ウヤミリックとブウタロウ

毎晩少しずつ『極夜行』を読んでおります。
kyokoippoppo.hatenablog.com

ページをめくる度の失望

『極夜行』にすっかり魅せられています。(貼り付けたものとは別の)前回のブログで私はこう書いています。

角幡氏はたどりついた拠点から、一か八かという覚悟でさらに北を目指しました。
食料となる獲物を手に入れることはできるのか?という緊迫した場面で昨夜は本を閉じました。

その緊迫感を共にしながら読み進めました。
ページをめくる・・・・失望
ページをめくる・・・・失望
ページをめくる・・・・失望
次第にじりじりとし始め、苦しいような気持ちになり、そのうちページをめくるとすぐにそのページ全体に目を走らせずにはいられなくなりました。
とっさに希望の芽を探そうとするのです。
サッとです・・・
サッとみて手応えがなさそうだなとなると、はなから失望を携えそのページに向かうようになりました。心はざわつき切ないのです。
傍観者たる私でもそんな具合なのです。
現地でその時を重ねていた角幡氏の失望の深さはいかばかりか!

旅の相棒

 旅と呼ぶにはあまりに過酷なこの行程の間、常に角幡氏に沿い、行動を共にした心強い相棒がおりました。
「ウヤミリック」という名の犬てす。
氷に閉ざされた極寒の地、しかも極夜の暗い道中を忠実に橇を引きながら北の果てまで来たのです。
ゼーハーゼーハーと荒い息を吐きながら荷物を引っ張ってきたのです。
リザードの猛吹雪の中もテントの外でじっと待つ犬。
角幡氏の排泄物もエサとして喜んで喰らってしまう犬。

 その犬の食料となる獲物が全く獲れない日が続いていました。
そればかりか、今後の旅の日程によっては角幡氏自身の食料も心細くなってきました。
(そうなってしまった理由があるのですが、あらすじは必要以上に書かないようにしますね。)

 ウヤミリックが息絶え、角幡氏の食料と化すのも時間の問題となってきたのです。

ウヤミリックよ

 絶対に犬を死なせない、旅を終わらせないと固く決意してここまで来たが、現実として獲物がとれず、暗闇のなかで体力がむしり取られていくうちに、私は犬の命や自分の旅に段々無関心になっていった。そしてもはや犬の死肉は完全に計算のうちに入っており、犬が将来死ぬことを想定することで私は自分が死ぬ恐怖から逃れることができていたのだ。

 犬はげっそりと痩せこけ、惨めな身体つきになっていった。前日よりも明らかに腰回りの肉が削げ落ちており、日一日と小さくなっていくのがよく分かる。雄々しい狼のようだった顔つきも飢えた狐のように卑屈になっていた。
 身体つきだけではなく行動にも今まで見られなかった顕著な変化が現れていた。私に物乞いのような仕草をするようになったのだ。
 前日の行動中に休憩しようと橇に座って行動食の袋を開けたときだった。犬はゆっくり立ちあがり、のろのろと私の横にやって来て、お座りの姿勢をしたまま、カロリーメイトやチョコやナッツを頬張る私の様子を、力を失ったくぼんだ目でじーっと見つめたのだ。

涙腺崩壊です。

 角幡氏は犬の身体を頻繁にさわり痩せ具合を調べます。
触られるのが大好きなウヤミリックは恍惚の表情をして目をつぶります。
しかし、その尻や骨のまわりにも肉はほとんどなくなっているのでした。
毎夜犬の死を想像し、眠れぬ夜が続きます。

生きている犬

 ウヤミリックのことではありません。
ウヤミリックも含む、極北の村シオラパルクの犬たちのことです。
この村の犬と人間との関係です。
角幡氏はこれを‘’欺瞞の無い関係”と表現しております。

