娘雪乃が登校できなくなってしまった。
物語はそんな状況下で始まります。
父親も母親も、真剣にそれと向き合うわけですが、二人の性格や人生の捉え方がそもそも違うのです。
「ねえ、航ちゃん。ものごとって、あなたが考えるほど簡単じゃないんだよ」
妻の英理子はそのような言葉で、娘の転校を考えてみては?という夫の言葉を断ち切ろうとします。
「思いつきでそんなこと言わないで!」
母親英理子の視線は、雪乃の今よりも、その先の中学受験に向けられているようにもみえます。
「転校などしたら受験勉強に集中できなくなるじゃない!」
夫航介は、
勉強ガリガリやってイイ学校へ進むのってそんなに大事なのか?
と問います。
「何言ってるの大事に決まっているでしょ!」
と間髪入れずに返す妻。
島谷家は三人家族たが、厳然としたヒエラルキーがあって、そのトップに君臨するのは英理子だ。航介の主張は、たいてい右から左へ聞き流され、まともに取り合ってもらえないことが多い。
父親の航介は、深く考えるより先に直情と感情で(つまり思いつきと気分で)ものを言ってしまう
そんなタイプなのです。
そのような違いを持つ夫婦ではありますが、普段は相手の個性を尊重し、魅力にも感じ、仲良く暮らしでいるのでした。
その平和を乱し、二人を混乱させ苦しめているのが自分の不登校という現実であることをひしひしと感じる雪乃は、そのことまでも背負って苦しめられるのでした。
私は大丈夫!
クラスの仲間の無視や疎外なんかに影響されない!
始めのうちはそんな思いで登校を続けていた雪乃でしたが、身体がそれに耐えきれなくなってしまったのです。
とうとう倒れてしまい、その後はもう学校へ足を向けることができなくなりました。
転校という手段を航介が口にしたのは、もちろん娘の苦しみを取り除いてやりたいからではありますが、航介自身も生活の拠点を変えたいというかねてからの望みがありました。
人は土と離れて暮らすことはできない。
ここではない場所で農的な暮らしを始めたいという望みです。
結局
父娘は、航介の祖父母が暮らす田舎に拠点を変えて暮らしを始めることになります。
母親は出版業界での仕事を続けたく東京に残ります。
新しい場所での生活が始まりはするものの、雪乃の学校という場所への恐怖感は根強く、登校することができません。
秋が過ぎ、冬が過ぎ、新年度を迎え、6年生として進級するタイミングをも逃してゆきます。
しかしながら、雪乃は曽祖父曾祖母との暮らしを気に入っており、畑の仕事に力を貸すようになります。
興味も持つようになってゆきます。
航介は、念願だった田舎(航介の故郷)で農業を営む暮らしをスタートさせ、はりきります。
新しい野菜を開拓してみよう!
働く人が野良着で立ち寄れるようなカフェを作ろう!
そんな構想も膨らむのです。
しかし、それに手厳しい意見をぶつけたのが、普段は滅多に苦言を呈することのない祖父。
茂三でした。
土作りというものを甘くみるな!
人の好意に甘えすぎるなということなのですが。
その言葉がね、ズン!
と胸に響くのですよ。
「なんも、挑戦が悪いとは言ってねえだよ。ただ、おめえの考えのもとになってるもんが、なんちゅうかこう、うわっかのことばーっかしに聞こえるだわ」
「ネットがどうの、芸能人の公開日記がどうのって、そんな連中のご機嫌伺いながら畑やって楽しいか。」
父親に対してそう諌める茂三の言葉、姿、その言葉を受け、本気で反省する父親の姿。
雪乃はそれを見て<人生の学校>のようだと感じるのでした。
さて、離れて暮らす雪乃の母親は?
雪乃の学校問題は?
カフェは軌道に乗るのかな?
それは皆さん本を手に取って楽しんで下さいませ。
家族、学校、農業、友情、心の病…様々なメッセージに富んだ作品です。
茂三、ヨシ江の方言(長野県)による語りがまた良いのですよ!
人それぞれに、経験や体験に即した考え方や感じ方があり、それがぶつかれば「違う」「受け入れられない」という衝突にもなるわけですが、それらと一つ一つ向き合いながら進んでゆく物語でした。
ご報告
コロナの波がひたひたと近づいておりましたが、ついにその波をかぶりました。
勤務する小学校でちらほら感染が確認されていたのです。
低学年が立て続けに学年閉鎖になって程なく、現在学校閉鎖と相成りました。
私は現在自宅療養中であります。
部屋から出ずに、夫が運んでくれる食事(簡単インスタントメニューですが)をいただき、ゴロンとしています。
部屋の中でできること、縫い物片付けなどあるのですが、気力が足りない!
鼻水、咳、主な症状。体温は36度台〜37度台を行ったり来たりしています。
まっ、軽症の部類でしょう。
読む本も尽きてしまい。
困った…。
と思っていたら、お向かいのT.Yさんが、様々な食材に加え、図書館で数冊の本を調達して届けて下さいました!
ありがたや〜!