こじつけたにしても....

用意された道と考えよう

 
突拍子もないかな?と思いつつも投稿したブログ
...『こんな体験ありますか?』
kyokoippoppo.hatenablog.com
そして夢の話なんてなあ、と迷いつつ投稿したのが前回の『トンネルくぐって』でした。
もし・・・・・かなり想像を交えての「もし」ですが、
姿を消した一万円札に意味があったとしたら,こんなブログにたどり着いたことでしょうか?
funcyqutton.hatenablog.com

不思議世界

 私の今までのブログの内容は、占星術ネタ以外はお金、教育、片付け、生きざま、出来事、などほぼ身の回りのことであり、現実に即したものでした。
私の生きて立つ場所である「ここ」に目を向けることを大切にしてきました。
また、私が読む本や他の方のブログも、そのような内容のものを好む傾向があります。

さて、先日日曜日。
ソファーの上の住民となってだらだらモードだった私はふと思い立ち
不思議体験・はてなブログ
と打って検索にかけたのです。
そして見つけたのがサチコさんのブログでした。

物品移動現象』のタイトルを見つけ、さっそく読んでみました。
私の体験『消えた一万円札』と関連するのかな?と思いながら・・・。
結果「まあ、このようなステキな出来事とは質が違うわなあ。」
とのいう感想を抱くに留まりました。

が、しかし、彼女のブログで語られる不思議世界には大いに惹かれたのです。
霊や天使や占星術・・・・
私は霊を見たりする体質ではありませんし、天使にも小人さんにも出会ったことはありません。
それでも私はそれらを無いものとは思っておりません。

シュタイナー教育

 以前の記事で、戦後の教育史を綴ったことがあります。
林竹二にたどり着くまでのものとして綴ってきましたので、そのあたりで店じまいしましたが、私の思いの中ではその先がありまして、林竹二ひと誌鳥山敏子賢治の学校シュタイナー教育というように流れていったのです。
(過去記事は貼りません。もし興味をもたれましたら、『教育』のカテゴリーにてお読み下さいませ。)

シュタイナー教育」には大変惹かれました。
ここて詳しくは述べませんが、ルドルフ・シュタイナーという人は優れた教育の指針を立てた上で、「自由ヴァルドルフ学校」という学校を作り、その理念を現実世界で形にした人です。
その後その理念を引き継ぐ人々によって世界各地に学校が生まれました。
ja.wikipedia.org
 その優れた教育理念は、シュタイナーの霊的に開かれた力によって打ち立てられております。
シュタイナー教育を知ろうするなら、人が霊的な存在であることを前提にしなければ成り立ちません。
その教育理念に強く惹かれた私は、図書館にビデオをリクエストし、その上映会を行い、いっぽいっぽ通信を出し、我が子たちをその教育に触れさせたいと願ったのです。
ほとんどの本を図書館に注文する私てすが、これらの本は自分で買い、自分のものにしました。
残念ながら中身(内容)は自分のものにできておりません。

わからない

 しかし、実際に霊能力を持たない凡人が、これらの本を読んでも分からないのです。
実感としてないものを理解しようとすると、結局無理やり信じてみるという姿勢になりがちなのです。
天使っているんだよ。・・・・・いや、見たわけではないけど、シュタイナーの本に書いてあったよ。
というところより先に進めないのです。 
 またこの理念を現代社会に持ち込み実践することは、かなりの強固な思想や信念がなければできるものではありません。

シュタイナー教育」というものを私は結局憧れ以上のものに育てられませんでした。
でも、でも私はこの世界に背を向けたわけではないのです。

消えた一万円札・・不思議体験かな?近づく私の誕生日・・・占星術ホロスコープ作成(ブログにはそのうち)夢の話のブログゴロゴロぼーっと過ごした日曜午後サチコさんのブログ・・・
目の前に現れた不思議世界の扉
消えた一万円札が私を「不思議世界にまた戻っておいで」と誘ったのです。
「不思議なこと」というカテゴリーも作っちゃったもんね!!
ありがとよ。消えた一万円札。
といいつつも、手元に戻ってこないかな。
お前の役目は終わったからさ。
戻っておいで。