 厳しい土地で生き延びるため村人は犬を必要としており、犬はなくてはならない働き手であり、協同の生活者でもあります。
そこには、欲望・・・・・一方的に可愛がったり、愛玩物としてねじ曲げ作り変えて自分の満足に代えるような行為・・・・が入る隙はありません。
村の犬たちは、言うことを聞かなければ殴られもし役に立たなければあっさりと絞殺される、そんな存在です。
 一方犬たちにしてみても、人間の役に立つこと、役立とうとすることでその生存権を確保するのです。
ここでは生きることが最上位の徳目である」と角幡氏は書いていますが、それは人間と犬双方にいえることなのです。
文明圏での犬の多くが歪んだブリーディングによって産み出され、生かされていることに比べればシオラパルクの犬たちはるかに自律的に生きているといえるでしょう。

ブウタロウ

 私は今、布団に足を突っ込み座椅子にもたれながらスマホを操作してブログの下書きを打っております。
我が家のわんこブウタロウはその布団に乗っかり、一心に自分の手や腹周りを舐めております。
チワワとパピヨンのミックス犬だとのこと。コンパクトサイズのわんこです。
まさしく愛玩犬として産まれた犬。
次男がペットショップで一目惚れして衝動買いしたわんこです。
川崎に拠点を移した今はそばに置けないということで我が家で預かっているのです。
ストーブの前が大好きで、いつも呑気そうに眠っており、毎晩私の布団にもぐってきてはホカホカの身体を寄せて眠るのです。
ですから本書で、うなりをあげテントも埋まる程の強烈なブリザードの場面を読んだとき、私は、ウヤミリックが外に放置されていることが信じられませんでした。
テントに入れてやらんのか!と・・・・。
しかし、
シオラパルクで育った犬はそんなところへは入らんのですね。

 いよいよ肉が削げ落ち、寒さに帯する耐性も弱り震えているウヤミリックに角幡氏が、「中に入れよ」と声をかけ促したときがあったのですが、ウヤミリックはテントの中を嫌がり入ってはきませんでした。狭いところに閉じ籠る習性がなかったからでしょう。
 我が家のブウタロウとウヤミリックは全く別の生き物です。
そして私はウヤミリックのような”別の生き物たる犬”を全く知らなかったことに気づきました。

 ブウタロウの重さと温かさをそばに感じながらこの体験記を読む私は、健気なウヤミリックを思い愛おしみ、日々弱っていく姿に心痛めたのです。

で、ウヤミリックはどうなったのか?
二人のその後について・・・それは本書にてお知りになってくださいませ。

娘の誕生日

出産そして誕生

 毎晩少しずつ『極夜行』を読んでおります。
角幡氏はたどりついた拠点から、一か八かという覚悟でさらに北を目指しました。
食料となる獲物を手に入れることはできるのか?という緊迫した場面で昨夜は本を閉じました。

 さて、この本には序章がありまして、そこでは順調にお産が進まず、大変苦しまれる奥さまの様子と喜ばしい誕生の瞬間が伝えられています。
命が命を生み出す場面に立ち会いたく、また奥さまの力になるべくそばに添った角幡氏てしたが、出産という母子の命がけのたたかいに手を出すことは全くできなかったと書かれております。
出産というのは、自分の今までの探検体験なども及ばないほどに命がけで、孤独な闘いであると感じた角幡氏だったのです。
冒頭のこのシーンが、このあとの本編である「極夜体験記」とどのようにつながってゆくのか?今はわかりません。
それも楽しみにしながら読み進めているところです。

何故産んだの?

 本日1月31日曜は娘の誕生日です。
この日を迎えると、私はいつも思い出すのです。
なんで私を産んだの?
と問われたときのことを・・・。

 それはずいぶんと前、2007年のこと。
娘は高校2年生でした。
3年生への進級も間近に控え、卒業後の進路をそろそろ決めてゆかねばならない時期でした。
「どうしよう」
「何をしよう」
「自分は何をしたいのか?」
「あれはヤダ」
「これはダメ」
「努力なんてしたくない」
「したって仕方ない」
「私には何もない」
進む方向が定まらず、もんもんとしていたある日、娘はポロンともらしました。
「お母。何故産んだの?」
「え!?」
一瞬言葉につまってしまいました。
「すごくめんどくさい。生きていくって大変だ。
なのに何故産んだの?」

