん品物が出ているものの買い取られているものは極端に少なかった。
プリンターは町の小型家電のリサイクルへ持ってゆきましょう。
ペット用キャリーバッグは、ゴミとして処分することにします。
あっ、そうそう、店での売上は300円也でした。
我が家の不用品などこんなところでしょう。

クリーニング

 『ホ・オポノポノ』のクリーニングも自宅の片付けも、たゆまずボチボチ続けてゆきましょう。

龍神雲が龍神様の顕現なのか?
分かりません。
『ホ・オポノポノ』の4つ言葉が私の潜在意識に作用しているのか?
分かりません。
想念が変われば現実が変わるのか?
分かりません。
私の未来の予想図は?
分かりません。
生まれた時の星の並びが人生に作用しているのか?
分かりません。
手のひらのシワは、その人の人生模様を映し出しているのか?
分かりません。

分からないことだらけ。
だから不安。
でも、そこには不安ばかりでなく、未知なるものの面白さもあるのです。
『ホ・オポノポノ』関連のYou Tube動画から、スミレアキコという方を知りました。
毎日一つ二つと動画を視聴しています。
www.youtube.com

こちらの動画で、彼女は何度も何度も、
「スピリチュアルを、エンターテインメント止まりにしてしまうのはもったいないよ!
と語りかけていました。
スピリチュアルは人生の役立ちになる。
彼女はそう言うし、彼女はそれによって人生を立て直し今を生きておられます。
とはいえ、スピリチュアル界で出会ったメソッドが、誰かに良き作用をもたらしたからといって、万人に同じ作用をするわけではありません。
それをしっかりと納得したうえて、私はゆっくりと自分の歩みを楽しみたいと思います。
いや、楽しみばかりではないかもしれませんがね。
なるべく、そんな思いで一日一日越えてゆきたいです。

彩雲

 まぶしい日差しの中、農協店舗までお買い物。
晴れの良い天気ながら風強く、空気は冷たい。
見上げた空に見事な彩雲が。
声を上げる程きれいな彩雲が現れました。
が、そうなの!風強し!
スマホを持ち出したときは、雲は位置を変えていっときの彩りは消えてしまいました。
それでも、名残の雲をパチリ!

先ほどの見事な彩雲は、空からの私だけへのプレゼントとして心に残しましたよ。

一連の記事。
本日で一区切りといたします。
辛抱強く読んでいただきありがとうございます。

自分の歩みとして…③

 このタイトルでの記事も三つ目となります。
一年以上前の記事に残した文章の紹介からスタートさせましょう。

目の前でとびっきりの奇跡が展開しなくても、引き寄せとやらで願望通りの富が転がりこまなくても、自分が、「大いなる源」と繫がる存在であることを受け取ることができるのか?
スピリチュアルを知るとは、それに尽きるのだろうな!
そう気づいた次第。


kyokoippoppo.hatenablog.com

スピリチュアルを知るということはここへとベクトルを向け進んでゆくこと。
そのように捉えたのです。
もちろん当時も今も、この道の途上にあります。
「神」というイメージも定まっていませんしね。

で、ですね、その「大いなる存在」(神とも呼ばれる存在)はどちらにいらっしゃるのか?
ということなのですが、どうもその存在は遠いお空の彼方にいらっしゃるのではなく、人の中に内包されている、そのような言説に触れるのことが多いのです。
人間ひとりひとりが神様の分け御霊であると。

これに関しても私は、それを確かだ!と受け取る感覚など持ってはおりません。
しかしながら、私たちは地球という環境にたまたま生まれ落ちた「人間」という名の哺乳動物なのではなく、地球という星を選び、何らかの意思(思い)を持って生まれてきた存在であるということを、実感として捉えきれないながらも受け入れてはおります。
そりゃそうです。
せめてこれくらいの思いがなければ、気持ちがスピリチュアルに向かうわけありませんものね。

 では私たちは、この地球にいったい何をしにきたのでしょうか?

で、これもスピリチュアル界で目にし、耳にした情報によると、肉体的、物質的、精神的…様々な制約のある世界を体験するためにやって来ているというのです。
ですから、その人生模様がいかなるものであろうとも、生きて「体験」をしていさえすれば、それはもう素晴らしいのだそうですよ。その素晴らしさの価値は同じなのだそうですよ。
そうかあ。
そうなのかあ?