トンネルくぐって

 みた夢がきっかけなのです。
ブログに書くほどのものでもない話題です・・・と、前置きしておきます。
でも、「何でここに来たのかなあ?」と素朴に思ったわけです。

こどもの国

 『こどもの国』という名前の施設は各地にあるのでしょうが私が夢で訪ねたのは、横浜にある『子こどもの国』です。
ここは多摩丘陵の自然を生かした広大な遊び場で、現天皇皇后(当時皇太子)の御成婚を記念して1959年より整備が進められ、1965年の「子どもの日」に落成したものです。
私が子どもの頃、時々遊びに行きました。
横浜に住んでいたからです。
中3の夏休み友達とそこへ行き、日長一日ドラム缶いかだに乗って遊んだ記憶があります。
(はて?これも夢だったか?)

 その後我が家は東京の町田市の新興住宅地に越しました。
神奈川県との県境に近いところで、開発前はうっそうとした雑木林だったとのこと。
まっすぐに整然と走る道路、これまた縦横きっちりと区切られた土地に並ぶ真新しい家々。
暮らしの風景が一変しました。f:id:kyokoippoppo:20190119173945j:plain:w320:right
しかし、この住宅街の外(東側)に踏み出すと横浜の縁にあたる土地となり、そこにはくねくねと曲がる道があり、庭を持つ農家あり、秋空には柿の実が映えており、グズの葉が生い茂る空き地があるのでした。
それは、私の幼少期共にあったものであり、私たちが後にしてきたものであり、ため息が出るほど馴染み深いものなのでした。
(イメージにあった画像を貼りました。横浜のものではありません)

 新興住宅地とその東側の世界の境界は私たち家族の時代を区切る境界でもありました。
厳しいローンを組んで引っ越したものですから、母親はさっそくパートに通いました。
勤務先のパン屋さんから今まで食べたことのなようなオシャレなパンを持ち帰ってきました。
カラフルな「ミックスベジタブル」が乗ったパンや、バターの風味豊かなペストリー。
新居は憧れだった二階建てで、ベランダもある・・・。
でもそこからすぐ東には『境界』がありました。

 境界の先にある田舎道は、『こどもの国』に通じており、徒歩でたどり着くことが可能でした。
よそよそしい新興住宅地が、子ども時代の懐かしい場所へとショートカットでつながることに驚きもし、喜びもしたのです。

我が子を連れて

 私はこの土地から北海道へと嫁いできましたが、子どもが生まれてからの里帰りには当然ここを訪れました。
我が子を連れ、母親となった私が公園入り口から右手にあるトンネルを歩けば、その昔
胸ときめかせてその先にあるワンダーランドへ思いを馳せた気持ちがそのまま蘇るのでした。f:id:kyokoippoppo:20190119180624p:plain:w500
(入り口右側にトンネルあるでしょ)

夢でみた『こどもの国』

  今朝の夢の中でも、私はこのトンネルの方へ歩みを進めようとするのですが、夫は反対側にも見るところはあると言いそちらへ歩を進めました。
(実際には無い)水族館があり、動物がいて、私達は赤ちゃんを連れていました。
自分たちの子どもであったか?孫であったか?
その先にレストランがあるのですが閉鎖され、ガラス越しのそこは誰もいない暗い場所でした。
昔あったはずの施設がところどころ無くなっており、時が経てその場所が変わってしまったことを感じました。
それが今朝みた夢だったのです。

 目が覚めて「どうして夢の中でそこに行ったのかな?」
と思いました。
そして懐かしい気持ちが湧き上がってきました。
ここは懐かしい場所であると共にとても良い場所なのです。
夢では淋しい場所になっていたけれど、そこは今も変わらず魅力的な場所であるはずです。

 両親はその後、千葉に越してしまい『こどもの国』はついでに行ける場所ではなくなり、その後訪ねておりません。
子連れの里帰りの際には、「ディズニーランド」や弟夫婦の家から程近い「よみうりランド」などにも行きましたが、私の一押しはやはり『こどもの国』だなあ。
今や両親もいなくなり、故郷はますます”想う”ばかりの存在です。