それは、責める言葉ではなく、素朴な疑問として投げかけられました。
私は正直に「できたから産んだ」と答えました。
そうとしか答えられませんでした。
事実そうだったからです。
「私は生まれたいと思ったわけでないのに、気がついたら生まれていて、周りから『勉強しれ』だの『努力しれ』だのって言われるのおかしくない?産んだのはお母さんなんだから、私がどんなでも許すのが本当じゃない?」
「十分許してるでしょうが。」
「ちがくてさ、‘’こうすべき‘’とか言うのおかしくない?」
「たとえばさ、親がさ、こういう子ならいいけど、こんなんじゃダメっていうことは言っちゃいけないと思うんだ。ホント‼️そう思うよ。そうじゃネ?」

 つまり、子どもは産まれるとき、覚悟を持って産まれたわけでもないのに、大人は自分が産んだ責任には一切触れず育てた恩を語ったり、子育ての大変さを子どもに向けてことさらに発信したり、子どもに当然のように何かを要求する・・・・これは絶対おかしいというわけです。
私はその通りだと思いました。
でもだからといって娘の荷物を代わりに背負うことはできません。
「それはその通りだけど、だからってお母さんに何ができる?お母さんだって気がついたら産まれていた。この点ではこの世のすへての人が平等なはずだよ。」
こんなやり取りがあったのでした。

このような会話をどう感じ、どう受けとるかは様々てしょう。
私はもちろん喜ばしいできごととは思いませんでしたが、「なるほどね」と思ったのです。
私も親に対してこれと似たような思いを感じたことはあったはずです。
しかし、このようなことを親に向けて発するなど考えもしませんでした。そんな自分のありかたが、決して良いばかりとはいえないと思ってもおりました。

強制的贈与

 こんなことがあった数日後、娘が語ったことと同じ意味を持つ文章に出会いました。
芹沢俊介氏の『解体される子どもたち』という本の中にそれはありました。

共時的とも思えるタイミングで興奮したのを覚えております。

 子どもはイノセンスであるというのが、私たちの(執筆にかかわった他の著者たちも含めての)子どもについての観点である。イノセンスとはこの体、この性として、この家族に人間として産み落とされた(分離された)ことに対して、「そのままでは引き受けられない」という心的なあり方を指している。言い換えると子どもという存在は、親から「そのままでは引き受けられない現実」を強制的に贈与された存在ののことである。誕生は自分の意志の外の出来事である。自分がうまれたこと、およびそれにともなう外=親からのこうした強制的な書き込み、すなわち暴力。これが誕生という母胎からの分離劇における主人公である子どもの内的構成である。

 母親は、乗り越えた苦労と苦痛の末に生まれた新しい命を喜び、誇らしさでいっぱいになるものですが、子どもにとっての「誕生」を客観視すれば、それは親から与えられた「暴力」だといえないか?
と芹沢氏は言うのです。
暴力という言葉には抵抗も感じる方も多いと思いますが、相手から「生まれたい」という確認をとれないうちに生み出していまうという点では一方的であるわけで、芹沢氏は相手の意志におかまいなく「生」を与えるという点で、それを強引な贈与=暴力ととらえるのです。
子どもは「それ」をそのまま受けとるわけにはゆかない。
そこで無力で泣くばかりの状態を親に投げ出し、親から与えられた暴力にまず対抗する。
その後に続く親にとってはままならなさの連続といってもいい子育ても、子どもから戻されてくる対抗暴力(一方的に産み出されてしまったことに対する抗議)と考えます。

親がそれを、肯定的に受け取ることによって、子どもはようやく自分が生まれた現実を受け止めることが可能になる。
逆をいえはそうしない限り、子どもは自分の誕生を受容できないというのが芹沢氏の持論です。