とはいえ自我を携えてここにいる私は、自分にとってのより良い生活を当然目指すのですし、安心を手に入れたいし、どんな体験も価値があると言われても辛い体験はまっぴらごめんなのですよ。
で、「引き寄せ」などという言葉にまさしく引き寄せられたりしたものです。

一方で、現実面での渇望や欲望というご利益的なものが、「精神世界」と安直に結び付くということに対して、疑念も湧いたりもするのです。

このような疑念を抱きつつも、
私自身がスピリチュアルに寄せる思いの中に、心配事から開放されたいというご利益的な願望を持っていることは確か。
そこは、正直に認めましょう。

しかしそれだけではなくスピリチュアル界の未知なるものを知り、自分なりの手応えをつかみたいという探究心のようなものも共に抱いていることも確かなのです。

その探究心のもと、現在実践しているものが、『ホ・オポノポノ』のクリーニングです。
『ホ・オポノポノ』の詳しい説明は省きますが、骨子となるのが言葉によって自分の潜在意識をクリーニングし整えてゆくという行為です。
「ごめんなさい」
「許して下さい」
「愛しています」
「ありがとう」

この4つの言葉を言葉にするも良し、心の中で唱えるも良しというもの。
一定の言葉を唱えるというという点では「ありがとう」の実践と大変似ています。
働き方としては同じものと捉えて良いのではないでしょうか?
一定の言葉を日常的に口にし、心で呟くことで、言葉(言霊)が点滴のように潜在意識に浸透してゆく。
それにより潜在意識がゆっくりと変化してき、それが現実面での変化を生む。
そのような仕組みなのだと理解しています。

「ありがとう」実践から
「ホ・オポノポノ」の実践へと興味が移ったきっかけが何だったのか?
覚えていないのですが、何か惹かれるものがあったのでしょうね。
(「ホ・オポノポノ」の本はかなり前に読んだことはありましたが当時はそれっきり。)

とにかくこの言葉は、外へ向けてではなく、自分の内側(内なる子ども)へ向けて発信します。
また、自分の目の前の現実は全て自分の内側(記憶)から生まれていると考えるのが大きな特徴です。

自分の記憶が現実を生む?
何故?さっぱり分かりません。
分からないながら実践中の私です。

この実践を始めていることは、今までの記事で少々匂わしておりましたが、ようやくここで『ホ・オポノポノ』という言葉を明かすことができました。

ある特定のメソッドを採用することで、スピリチュアル界をしっかり俯瞰することなく狭いハウツーへなだれ込むのではないか?
そのような印象を持たれるかたもおられるかもしれませんね。
仕方ないことかもしれません。

 しかし、私はスピリチュアルを広く知るための手がかりとしてここを選んでみました。
当たり前のことですが、スピリチュアルを知り、自分の人生を豊かにするために「ホ・オポノポノ」が唯一の方法なわけではありません。
また、それとの付き合い方も間違えば道に迷うことでしょう。

まずは、「言葉」を自分に向けて発信する…この行為の行方を確かめてみることに絞っての実践です。
ホ・オポノポノでは、4つの言葉の他にも様々なクリーニングツールがあるようですが、それにも今は手を出さず。


最後に先週末22日の夕日の写真を貼り付けておきますね。

関連の記事、もう1回くらい書く予定でおります。

自分の歩みとして…②

スピリチュアルな世界と私

 こんなことを書いてゆこうとしているのです。
興味ナッシングの方はスルーして下さいね。

まずは足元から確認していきましょう。
生い立ちに沿いながら…。
幼少期
「お父さんとお母さんが結婚しなかったら、私はいないのかなあ?」
「それでも、別のどこかの子どもとして生まれたのかなあ?」
「どうして私は私なのかなあ?」
「死んだら私はどうなるのかなあ?」

そんなことを考えていました。

これを読む皆さんはいかがでしょうか?
漠然とであれ、誰でもこのような疑問を抱いたことがあるのではないかしら?

我が母に問えば、母の考えは揺るぎなく
「人は無から生まれ無へ向かう」というものなのでした。
お父さんとお母さんが結婚しなけりゃあんたはいない!
死んだあとは「無!」とね。

さてその後、高校の卒業時、卒業文集に私は、
「不思議なものへの興味を持ち続けたい。」
と書きました。
不思議の国のアリス』の読後のこと。
改めて夢って不思議だなと思ったのです。

何で荒唐無稽な夢をみながら、何故夢だと気づかないのだろう?
夢ってどこからやってくるのだろう。
将来の夢と、眠りの中でみる「夢」…同じ「夢」という言葉で表されることに意味はあるのかな?

