スピリチュアル無賃の旅…裏口から

 家の表玄関から道を行けば、K子の職場にたどり着きます。
彼女は週五日そこへ通い、賃労働に勤しむ老年女性。
そんな暮らしながらも、彼女の興味は別の領域にも向けられており、そのエリアへも足繁く向かうのでした。

そこは極々身近にあり、家の裏口からちょいと足を踏み出せばその世界。

そこでは様々な人が、様々な活動を繰り広げ、賑わっています。
彼女のように散策目当てで歩く方たちも大勢。

それぞれが自由に歩くことができる場所ですが、K子はやや用心深くそこを歩きます。
帰路が分からなくなるような場所へうっかり迷い込まないように!とキョロキョロと視線をさまよわせながら歩くのです。


このエリアを何と呼べばよいでしょうか?

とりあえず「町」としておきましょう。
「町」の入り口は気軽に歩けます。
おみくじ屋、手相見、星見の店などが並んでいます。
キラキラした石を並べている露店もありますが、それらは安価で自分の慰めに一つ買い求めても、良いかなと思わせるものたちばかり。

K子は財布も持たずにうろついておりますから、それを買うこともしないのですがね。

 K子は、占星術師の言葉を熱心に頷きながら聞いている若い女性の背中を見やりました。
あの人は、星の運行と自分の人生が連動すると信じているのだろうか?

手の平を差し出し手相見と言葉を交わすあの人は、実際手の平の線が自分の人生を物語っていると信じているのだろうか?

人々はこういうことをどこまで‘’本当の事‘’と捉えているのだろうか?
そして私自身は?

 どちらにしても、「町」の入り口の佇まいは、日常からそう離れてはおらず、人々は気負う必要もなく、ちょっとした楽しみや刺激を求めて歩いているのです。

ふと空を見上げたK子の目が一瞬輝き、口からは
「おや?龍神雲」
という声が漏れました。
(1月18日・kyoko撮影)
腹を上に向けた龍さんに見えたのです。
その雲を写真に収めたものの、K子は自分の心に湧く疑いに戸惑うのでした。

たまたまできた雲のとんがりを角に見立てたり、口に見立てただけで、これを龍神として喜ぶなんて、私、おめでたいだけなのかな?

目を輝かせたはずのK子の表情に早くも苦笑が浮かぶのでした。
もちろん、真偽にこだわらず、この現象を面白がることは、楽しいし、罪もないこと。

でも、この「町」を奥へと進めばには、「龍使い」とい方もおられて、雲が見せる現象も龍の顕現として疑わないとのこと。
雲にとどまらず、神社の老木などで休んでいる龍を見ることもできるらしい。


K子の知らない世界、K子が信じるに至らない世界。
だからってそれを無きものとして遠ざけることができない彼女なのでした。

彼女の足は自然と「町」の図書館へと向かいます。

更にこの「町」には端末さえ所持していればほぼ無料で視聴できる上映場所も多くありますから、彼女はちょくちょくそこへも向かうのです。

しかし、情報集めをすればするほど、収集がつかなくもなるのです。

想念、波動、直感、霊感、潜在意識、次元上昇、言霊…この界隈の言葉たちが押し寄せてきて彼女を迷わせるのでした。

中でも、目の前に起きる出来事は、全て自分の想念が作り出しているという考え方は、K子を大いにうろたえさせました。

心配症で、すぐに不安に捕まってしまう彼女は、自分の悪しき想念こそが、次の良からぬ出来事をひきよせるのではないかと怯えてしまうのです。

同じ情報から
「おお!出来事というものは自分次第でどうにでもなるではないか!コントロール可能なのだな。」
とポジティブに受け取ることもできるはずなのに。
どうもK子はそのようには受け止めることができないのでした。

無理無理!
私には無理!
そもそも想念が出来事をうみだすなんて、信じられる?
スピリチュアル界を、知りたいのか知りたくないのか?近づきたいのか?近づくのが怖いのか?
信じる気持ちというのは、人の話だけで出来上がるものではなく、自分の体験を経て初めて確信に至るのだろう。
そう思いつつも、K子はあいも変わらず他者の書いたものを読み、他者の発信映像を見入るのでした。