子どもは親を選んで生まれてくるという考えもあり、霊的な次元ではそういうこともあるのだろうと思う私です。しかし、私たちが通常自覚しうる次元でとらえれば芹沢氏のこの持論はおおいに共感できるものでした。

産んで母になった娘

 さて、そんな日から12年が経ちました。
「私には何も無い」という気持ちを長く伴いながらも娘は生きてきて、今は一児の母親です。
できたから産んだのです。
『かわいいかわいい』といって育てています。
生きていく苦労も十分にあり、大きな選択を迫られている今・・・それでも、面倒でままならない生活から逃げずに日々を送っている娘です。

※「産む」と書いたり「生む」と書いたり不統一です。あまり深く考えず気持ちにフィットした方で書きました。
 
今朝起きてびっくり!!再びの吹雪模様です。
先週の木曜日、私の誕生日も吹雪でした。休校になるかな?大丈夫そうにも思うけど・・・・・。


追記
吹雪はぱたりとやんで、いつも通り職場へ・・。
そしてスキー学習も行われました。リフト一基の小さな山ですが、平野の先のオホーツク海がきれいに見渡せました。
さらに先には流氷の帯が見えるのですが、撮影技術が未熟なものでこんな写真となりました。


2月10日の追記
 読者になっているgoldheadさんの新着がこのようなタイトルでした。
goldhead.hatenablog.com
 この方が以前から”反出生主義”に関わる記事を書いておられることは知っておりましたが、私がこの記事を書いた当初は貼るのを控えておりました。
生まれてしまったという苦悩が大変に重く、出生そのものを拒否するというお気持ちも強く、当時高校生の娘のボヤキと重ねてよいものか?という思いが勝ったからです。
また、芹沢俊介氏の主張は、”強制的な贈与”の先の親のあり方へと向かっており、そこで留まってはおりませんので、”反出生主義”とはちがうからです。
しかし、「生まれることに同意していない」というワードが含まれた今回の記事を読み、気持ちが動き、加筆し貼り付けることにいたしました。
goldheadさんは”生まれることに同意していない”サファエル・ムンバイ氏の反出生主義と、ご自分の意見との差異ついて述べておられます。

goldheadさんは、貼られることに同意しないかもしれないなあと思いつつ・・・・。

『極夜行』・・・・月の光

さらなる闇を求めて

この本・・・・極夜行

極夜行

極夜行

 おもしろい‼️
常に本を手元に置き読書を楽しむ私ですが、「おお!これはおもしろい」と思えるものにはなかなか出会えません。
読むジャンルが限られていることも原因の一つでしょう。私が手に取ろうとしないエリアにも、まだまだいくらでもおもしろい本が埋もれているのかもしれません。
 手軽に楽しめるタイプの本を読むときは、それによって時間をやり過ごすという感じですが、
おもしろい本に向き合うときは、その時間の価値がぐんと高くなり、物語や言葉を味わおうとする思いも強くなります。

 この本のことは、「朝の来ない村」というタイトルで数日前に紹介しております。
読み始めてすぐの頃です。
kyokoippoppo.hatenablog.com
 緯度の高いシオラパルクという村では、冬至を挟んだ数か月ほどの期間太陽が昇らなくなってしまうことを書きました。
このようなところに村があり、生活が営まれていることにも驚きますが、著者である角幡唯介氏はこの村を拠点としてさらに北を目指すのです。
彼と行動を共にするのは「ウヤミリック」という名の村の犬のみ。
二つの重い橇を交互に少しずつ動かしながら氷河を登り、凄まじいブリザードの脅威にさらされ、真っ暗な平原ではベアリングコンパスと星とを頼りに方向を定め、歩を進めるのです。
何のためにって、極夜を味わい尽くすためにです。

