質量として残る思い出…5

 本日日曜日。
朝からストック品をゴソゴソ。
まだ絵が残っています。

ごめんなさい💦という気持ちで貼りつけます。
だってこうでもしないと処分できないのですもの。
こうまでしても、現物をゴミにするときは心が痛みます。


最後のこちらA3の画用紙に黒々と人の後ろ姿。
謎の1枚です。

Yの母親

 並行して綴っているの高校時代。
高校は来るもの拒まずの姿勢で生徒を受け入れる学校です。
そもそも受験倍率が1かそれ以下ですからね。(当時も、おそらく今も)
学習支援、進路対策などに力を入れていますので、生徒のやる気にはしっかり応えてくれる学校です。

しかし、学校が促す望ましい姿からあえて遠ざかりたい連中も一定数いるわけで・・・・Yもその一人だったのでした。

入学早々の家出事件も学校側を大いに困惑させたことでしょう。
その後も遅刻、授業ボイコットが続きます。

Yの母親である私を見る周りの評価は、どのようなものだったのか?
ちょっと身震いするね!
私は高校のPTA役員も引き受けておりました。
「息子は問題ありの生徒ですが、私で良いのでしょうか?」
もちろんそのように問いましたよ。
やり手がいないのですから、
「いえいえ問題ありません。よろしくお願いいたします。」
という当然のお返事が返ってきて、それに応じたのでした。

 またこの頃、私は小学校で働き始めております。
教育現場に身を置き、給料をもらう生活がスタートしたのです。

まず自分の子どうにかしれよ!

という声は、私の周りでささやかれていたことでしょうね。
それは仕方のないこと、当然のこととして受け止めるしかありません。

でも私は、当時の次男の有り様を何が何でも矯正しなければ!とは思いませんでした。
そもそも幼い頃から、こちらの思惑通りには育たなかった子でしたから、10代後半の年にもなった次男を、どうこうできないことは端から分かり切っていたのです。

Yの発信は全て聞くだけ聞き、熱を入れるバンド活動のための送迎も頼まれただけ応じ、親子間の風通しは良くしておいた上でいくらかの意見は伝えましたよ。
もちろんスル~でしたがね。

感想文

 そんな息子ではありましたが、いやそんな息子であったからこその小さな喜びがありました。
学校で書いた読書感想文が、町の文集に佳作として掲載されたのです。

町内で発行された文集、しかも佳作ではありましたが、Yも本を読み真面目な文章を綴ったのだな、と思うだけで嬉しかったのです。
コピーしてYのアルバムに収めてあります。
ダニエル・キイスの傑作集に寄せた感想です。

同じくコンピューターに関わる次なる短編、『限りなき慈悲』では『ディスパッチャー』というコンピューターが登場。
治る見込みのない患者の死を人為的に早め、使える臓器を他の人間に移植することが行われている世の中が描かれているようです。

ディスパッチャーについて調べてみました。
航空会社においてコンピューターで飛行計画を作成する人を指すとのこと。
dispatchは特定の目的をもって人や物、メッセージを送ることを表す言葉だということです。
ChatGPT(チャットGPT)話題を見聞きするようになった現代。
詳しいことはとんと分かりませんが、キイスの描いたSFの世界に近づきつつあるように感じてしまいました。
どんどん手間を省く物が開発され、今や、人が自分の頭脳を使う労力まで省かれようとしているのではないかしら?


「ベベンベンベン」

 そして、私をおおいに驚かせ喜ばせたのがこの切り抜き。

Yが一辺4センチ程の小さな紙をわざわざ切り抜いて持ち帰ったのです。
何か、強烈に懐かしいんだけど。
昔琵琶法師が登場する絵本うちにあったよね!」

そうです。
それは保育所から配布された物語。
夜寝る前によく読んでやりました。
琵琶法師が琵琶をかき鳴らし、大雨だかを村人に知らせるというストーリーだったと記憶しています。
「ベベンベベン」
と琵琶の音を読んだ記憶があります。
Yのお気に入りの本でした。


印刷された琵琶法師の姿をみて、幼い頃の記憶が蘇ったこと。
それを懐かしいと感じ、それを切り抜く行為に及んだこと。
母親である私にそれを語ってくれたこと。
それが嬉しくてね。
こいつも捨てられないのさ!
次男のアルバムに保存してあります。


長々と私の思い出にお付き合いさせてしまいました。
読んて下さりありがとうございます。
  *  *  *
 琵琶法師の本
調べたことろ『琵琶法師と竜』という昔話でした。
マンガ日本昔話のアニメはYouTubeにアップされておりますが、Yのお気に入りの一冊は我が家にもネット内でも見つかりませんでした。