昭和、平成そして・・・

『子どもの国』の前身は旧日本軍の弾薬製造貯蔵施設でした。
theyokohamastandard.jp

敗戦とともに一旦は米軍に接収されました。返還の後、当時の皇太子殿下(現天皇)と美智子さまのご成婚を記念して『こどもの国』は開園しました。
全国から寄せられたお祝いを「こどものために使って欲しい」というお二人の気持ちが『こどもの国』の誕生のきっかけになったそうです。
弾薬貯蔵庫の名残りは、33基のうち10ヶ基が残され、今は倉庫などに使われているそうです。
f:id:kyokoippoppo:20190119194725j:plain:w350:left
仮面ライダーの撮影現場にもなりました。・・(ショッカーのアジトだったような)

www.kodomonokuni.org

セトセ温泉へ

f:id:kyokoippoppo:20190119200847j:plain:w170:right 夢で『こどもの国』を訪れたその日・・・
本日土曜日。
 実際に行ったのは「セトセ温泉」でした。
夢の中では赤ちゃん連れでしたが、温泉には先月伴侶を亡くし一人住まいとなった義母を誘い一緒に行きました。
美しい雪野原。
白樺や針葉樹の木立が続きます。
 でも、この土地には柿も椿もさざんかもないのです。
グズの葉も沈丁花も・・・・。
そんなことを思いながら、外の景色を眺めたのでした。


2019年4月14日の追記
次の年号も発表され、平成時代も幕を閉じつつある頃の記事です。

『家族の言い訳』私の言い訳

 懺悔の弁が言い訳になりそうで・・・

 ワタクシ・・とりあえず一生懸命子どもを育てました。
遊んでもやりました。節目節目で考えて、迷いつつも対処し、道を共に開こうとはしてきました。

それが独りよがりだったと言われれば、
「はい、そうでしたね。」
と言うしかありません。
夫婦のトラブルを子どもにかぶせたねと責められれば
「そうです。その通りです。」
と言うしかありません。

現状のあかん所を指摘され、
あのときああだったから、こうなったと言われれば
それに反論する術を持ちません。
まざまざと出現した”あんばい悪いところ‘’は、私の取捨選択の間違いの結果であることは紛れもない事実なのです。

 そんなこんなで、トホホな気分でしたので、図書館でこのタイトルを見るや借りてしまいました。
『家族の言い訳』

 作者の森浩美氏が作詞家であることも、男性であることも知らずタイトルだけで手に取り、冬休み最後の日となった先日、(私の仕事は、小学校の長期休業中一旦雇用が切れるのです。)
午後いっぱいゴロゴロしながら読んでいたのです。
kyokoippoppo.hatenablog.com

そこここに

 作中の人物に、夫婦に、場面に・・・・・私は自分自身と我が家族にも出現する”暮らしの断片”を見いだしました。

荷物と、熱の出た幼い息子を抱えながらも、タクシーに乗るお金を節約しようとする和香子。

生活の不安にじりじりと追い詰められる彼女の心境。

罪を犯した娘でも心配で見捨てられない、と呟くうらぶれた宿の女将。

共に暮らす年月を経て、少しずつ冷めた空気が漂う夫婦の姿。

家族旅行帰り、アウトレットに寄りたいという妻の要求が、もうすでにキャパを越えていて「いいかげんにしろ!」という反応しかできなかった夫。

上手くいっていた事業があっという間に傾き、借金を抱えることになった男性の焦燥。

大事な物ほどしまいこみ、使えない母親。
その貧乏性が歯がゆい息子。
その息子は、お母さんに認めてもらいたく褒めてもらいたいのに表に出る態度はよそよそしく、イラついてしまう。
あの子は私がキライなのかなあ、と嫁に問う母。
 
子どもにフレンドリーに接することができなかった父親。
体験の無いことはできなかったと呟く姿。


「なんだ、みんな同じだわ。」
と思ったのです。
いや💦
そういう安心の仕方をするから私はあかんのかもしれません。
でも読みながら私は実際そう感じて安心したし、お話の中で出会った登場人物に連帯感を感じて、自分のいじけ気味の気持ちを立て直すことができました。

いじけなくてよいよ

 我が家の現状は、私や家族メンバーの取捨選択の結果であることは間違いありません。
世間的に見ておそまつな部分が多々あるのも事実。
でも、それは人生の彩りなのだと思えたのです。