 この人が生きて戻ってくることはわかっています。
この本を読んでいるということはそういうことですから。
でも、ブリザードがテントを容赦なく潰して飲み込もうとするとき、
一方の橇の行方が分からなくなって3時間も氷河の坂をいったり来たりしたとき、
全方位360度の暗闇の中で行くべき方向を定めるとき、(大切な六分儀はブリザードによってあとかたもなく吹き飛ばされてしまいました。)
ja.wikipedia.org
定めた方角には歩いているのに、現れるはずの地形の変化が一向に現れず、もう一日もう一日と日を重ねるとき、

・・・・・私は暖かい部屋の中にいながら、死の隣でうろたえ、あがく角幡氏の様子に胸を痛めるのです。
文字を通して知ったり想像することは、実体験には及びもしないことはわかります。別物です。
でも、とうてい行くことのできない冒険をこのように伝えてくれる言葉によって、読者は胸を踊らせます。
先の見えない不安や恐怖のひとかけらを感じ取るのです。

宇宙の旅

ヘッデン(ヘッドライト)のライトを除けば、頼れる明かりは月あかりのみとなります。
極夜にとっての月は特別で重要な存在です。

 月が昇ると極夜世界は色のない沈鬱な世界から、壮絶なまでに美しい空間にかわる。それまでの影すら存在しないモノトニアスな空間が、黄色い光が届いた瞬間、突然、本当に劇的に明るくなって、氷河上の細かい雪の襞にいたるまで一気に照らしだされ、そこに影ができて、足元のルート状況が明瞭になるのだ。雪や氷が青っぽく色づき、単なる沈黙につつまれた死の空間だったのが、どこか別の惑星にいるかのような幻想的空間にかわる。極夜の旅は宇宙の旅にほかならないと、そう思える瞬間だった。

 幻想的な世界を見せてくれた月ですが、あくまでも現実的な月の影響も及びます。
満月の時期には沈むことなく天空を巡る月ですが、
その月も太陽とランデブーとなる新月の頃には顔を出さなくなるのです。

時間は予想以上に早く過ぎ去っていた。時間が経つということは月が欠けて光が弱まるということである。

お日さまが出なければ朝も夜もないわけで、そうなると月の出が朝のようになり、月の入りが夜のようなります。
一日が月の運行に従うようになるのです。月の南中時刻は日々一時間ずつ後ろにずれていくことから、いつの間にか一日25時間の設定になっていたのです。気づくと

いつのまにか二十四時間制にもとづいた通常の日付を追い越してしまった

のでした。

 月の死が近づいてきた。早くしないと月が沈んでしまう。私は急に焦りを覚え始めた。

12月22日、冬至をむかえます。
私が住む北海道でも、寒さはここからピークを迎えるものの日は少しずつ長くなり、季節はこの日を境に春に向かうのです。
極夜の地の地平線にも太陽は近づき始めます。しかし実際に姿を出すのはまだまだ先なのです。

暗黒の氷床を行進中の私の意識には、いつ復活するか想像もできない太陽のことなど存在しないも同然だった。実際極夜世界にやってきて二ヶ月近く経っており、もはや太陽の昇る通常の明るい世界がどのような世界であったのかさえ、記憶は朧気になっていた。それより私の関心は月だった。さらにいえば月亡き後に到来する真の暗闇、極夜だった。

月亡きという表現が印象的です。

満月時の正中高度は三十度で、二十四時間フル回転で天空をまわっていたことを思えば、わずか一週間で急速に衰えた。あと二日で月は姿を見せなくなるわけで、もはや死滅寸前、その光には消えかかった炭の熾みたいな力しか残されていなかった。


角幡氏の行程は続きます。
今晩も、本を開き楽しく贅沢な時間にひたりましょう。

先祖の委員会

チャネラーによってもたらされた言葉たち

「先祖の委員会」・・・・1月24日生まれの私のサビアンシンボルです。
サビアンシンボル」というのは占星術で使われる用語です。
30度ずつ12個のサイン(~座とか~宮とよばれるもの)で構成される円がホロスコープと呼ばれるもので、これに配置された星を解読するのが占星術です。(かなり大雑把な説明ですが。)

