夏休みの読書感想文

はじめに…
『ザイム真理教』についての感想文を書くことにしました。
何故か急に意欲が湧いたのです。
この本に既に触れた方々、これから触れる方々は、どのような感想を抱いている、または抱くのだろう?
そんな興味も湧いてきます。


『ザイム真理教』を読んで
         kyoko
 
図書館にわざわざリクエストして取り寄せてもらったこの本。
読み始めてすぐに、「読んでどうなる?」という気持になりました。
著者である森永卓郎氏がいうところの、まるでカルト教団のような財務省の思惑があるとして、それが既に多く人の脳内に抵抗無く刷り込まれているとして、その危機を本書が伝えているのだとして、さて、私はそれを理解できるのか?
この答は簡単です。
私は理解できないのです。初歩の初歩、基本中の基本の経済的な知識を持っていないからです。
と同時に次のようなことも思うのです。
仮に、この本の内容を隅から隅まで理解して深く納得したときに、私は「ザイム真理教」の洗脳からは解かれるのかもしれません。
しかし同時に「森永教」の信者になっている可能性はないのだろうか?

私は、経済というものの知識が全くと言って良い程無い!
と、先程述べました。
一方これに関して、知識豊富な方々、経済の読みを見誤らないという自信を持つ方々も相当数おられるわけです。
それなのに、その方々の掲げる指南の方向は一定ではありません。細部が違うというのではなく、ベクトルそのものが違っていたりする。
そもそも目的とする地点が違うのでしょうかね?

となると「経済」というものは、勉強したら明確に分かり、行くべき道までもが見通せるという代物ではないと捉えておいた方が良さそうです。

となれば私は、「分かろう」という姿勢からむしろ離れて、「分からんなあ」という疑問符を最後の最後最後まで引きずって『ザイム真理教』について綴ってみるしかあるまい!
そのように思い至ったのです。
 
 まず、初めに私は自分自身の洗脳の程度を探ってみることにします。
経済に対する知識がない私は
「ザイム真理教」の教義を理解する頭がないわけでして、揺るぎない信念を持つようなそんな人材ではありません。
ならば、私は「信者」さんではないのかな?
いやいやどうも、そうとも言い切れません。

国債残高云々〜という報道に対する私の反応は、既に私が信者の一人であることを知らしめます。

日本では国債残高というものがどんどん増えていて、いまや先進国のなかでダントツに大きなものになっている。
それは、国民一人当たり800万円を越える額なのである。

このような報道に接し、私は
「これって大丈夫なの?」
「どうやって手を打つの?」
「これを先送りしてはならぬ!」
という反応を示します。
国債=国民(我々)の負債であるかのように感じられるのです。
もちろん、腑に落ちないですよ!
エッ?
そういうことなの?
とは思いつつも、
「はい!そういうことなのですよ!」
という天からの声を脳内に作り上げ、受け取ってしまっていますからね!
私は、教義を理解できないままに、それでも立派な信者であるのです。

しかし、森永氏は本書ページの中で次のように述べています。

しかし、そもそも日本は、そんなに大きな「借金」を抱えているわけではない。日本政府は、世界で類を見ないほど大きな資産を保有しているからだ。

な❢❢❢ぬ???
森永氏による、日本の持つ資産についての説明が続きます。
当然それに対する財務省側の反論があるわけで、それは、森永氏の指す「資産」は持っていたところで売れないもの、益に還元できない、というものです。

それに対して、森永氏は
「いやいや、売却できますよ。」
と応答。更に説明が綴られているのです。

いずれにせよ、いま政府が抱えている資産のなかで売れないものはほとんどない。

と、言い切っておられます。
ただし、森永氏はその資産をやみくもに売れば良いとは考えているわけではありません。
持っている資産を脇によけたまま、負債の大きさばかりを主張する財務省のあり方を批判するのです。

1000万借金をして、それをそのまま預金している人が「借金で首が回らない」というのはあまりに不合理だからだ。

という主張です。

財務省と森永氏の負債に対する考え方の違いは、負債をネットでみるか?グロスでみるか?ということ。

…ん?
ネット?
グロス
これ私には分かりません。

お勉強しておくことにいたしましょう。

この言葉は、様々な商談、不動産業界における利回り、自動車のエンジン出力の値、ゴルフのスコアなどでも使われており、割とポピュラーな言葉のようでした。(知らなんだ…)

グロス…総量・統計
ネット…純量・正味

ざっくりまとめれば、このような意味を持っています。
なるほどね。



 さて、読書感想文一旦ここで締めましょう。
原稿用紙の区切りみたいなものです。実際の文字数は関係なく1ページがここまで、と解釈して下さい。

つまり、この記事続くのです。
何故か意欲満々です。 
となると、これはもしかしたら、読書感想文の範疇を越えて、自由研究モードになってゆくかもしれません。
自己満自由研究ですので、この先のお付き合いに関してはご自由に!