人生やり直し機

ドラえもんのコミックに『人生やり直し機』という道具があります。
以前、中卒で世の中に出た長男に
「人生やり直し機があったら、やはり高校行かない道を選んだかい?」
と聞いたことがあります。
・・・・
・・・・
・・・・うーん。かなり考えて
「やはり行かなかったかもしれない。」
と答えた息子でした。
理解できない勉強のために椅子に座り、前を向く時間をこれ以上続けたくなかった息子。
しかし、その頃からピアノにのめり込み、その後作曲の技術を学びました。
結局勉強につぐ勉強の末に彼は今の地点にやってきたのです。

身に付いたのは作曲の技術。それとうつという病です。
身の丈に合わないものを目指した切迫感がパニック障害を引き寄せ、うつへと進行したことは確かです。
しかもその作曲の技術で食い扶持を稼いでいるわけでもありません。
それでも息子は、人生をやり直すにしてもその道を行くような気がすると言ったのでした。
この現実を自分のものとして受け入れているのでしょう。

 どうあれ良いことずくめで進んでゆくことのできない人生。
自分の取捨選択を間違えたなら、その事実をきちんと知り見つめれば良いだけて、そこに負の感情を乗せることはなるべくやめようと思いました。
(なるべくというのがミソです。そう・・・・なるべく)


もうひとつ。
出現した現状はそもそも悪いことだらけか?ということです。
「間違い」と呼ぶものは本当に「間違い」なのか?

みんな一生懸命生きている。
それで十分なのであり、尊いことであり、色々な出来事に右往左往すること、それこそが「生きる」ということなのなら思う存分右往左往すれば良いさと思ったのです。






 

なあんにもしなかった

 今日は一日なあんなもしなかった。
日の当たるソファにゴロゴロ・・・・本を読む。

家族の言い訳 (双葉文庫)

家族の言い訳 (双葉文庫)

失敗したり、後悔したり、ままならない家族の関係を描いたお話。
それであって温かく、お母さんはお母さんで、お父さんはお父さんで、我が子に寄せる思いは絶ちがたく・・・・・良いお話はかり。

 日差しホカホカ。
ワンコのブウタロウが、さらに温かく、適度な重さでもって身を寄せる。
良い気持ち。
今日は何もしないよ。
明日から勤務が始まるからね。
ようやく日常が戻ってくる。

 じいちゃん(義父さん)は居なくなってしまったけれど、日常が復活して生活が続くんだなあ。

 北海道に低気圧が近づくらしい。
吹雪が来るかもしれない。
だから今日は、なあんにもしないで本を読んですごしたのでした。

ビンゴ!!外れた!!ビンゴ!!当たった!!

ビンゴビンゴ!ビンゴー!!

 先日『こんな体験ありますか?』というタイトルでブログを書きました。
財布に入れておいた一万円が忽然と消えてしまった出来事を綴りました。
落とした説も盗られた説もはねのけて、私はこれを不思議な体験と位置づけております。
同じような経験をお持ちの方のコメントを待っておりますが、未だコメントは届いておりません。
kyokoippoppo.hatenablog.com

 さて、こんな不思議体験が別のイレギュラーな出来事を誘発するのではないかしら?
私はそのように気持ちを切り替えて、9日抽選、
10日発表のビンゴ宝くじへと期待をつなぎました。
この宝くじは義父が亡くなった日に購入したものです。
その日の夕方、隣の市のイオンへ立ち寄った際、たった一枚購入したのでした。
(宝くじを買うときはいつも一枚ずつです。)
義父のご加護があるやもしれず・・・。
さらに今朝、私は景気の良い夢をみました。
目覚めた後もぶ厚い札束の画像と共に、心からホッとする印象も残っていました。
ほーほっほっ ワクワク 今回は来るかもよ。