そして12個のサインをより細かく、1度ずつ分割し、詩のような言葉をあてはめたものがサビアンシンボルです。
このあたり、もう少し詳しくお知りになりたい方は前回のブログを合わせてお読み下さいませ。
kyokoippoppo.hatenablog.com

解らない私

 1925年、エリス・フィラーというチャネラーによってもたらされた、「言葉」たちですが、解る人には解る代物だそうで、解る人たちは一様に‘’そこにあらわれた秩序”に驚いたわけです。
ところが、私には解るとっかかりもないわけで、よって驚く理由も共有できないのです。

 今年になり、ブログのテーマが‘’不思議‘’に片寄ってきており、久々に占星術ネタを検索にかけてはあちこち覗いておりました。
そして見つけたこの方のブログ。anmin579.com
膨大な記事のほんの一部しか覗いておりませんが、
宝の山ですぞ。ワクワク😃💕
 あんみんさんのサビアンシンボルの解釈は、分かりやすく腑に落ちます。
サビアンの骨組みとなるのは数字(何度)であるとし、それを解釈した松村潔氏の『ディグリー占星術』とアンミンさんの解釈を、日々読めば私もサビアンシンボルの秩序を「ほほう!なあるほど」と理解できるようになるのかもしれません。

知ってどうする???

しかあし!
何が大事って、それを知ることそのものが大事なのではなく、それが自分の生活や生きる姿勢に活かされることなのではないでしょうか。

 さて、実生活において、私はいつもお金のやりくりを考えています。
もう少しゆとりが欲しいと。そして私が欲しいゆとりとはお金

・・・・で、占星術を活用するとき、多くの人の関心事であるお金の出入りや、異性との出会いの有る無しとか、事業に手を出すへきかやめとくべきか?
・・・などを占うということは、現実に行われているのことなのですが、
実際に、星が、宇宙が人間のそんなことに頓着するものでしようか?
星が頓着するとは変な言い方ですが、宇宙のメッセージが個々の人のホロスコープにあらわれるとしても、星が伝える宇宙的なことがそのようなことなのでしょうか?

私は今頃になって、「星は私たちが求めがちなそのような質問に答えはしない」と思うようになりました。
星が教えてくれるとしたら、それぞれのものから派生するもっと深い意味なのではないでしょうか?
たとえば、「金銭」であれば、
私は何に価値をおいて暮らすのか?とか、
金銭で何を実現したいのか?とか
富によつて得られるものは何か?とか
貧しいとはどういうことか?とか
得ること手放すことの意味とか。


以前私はこんな記事を書きました。

kyokoippoppo.hatenablog.com
増やし拡大する木星が、息子の第2室に来たから、お金の入りが増えるかな?
と単に表面ずらの解釈をしたわけですが、これは解釈などではなく、私の願望を貼り付けただけだったということでしょう。
 不思議世界を覗いてみたくなった私は、実は足元にお金が落ちていないか探すような人種です。
そこから少しずつ視線をあげ、不思議世界や占星術のことを改めて知っていきたいと思っています。
足だけは地面に着けながら・・・・・。

占星術における太陽

誕生日

 私、本日バースデーです。
自分が生まれた時の、ホロスコープ上の太陽の位置に、現在運行中の太陽が戻ってきたということです。

astro-r.com
ホロスコープという円周を、太陽は約一年かけて移動します。
と言ってもそれは、地球に視点を定めた場合の太陽の見かけ上の動きということになります。

サビアンシンボル

 1月24日生まれということは水瓶座生まれということになりますね。
ホロスコープは30度ずつのサイン(~座とか~宮と呼ばれるもの)12個で構成されています。
水瓶座も30度の幅をもつのです。
その水瓶座の4.03度に、私は太陽を持っており、水瓶座という30度ひとくくりの捉え方をしつつも、30に分割した1度ずつの読み方~
私でいえば水瓶座5度~を活用することもてきるのです。(4・00以上は5度となります。数え数字で読むのです。)
サビアンシンボル」とよばれるもので、ホロスコープ360度の1度ずつにあてはめられた詩のような言葉を元に解釈するというものです。
そもそもその詩のような言葉はいったいどこからきたのでしょう。