高校卒業後、私はとある新興宗教の世界をちょいとのぞいています。
ここでの不思議体験は今はまだ語らず。
短大の図書室にあった林竹二の写真集を手に取ったのはこの頃。
林竹二の教育実践は、スピリチュアルと何ら関わりはありません。
ただ、この写真集との出会いは、その後太郎次郎社の『ひと』という雑誌購読につながり、鳥山敏子氏の教育実践やシュタイナー教育の興味へとつながっていきました。

シュタイナー教育を、ストレートにスピリチュアルの世界と結びつける方は少ないとは思いますが、ルドルフ・シュタイナーはご自分の持つ霊的な能力を教育の他にも建築、医療、農業など様々な分野に生かした人物です。
kyokoippoppo.hatenablog.com

私は、スピリチュアル的なものへの親和性をもともと持ってもいたし、温めてもいたし、ほんの少しずつながら育ててもいたのだなあと思います。
 

テレビ番組や本の中で探ったスピリチュアル

 今日のようにSNSで情報を知る以前の私の情報源は、テレビ番組や本でした。オーラの泉
おもしろかったなあ。
宇梶さんが出演した番組は特に印象的でした。

www.youtube.com

アイヌの聖地に家を建てた佐藤愛子氏が体験した霊現象の話も興味深いものです。
kyokoippoppo.hatenablog.com

 今や潜在意識(無意識)の存在を疑う方はおられないでしょう。
カール・グスタフユングは個人的な潜在意識の更に奥にある集合的無意識について言及した人物です。


(写真はこちらの本のページより)

人は不意に生まれて一代限りを生きて無に戻る存在でないことを端的に示しているといえないでしょうか?
私たちの中には、膨大な記録保管庫が埋め込まれているようですね。

同じくユングが発見した「共時性」。…意味のある偶然の一致。
www.oya-bunko.or.jp

スピリチュアルの世界でお馴染みの「シンクロニシティ」の出どころはここなのです。
スピリチュアルの世界を、荒唐無稽として退けることはできません。
慎重な姿勢で、自分の感覚を大事にしながらゆっくりその世界を知っていゆきたいと思っています。

 *  *  *
 本日、春分の日
西洋占星術における牡羊座の領域に太陽が入る日。
宇宙から降り注ぐエネルギーの質が変わり、年が切り替わると考えてられている日なのです。
資源ごみを出すために外へ出たところ、キタキツネ君に遭遇しました。

自分の歩みとして…①

 スピリチュアルに関連するこのような記事を、書き残したいと思いつつも、なかなか踏ん切りがつかなかったのは、自分の中に未整理な部分が残っていることに加え、やはり他者の反応が気になったからです。
 何を今更?と思われるかもしれませんね。
これまで「スピリチュアル」に関わることをことさらに封印してきたわけではない私。
ここ数ヶ月は、雲の形が龍に見えれば「龍神」と称しアップしてきましたし、彩雲や虹の出現を気象現象以上のものとして喜ばしく受け取り、報告してきたわけですから。

 数ヶ月前に前のめりな気持ちで1回書いて、すぐに取りやめた
「スピリチュアル界隈」を巡るkyokoの物語。

kyokoippoppo.hatenablog.com
kyokoippoppo.hatenablog.com
しかし、kyokoはその界隈を未だ巡っているのです。

 そこで得たもの感じたことを、折に触れて書き、足跡として残しておくことにしました。
先に書いたように、数日間躊躇いの中を漂いました。
「スピリチュアル」に引き寄せられる自分が他者にどう思われるのか?
では、何故ここにおいて私は、「他者の反応」を気にするのか?
この「何故?」に私の持つ種があるように思うのです。