撃沈

いそいそと新聞を開き確かめるも撃沈
はい終了。

身の丈ビンゴ当たり 

 午前中は図書館へ行ってきました。f:id:kyokoippoppo:20190110180130j:plain:w320:right
ジャンルが違う本を二冊借りたらビンゴとなり、手作りガチャが回せる企画をやっておりました。
”当たり”というには、ハードルが低すぎる図書館企画のビンゴでしたが、なかなか出てこないガチャを回しに回して景品をいただきました。
職員の方手作りの、緻密に作られた切り絵です。
私には到底真似のできない作品です。
f:id:kyokoippoppo:20190110134328j:plain
これ。お向かいのS君にプレゼントしよう!!
支援員として配置されている学級に在籍する男の子。折り紙や工作大好きな男の子。
身の丈にあったビンゴの景品・・・こんなことで私の心はほっかほか。

宝くじはまたいつか、一枚買ってワクワクするんだ。

我が家のお片づけ・・・番外編

年末のお片づけ

 年が明けてから、発信する内容がバラバラです。
当分思いついたことを思いつくままに書くことにいたします。
さてさて・・・
kyokoippoppo.hatenablog.com
こんな事があってから、私は私のペースながらも片付けました。捨てました。
その進捗状況をブログで発信することも含め、大変楽しい作業でしたし、気持ちは前向きでした。(過去ブログは貼らず。興味を持って下さった方はお片づけのカテゴリーからお読み下さいませ。)
もちろん完璧の域に達しているとは思いませんでしたが、年末も迫ってきてその作業を一旦終えたのでした。

そして年末。
秋に私に片付け(というよりものを捨てること)を強く勧めためた次男も戻ってきました。
そして
「いったいどこを片付けたの?」
というのです。
「何もやっていないじゃない。」
「これって要るわけ?」
に始まり、あれよあれよという間に長女と一緒に片付け始めたのです。
その場所こそは、私がまさしく手をつけきれなかった場所。
ここだけはやってなかったんだよ。😞💦」
「・・・・・」
「うわあ!何これ!」
「ゴミでしょ!」
「きったねえ!!」
「これいらんしょ。」
「は?意味分からんし・・・・」

そんな言葉を発しながらバンバンと棚の扉を明け、引き出しを引っ張り出してゆくのでした。
「ちょっちょっ!待ってそこ待って!私やるから。」
など言っても取り合わず、
「お母はまず、ここ見て!!絶対いるものだけ残して。
と私に段ボール一箱預けると、あとは長女である妹との相談でばっさばっさと捨てていったのです。
娘は、
「ちょっとお!これちゃんとお母に聞いてからにしな。ほらお母の顔がショボくなっているよ。」
僅かに気を使うものの次男は、
「だっていらんしょ。後で必要ならオレが買うからまず捨てな。」
などと言ってノンストップです。
私はもう観念しました。
これブログのネタにするわ。
と開き直りました。
色の悪くなったタッパやら、洗って取っておいたジプロックやら、使い残りのスプレーやら・・・スポンジのかけらやら・・・

スッキリ☆☆☆

 次々に棚が空いて、そこにテーブル上の雑多なものが移動して・・・・。
はい。確かにスッキリしました。
ありがとさんです。
でも、その作業の間、私は自分のハウスキープの能力を徹底的に断罪されたような気分になりました。
そして心の中でブログに書くべき2つの話題を決めていました。

白旗挙げつつも・・・

 これは、片付けをした二人に対抗するために書くわけではありません。この件に関しては私は潔く白旗を挙げています。
 その日から、二週間程がたちましたが、彼らが捨てたもので不自由しているものは何一つありませんし、他者の力を借りなくてはできないこともあるということを知りました。

『母の手まり』

 改めて「ありがとね。」を伝えた上で2つの本を紹介しようと思います。
良い悪いを越えた’’人の現実”を紹介したいのです。

 1つは『'90年版ベスト・エッセイ集』の中の『母の手まり』という作品です。
当時英語講師だった長谷川美智子さんは、年老いたご両親が心地よく暮らせる終の住み家についてご兄姉と共に考え、ご両親の家の買い換えに乗り出しました。(ご両親は同居を望まず夫婦で自立して暮らすことを希望されました。)
買い換えに関しては、すんなりとはいかない現実が押し寄せ、ノイローゼになるような思いもしたものの、何とか新しい住居を手に入れることができたのてす。