アカシック・レコード

 1925年にマーク・エドモンド・ジョーンズがチャネラーのエリス・フィラーの協力を得て行った実験によって得られたものが、360個のサビアン・シンボルです。
 サイン(星座名)と数字(1から30まで)を書いた紙を見せて、そこから喚起された言葉を残したものなのだということ。
しかもそれはアカシック・レコードから流れ込んできたものだそうで・・・
ほほう、そうですか?
宇宙にある全てのものの記録装置であるアカシック・レコードというものの存在・・・そこから流れ込んできた言葉・・・・信じられるでしょうか?

う~む・・・
でも私は、それらを頭から否定せず、不思議を楽しむつもりで身近に置くのです。

占星術の第一人者である松村潔氏は、著者『ディグリー占星術』の中で次のように述べています。

 アカシックレコードのデータは誰でも読めます。
意識状態が目の前に見えるものだけに集中してしまうような緊張、つまり視野狭窄の状態を解除して、リラックスさせるとアカシック・レコードの情報が流れ込んできます。

いやあ、誰でもできないでしょとしか思えませんし、実際にサビアンシンボルを読んだとところで、この言葉たちをどう解釈するのか?・・・・見当もつきません。
松村潔氏は、同著序文で、
これらの詩文のイメージに引きずられないようにと戒めます。言葉のイメージよりも、まず数字そのものを軸として、それをを基調として読み解くべきであると述べています。(ルドルフ・シュタイナーの思想と関連付けて語られており興味深いのですが、ここでは詳しくは書きません。)

例えば私のもつ5度という数は次のように説明されています。

5の数字の倍数は10で、これは外に対するプレゼンテーション能力や外の世界に接触することを示しています。この外へという姿勢の基本は、5の数字の段階で作られます。
 しかし、5の段階てはまだ外に接触できておらず、むしろ外へ働きかけたいという欲求を高めていくプロセスにあります。そのため何一つ実行に移されていない場合もあります。

5が意味するのは‘’冒険的な意欲‘’だそうてす。

 そして水瓶座5度サビアンは
先祖の委員会」というもの。
自分が成り立つのに大きなネットワークに支えられていることを意味しており、
個人の自覚を超えて、もっと広がった意識ネットワークへと拡大しようとする挑戦を表すそうです。(松村 潔氏の解釈です)

 広かった意識ネットワークという言葉から私は、昨年おそるおそる始めたこの世界・・・ネットやブログの世界を連想しました。

このようにブログを発信することは、自分自身の太陽にフィットしているのかな?

バランス

 今日は、終日吹雪模様でした。
気温が高めだったので、締って重たい雪でした。
勤務先の小学校も休校となり、この記事をゆっくり書くことがてきました。
現実から遊離した内容になってしまったかなと思いましたが、除雪という労働が、そんな気持ちの重しとなり、現実生活という地面に私を置きとどめてくれました。

朝が来て

昨晩投稿した記事を意識して本日のタイトルをつけてみました。
kyokoippoppo.hatenablog.com

ざわざわ

昨晩は眠りが浅く、何度か目を覚ましました。
外は静かで吹雪いているようには感じませんでした。
それでも朝方、風が吹き始めたようでザワーという音が時折夢心地の私の耳に聞こえてきました。

起床


起床し外を見たとたん
「今日は休校だな」
と思いました。
私は近所の小学校で支援員として働いています。
教職員の立場ではないので、先生方とは勤務体制も違います。
休校となり、児童の登校がない場合は、私たちは年休扱いとなり勤務はありません。

年休を決め込んだ私が、いつもより緩んだ気分でトーストを食べておりましたらほどなく連絡網が回ってきました。

おうちで過ごす吹雪の日

 風雪が強いうちは外に出て除雪をしてもきりがないので、あきらめてお部屋で過ごします。
雪が小止みになってから外に出動です。
さあ!それまで何をしようかな?
今日は私の誕生日!
  *  *  *
数時間後の追記

除雪

それまで・・・と書いている間に空が明るくなりました。
出動!!
お洋服をまとった車

無残雪だるま
f:id:kyokoippoppo:20190101223020j:plain:w260:leftf:id:kyokoippoppo:20190124102011j:plain:w260:right
実家と我が家・・夫と分担して一働きしました。
双方ご近所さんの協力があり、本当にありがたいことでした。機械や重機の威力は絶大だ!