生きてゆくのに「スピリチュアル」を必要としない人はおおぜいおられる。
それでも、明るく安定した暮らしを営んでいらっしゃる。
もちろん明るく安定した生活の中にもままならないことは発生しているはずですし、悩みを抱えていないとは言い切れないのですが、生きていく上で「スピリチュアル」は必須アイテムではないのです。
片や生きていく過程で「スピリチュアル」に引き寄せられる人々も一定数存在します。
絶対とは言い切れませんが、多くの方が
不安から脱したい!
苦痛から逃れたい!
幸せを手にしたい!
という願いを強く持っているように思います。
もちろん私もその一人。
場合によっては藁をもすがる思いでそれを求める方もおられるわけです。
結果その界隈で難民化し、果てにその人にマッチしない館に入り込み、グル的な存在に取り込まれてしまったり、セミナー料や、グッズや、アイテムやらを求めすぎて、身動きが取れないという末路に追い込まれることもあるようです。

私の躊躇は、自分がそんな‘”危うい人”に見られないか?
現実から遊離して曖昧な世界を彷徨う”痛い人”に見られないか?
という怖れから生まれているのです。
ということはそのような眼差しを私自身が持っていることの証でもありますね。
ても、そのような眼差しを携えてこの世界をのぞき見ることは決して悪いことではなく、寧ろ安全歩行に必要な姿勢だと感じております。

 スピリチュアルは目に見えない領域を扱う分野です。
潜在意識とかいう、そもそも人が感知できない領域を語る分野です。
生前の記憶、生まれてきた時の約束、死後の世界、霊の世界、神様、龍神様…。
在るのか無いのか?
居るのか居ないのか?
信じて良いのか悪いのか?
そのようなものが扱われている領域なのです。
未知なものに溢れており、私のようなものが、迂闊にさまよえばあっと言う間に迷子になりそう。

しかし、私はそこに興味を抱き、足を踏み入れました。
私はきっとそういうことに関わる人生を選んできたのだ、と思うことにしました。
まだまだほんの入り口です。
入り口だから安心でもあり、入り口だからまだまだ何も分かっちゃいない。

そんな私の「今」をやはり時々は発信していくつもりです。
それは、何より自分のため。
自分の居場所に、まずはしっかりと錨を下ろして固定するため。
この界隈において、私の居場所は「ここです。」と確かめるため。

そこの景色をしっかり眺め、自分の感覚とすり合わせるため。

この記事(ブログ)をそのためのツールとして使います。

自分の実生活の陸地に港を持ち、灯台を設置し、安全に行き来をするつもり。

「スピリチュアル」に関する記事を時々綴ります。
私が私のために書き残すもの。
苦手だな、と感じる方はすっ飛ばして下さいね。
 

 先週金曜日は学園の第1回卒業式でした。
素晴らしい式でしたよ。

壇上に飾られた花をほんの少し分けてもらい、持ち帰りました。

風邪は抜けたが風が冷たかったよ

今週のお題「小さい春みつけた」
再びこのお題も兼ねての投稿です。

 前回の記事は風邪をひきました、という内容のものでした。
その後順調に脱して元気回復いたしましたよ。
ご心配や励ましをいただきありがとうございました。

私の風邪は抜けたものの、本日吹きすさんだ風。こちらは強烈に冷たかった!

放課後通学バスに乗りこむ子たちを見送るために外に出た際も、足踏みして動き回らなくてはならないほどの寒さでした。
もちろん、防寒着は着込んでいましたよ。

そんな寒さではありましたが、退勤時南向きの塀のそばに見つけました。
今年初めての花!
塀からの温かさを受けとめて、この場所は毎年早々と緑が顔を出し、花が咲くのです。

ヒメオドリコソウかな???

 そしてこちら。

これのどこに春を感じるか?
こちらはアスファルトの熱を受けて、路肩で薄く浮き上った状態で残っている氷なのです。
私はそれを見ると割って歩きたい。
パリンパリンと薄いおせんべいをかじるような音がして壊れていきます。
壊れた氷は日差しを浴びれば、どんどん解けて小さくなっていくのです。

当地の春を感じる話題でした。

 夕方空が明るんでいたので、スマホを手に、冷たい風吹く外へと繰り出しました。

赤い夕陽。
そして、顔だけ龍神雲。

いかがかしら?
ん??
こういうラインで雲を眺めれば、
立派な龍神様になりますわ!!!


美しい空よ!
ありがとう。
慰められたよ。
また明日。

かじぇをびきばぢだ…グシュ

今週のお題「小さい春みつけた」も兼ねて!