今、その夢が実現した。涙か出るほど嬉しかった。新しい家には、新しい布団、ベッド、スリッパ・・・全部そろえてあげようと思っていた。
母には、古いものは全部捨ててくるように何回も言っておいた。これから新しい人生が始まるんだから、古いものなんていらないよ、と。
ところが母は、トイレのマットから銀行でもらった湯飲み茶碗、ぼろ同然の布団・・・・あらゆるものを持って来たのだ。

引っ越しの日、その荷物を見た運送屋が
「まるでゴミの運搬だな。」
と言うのを聞いたお兄さんは、顔から火の出るような思いをしたと彼女に告げるのでした。
新しい家で両親を待っていた美智子さんは、姉夫婦の車で到着した母親が手にしているものを見て絶句するのです。
両手に色あせた手製の手まりを五つも抱いていたからです。
ああ!何で!
親が運び入れたものは新築の家には不釣り合いのものばかり。
兄姉はこれでは足の踏み場もなくなっちゃうよ、などと言いながら早速両親の持ち物を選別し、捨て始めました。
台所の隅にぼうぜんと座り込んでいた母親は、不用の手まりは持っていたものの、必需品の血圧の薬は箱のどこに仕舞い込んだか分からないという始末。
そんな母親に美智子さんはとがった声を挙げたのです。
「大事な物とそうでないものの区別くらいしなさい!」と。すると母親は言うのでした。

「皆で、これは捨てろ、あれは捨てろ、ゴミ同然だって笑うけど、どれもこれも私の人生の一部なのよ。千代紙人形も和紙の花の壁掛けも、この手まりも、趣味に没頭してた頃の思い出の品なんだよ。毛布も布団と古いけど、品はいいんだ。私達は、台湾に何もかも置いて裸同然で引き揚げてきたからね、あの時のつらさは死ぬまで忘れないよ。だからもうこれからは人形一つだっていやいや捨ててくることだけはしたくないって、いつも思ってた。あんた達にはわからないだろうねえ。一回でも無一文になった人間が、物に執着する気持ちなんて・・・・・」

両親に良かれと思ってやったことではあったけど、いつの間にか自分たちの考えに執着して、老人の気持ちを踏みつけてしまったのかもしれない・・・。
美智子さんたち兄妹は、和室に棚をこしらえたり、物置小屋を調達するなどして、お母さんの気持ちに添うことにしたのです。
この母親の気持ちを知った後、車から手まりを抱えて降りてくる親の姿を思い浮かべるたびに美智子さんは声をあげて泣きたくなるのでした。

*  *  *  *  *

このエッセイは、印象深く私の心に留まりました。
そして、この度の我が家のお片付けの際にしっかりと私の脳裏にのぼってきたのでした。
私は戦後生まれで、良き昭和時代を味わった人間ですが、親の「物の無い時代に育った」とか「食べるものは粗末にできない」という言葉は身近なものだったのです。

汚屋敷をどうしよう!

 もう一つはコミックです。

”汚屋敷状態となった実家の片付け”をテーマとして描いたものです。ご自分の体験や、世間でのあるある体験を盛り込んだフィクションです。
片付けに前のめりになる子どもたち若い世代と、老親の間に横たわる感覚のギャップがリアルに描かれており印象に残っておりました。
「捨てるなよ!洗い替えに使うんだ。」
「勝手に捨てないでよ、もったいないから。」
「大丈夫よ、腐ってないから。」
などという両親の姿が自分と重なって見え、面白いのです。

f:id:kyokoippoppo:20190110123053j:plain:w320:right
高いところにある棚にトイレットペーパーを置いたものの、親は手が届きにくくいくつかを床に置こうとする場面です。
その行為が若い世代には清潔観念の欠如に見えるのです。
汲み取り便所にチリ紙のトイレ(トイレットペーパーという言葉すらなく、使用する紙は新聞紙、黒チリ、白チリの三段階のグレードだったなあ。)
を経験している世代に対し、生まれたときからそこそこ清潔な環境で育った若い世代・・・・若者は私よりもキレイ好きなのであります。