 
 10時過ぎ、トーストだけの朝ご飯ではお腹が持たず、ご飯に漬物、しじみの味噌汁をかっこみました。
ふう~~~。
更なる追記
な、な、何と‼️
これからが本格的な暴風雪なのだとか。
うん。まさに、吹雪再来です。

猛吹雪です。

朝の来ない村

 遅くなった日の入り

 仕事帰り図書館に寄りました。
冬至の頃は、夕方4時は真っ暗でしたがこの頃はまだ明るく、日の入りが遅くなっていることを実感できます。
グラウンドでは、まだ子どもたちが雪中ドッヂボール大会に向けての練習に励んでおりました。

 さて、本日借りた本の一冊がこれ。
『極夜行』

極夜行

極夜行

「これって小説?」
「いえ、ノンフィクションですよ。」
司書さんとこんな会話を交わした末、本の内容も知らぬまま借りてきました。
  *  *  *  *
「明日はどうなんでしょうね?」
「スキーの予定なんだけど。」
「スキーは無理でしよ!警報レベルですよ。」
こんな会話も交わしました。
この冬は雪が少なく、骨の折れる除雪もまだしておりませんが、明日は相当の悪天候になる予報だそうです。
休校になるかもな・・・・
そんなことを思いながら帰宅。
夕飯後さっそく読み始めました。

北緯77度47分の世界

 北緯77度47分に位置するシオラパルクという村では、冬期間太陽が全く昇らなくなるのだそうです。
南中の太陽が、地平線の下にあるということ‼️
そしてその期間は11月頃より数か月間にも及ぶとのこと。
暗く寒い極限の地・・・著者である角幡唯介(カクハタ ユウスケ)氏は、このような場所の何に魅せられ、訪ねてみる気持ちになったのでしょう。
「冒険家というのはこのような場所に行ってみたくなるのさ。」
と言ってしまえば、それもありなのでしょう。
しかし、角幡氏はこの地で是非是非見たいものがあったのです。

本物の太陽

私たちは普段、太陽を見ているようで、実は見ていない。私たちが毎朝通勤するときに見ている太陽、あれは太陽の形をしたニセモノだ。物理的な火の玉としての太陽は昔から何も変わらない灼熱のエネルギーを地球におくり届けているのに、受け取り手である私たちの側がテクノロジーに頼りきり、自然から切り離され、知覚能力が著しく減退したせいで、そのあるがままの姿を見ることができなくなってしまったのである。

角幡氏はこのように述べています。

極夜の世界に行けば、真の闇を経験し、本物の太陽を見られるのではないか_。

彼は数ヶ月も夜明けが来ない‘’極夜‘’に強く惹かれ始めます。

太陽のない長い夜?いったいそこはどんな世界なのだろう。そんな暗闇で長期間旅をしたら気でも狂うのではないか。そして何より最大の謎、極夜の果てに昇る最初の太陽を見たとき、人は何を思うのか_。

ワクワク。
暗くて凍てつく世界が広がっているのであろうこの体験記を、私は今夜北海道の厳冬季に読み始めました。

とはいえ、寒さ厳しくとも確実に日が伸び、春がわずかずつながら近づいていることを感じるこの地・・・・
さらに私は、一日の仕事を終え、解放感にひたり布団に足を突っ込んでぬくぬくしながら読むのです。

静かな夜

サワリとも風の音がしない静かな夜です。
吹雪来るのかな?今日はこのへんでおやすみなさい。