 風邪をひきました
金曜日の朝、鼻水チョロリから始まった症状。
放課後にはひっきりなしに水っ洟が流れ落ちてきて、手持ちのティッシュも使い切り、担任や同僚のティッシュまでいただく始末。
以前も似たような記事書いたよな….。
kyokoippoppo.hatenablog.com

おお、1月の21日にも似たような症状で臥せっていたことが分かりました。

この度は、臥せるほどの不調ではなく、ただただ鼻水を拭うのみ。
のみ…とはいえ、目はクチャクチャ、歯が浮いたようになり、肩も凝り凝りの休日となりました。


 そんな中ですが、いくつかの写真を残しました。

東向きの窓から見えた朝日。
休日の朝、目覚めて東の窓に寄ったタイミングでこれと出会ったことが嬉しくて写真に収めました。


こちらは、その前日金曜日の退勤時に収めたもの。
鼻水垂らしながらも郵便局まで歩き、お向いの神社に寄って、帰路についたときに目にはいったものです。
春特有の路肩のの汚れた雪。
しかし、日差しを受けて解けては固まりを繰り返してできあがるつららは、ピカピカ透明で美しい。

目を向けながらも二三歩足を進めましたが、立ち止まり、引き返し、身を屈め写真に収めました。


これは義母宅で見つけた氷。
これも面白い形でとけていて小さなオブジェのよう。
パチリしました。

 風邪の症状は抜け始めています。
週末に風邪ひいて、週明けには仕事に向かえる私の身体。
ありがたい!
あと9日の勤務をこなせば春休みとなります。
新年度が目の前です。

見つけてごらん

新月に向かう月

 朝、5時に起床後、着替えを済ませると私は、東の部屋の座卓へ向かい線香をあげます。
そこから一日をスタートさせるのです。
昨年末から再開させている習慣です。
kyokoippoppo.hatenablog.com

明け始めた空に見つけた繊細な姿の月を写真に残し、記事にしたのでした。

朝の習慣に伴い、東の空へと目を向けることも多くなり、その後も新月に向かう細いお月さまを見ることが叶いました。

で、今朝も…
外はすでに明るくなっています。お月さま見つかるかしら?

新月は3日後の10日です。
占星術でいうところの魚座の場所で起こります。

お次は・・・

 さてさて、その後の私・・・・ざっくりとお化粧して、台所仕事終わらせて、食卓テーブルに座り、次はしばしのリラックスタイムです。
www.youtube.com
静かな音楽を聞きながらゆったり呼吸し、気持ちを整えることにしています。
瞑想の域には達しておりません。

かわいい雀

 そしてようやく朝ご飯。
大抵トーストとコーヒーという簡単なもの。
昨晩の残りのおかずやら、夫のために用意した昼のおかずの余分をいただくこともあります。
今朝もそんな朝食をとり、庭を眺めておりましたら、
おや!庭に設置してある餌台に舞い降りた雀が目に入りました。
彼らも朝ごはんタイムなのね。

フライを作る際に余ったパン粉とか、トーストを食べ終わった皿に残ったパン屑とか、賞味期限の切れてしまったパック麦茶の中身とか、そのようなものをタッパウエアーに集めています。
雪深い頃は餌台までたどりつけなかったのですが、春が近づいて雪は解けては固まりをくり返し堅雪となっています。
先日それを餌台に提供したのでした。
それも既に食い尽くされ、底をつく寸前でしょう。
それでも台の隅をつつくようにして数羽の雀が餌をついばんでいたのです。

おや、可愛らしい。
スマホを手に静かに静かに近づいて・・・・・・パチリとやったと同時に飛び立った。
見つかるかしら?


朝日

 朝の明るさが増しています。
日の出の位置も日々変化しています。


窓の端から差し込む朝日。
数日後には更に北へと移動し、窓のフレームから姿を消すことでしょう。
次回の「新月へとむかう月」を私は見ることができるでしょうか?
もちろん早起きさえすれば見ることは可能でしょう。
でも今のままの起床時間でしたら、か細い月は私の目覚めを待つことなく朝の光の中に没してしまうのかもしれませんね。

さあ!
餌台に新しいパン屑おいてやり、それから出勤いたしましょう。
眩しい朝日の中を!
気温はマイナス10度・・・・朝はまだ厳しい寒さです。


朝の下書き、夜の投稿となりました。
月の写真も雀のものも不明瞭なものだったので、ウフフこんなタイトルに・・・。