ある日親は子どもたちに言うのです。
大変ならもう来なくてよいと・・・。

「お前たちの手助けは本当にありがたいよ。でも、年寄りには年寄りのペースがある。若いモンが考えるような暮らしはできないんだ。」

親の気持ちを汲みつつも、せっかく手がけた片付けはやり遂げたい・・ということで片付けアドバイザーの登場となるのです。
さすがアドバイザー!
老親の気持ちも汲み取りながら理想的な空間を生み出すことに成功するのです。
そうやって迎えたお正月・・・・お父さん茂野尾溜男(モノヲタメオ)のあいさつです。

「生きていると様々な面倒が持ちあがります。足腰が弱って階段の上り下りだ億劫になったり目が悪くなって新聞の字が見えづらくなったり記憶力が衰えて昨日の夕飯のことを忘れてしまったり、若いころには難なくできていたことができなくなり周りに迷惑をかけ情けない思いをすることも多々あります。今回も家の汚さを指摘されたときはショックでした。
でも思い切って片付けて本当によかった。心から感謝している。」

こんなハッピーエンドでしたよ。
私自身はまだまだ動けると思っておりますが、少しずつ身体や気力の不自由を感じるようになるのでしょうねえ。
今年もたゆまずお片づけに励みましょう。

こんな体験ありますか?

夫と私とブウタロウ

f:id:kyokoippoppo:20190108194011j:plain:w320:left 4日に次男が川崎へ帰り、7日に長男が札幌へ帰りました。
本日8日は長女と孫を滝川まで送り届けて戻ってきました。
結局一日がかりだったな。
道中は吹雪模様。


夕方我が町に戻り、夫と私とワンコとの元通りの生活です。
ワンコの名前はブウタロウ・・次男のワンコをただいま預かり中。


さてさて、本日の話題はどう受け止められるでしょうか?
こんな事書いたら
「あんた!おバカ!?」
と思われそうなので、ちょいと怖い。
でも私は書いて発信してみたいのです。ドキドキ。

消えたお金

 この年末年始・・・・とにかくお金がガバガバと無くなりました。帰ってくる子どもを迎え、通夜葬儀の合間にも何度も車を走らせました。
そんな慌ただしい時間の中で、ちょくちょく財布を開いたものの都度都度しっかり残金を確かめない私の行動でした。
そして、あれ?財布の中身がもうこんなに減っている!
とビックリするのでした。

 しかし、最後のビックリには何とも納得がいかないのです。f:id:kyokoippoppo:20190108193616j:plain:w320:right

4日金曜日、
あまりの残金の心細さに、一万円をおろしたのです。私の微々たる年金・・・・
入る度におろしてしまいちっとも貯まっていないその通帳から一万円をおろしたのです。
その後ほとんど買い物もせずに過ごした翌日。そのお金が無くなっていました。
ええ?!
何故?

 もちろん大方の推測として、「落としたか盗られただろう」と思われるでしょう。
しかし、お札を財布に入れた後、ほとんどお金の出し入れをしておりませんでしたので、落とす機会そのものが無かったと思うのです。

 盗られたとなると犯人は家族以外考えられません。
じゃあ家族?
いやいやいやいや
それだけは無い!
我が子たち皆それぞれに金銭的な苦労はしておりますが、しているからこそそれは無い!
夫?それもない。無いです。はい!!!

絶対無いと思いたいあなたの願望なのでは?とっつこまれたとしても、私はその言葉を取り上げる気持ちはないので、犯人家族説は無いのです。
ということになりますと、一夜にしてお金が消えたというあり得ない事実だけが残るのです。

ヒットした

 その晩私は検索しました。
忽然とお金が消える]」と。

このような体験をする人がいるのです。
さらに言えば過去において・・・そう、私が高校生の時にも同じような体験をしているのです。
その時は自分が場所移動もしていないのに、お金がすっと無くなったのです。
ネットでは
その原因として
多重人格論あり、健忘症あり、
もちろん落としたや家族知人にやられたもあり、パラレルワールドへの移行説も・・・・。

ああ!私の一万円札よどこへいった。
似たような経験なさった方。
コメント下さいませ。

 正月早々、みみっちい話で情けないのですが、
今年もお金のことが頭から離れない一年になるのかなあ。

1月20日の追記

こんなブログ見つけちゃった。
funcyqutton.hatenablog.com