共時性(アバウト解釈)を感じるこの頃

ソウル・オブ・くず屋発

 まずは新聞切り抜きからご覧ください。

図書館にリクエストしようと思い切り抜きました。
が、、そのまま雑多な切り抜きに埋もれることしばし・・・。
アイヌ民族関連記事の投稿を続けた際、それらを少々整理しました。
その時出てきたこの切り抜きを救出し、図書館にリクエストするべく別のクリアファイルに移しました。

そんな出来事のあと、出会ったのが次の記事です。

「バフンケ」の記事以降、このような連鎖が続いているように感じます。

とはいえ、北海道新聞で紹介された一冊の本について、ある方が後に「読者の声」として投稿することは、取り立てて珍しいことではありません。
共時性」を持ち出して話題にするほどのことではないかもしれませんね。
でも私にとっては、連鎖的な流れを意識するに足る、ワクワクの出来事だったのです。

関口裕士氏・・・10万年も隠し続けないといけないものを、なぜ生み出してしまったのだろう

 本の紹介を書いた関口裕士氏・・・北海道新聞報道センターの記者さんです。
ご自身も共著による本を出しておられます。

以下はネットで見つけたものです。

https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/25467www.jnpc.or.jp
2013年の記事です。幌延の深地層研究センターについて書かれております。
この施設は、放射能廃棄物の廃棄のための研究施設として着手されました。
あくまで研究施設であって、核のごみは持ち込まないという約束のもと掘り進められてきました。
研究後は埋め戻すことになっております。

しかし、その研究の終了期日が迫ってくるや、研究の延長が取り沙汰されるようになり、北海道新聞の紙面でも目に留まることが多くなり・・・・私の、”関連の切り抜き”もかなりたまっている次第。
そして・・・・・今月10日、次のような決定がなされました。

幌延町にある日本原子力研究開発機構幌延深地層研究センターはことし8月、当初、来年度末で終えるとしていた原子力発電所から出る核のごみの処分技術の研究を2028年度末まで延長する計画を示し、9日、幌延町が計画を受け入れる判断を示しました。

(北海道NEWS WEBより一部抜粋)
 この決定の2日後、北海道北部(幌延も含む)で大きな地震があり、私は、このことに感応したのではないかしら?と思ったりしたのです。
それはさておき、
捨てられないごみの最たるものは放射性廃棄物でしょう。

幌延は今も研究施設という名目は保っておりますが、このような延長の末に、「ここに放射能廃棄物を収めるしか方法はないでしょ。せっかくあるんだし」・・・という流れになるのではないでしょうか??
だってどこかが受け入れなくてはならないのですよ。


長く原発問題に取り組み、紙上で発信してきた関口氏にとって、いち「くず屋」による発信は、示唆に富むものと感じられたことでしょう。

その関口氏ですが、奥様がこの町の御出身です。
この本の出版後、小さなカフェで開かれた「トークの会」に私も出席させてもらいました。
ささやかながら、そんなご縁があるのです。

原発問題についてはここでは深く論じません。(関心はおおいにありますが、私の手に負えません。)

話を先に進めましょう。
次なる切り抜き ”読者の声”についてです。

平島邦生氏・・・・ヒガ君のやさしい語りはだれにでも素直に受け入れられるだろう。


 この方は、娘と縁がある方なのです。
~下書き段階でここまで書いて、ん??そう言いきって良いのか??と立ち止まりました。同姓同名の別の方の可能性もあるのです。ここは慎重に!!と調べた結果、おそらくまちがいなかろうと判断し、続行です。判断材料を得た過程は次の記事に書きましょう。~

 娘は高校生のころ、少々鬱屈しておりました。
上の兄はピアノに夢中、そこへの情熱を迷うことなく注ぎこんでおりました。
下の兄は、卒業後専門学校に通うべく札幌へと繰り出しましたが、本格的にバンド活動をするといい、そこをやめ精力的に動いておりました。
二人の兄に比べて
私には何もない。
彼女はそうつぶやいて、自信が持てずにいたのです。
彼女の生徒会での活動などをとりあげ、
「あなたにも、個性や魅力があるでしょ。」
と声をかけましたが、彼女にとればそれは慰め。
”熱を注げる自分の道”を欲しがっていたのです。
学業にも、スポーツにも劣等感を抱いていた娘です。
努力したって所詮しれているし、努力せよ!という大人からの発信さえ受け止めたくなかったようです。

何か!何か!自分だけのもの、兄たちとは違う何かをつかみたかった娘は、高校2年生の夏、「ひびきの村」のサマープログラムに参加しました。(この場所の存在は私が伝えたと思います。)
「ひびきの村」とは、シュタイナーの思想(人智学)を実践するための学びの場所です。
北海道伊達市にあります。
そこに単身繰り出して、五日間の体験をしてきました。
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(娘のアルバムより)


ここでの体験の様子を撮影したのが、平島氏です。
五日間を共に過ごし、温かい交流をもったことを娘から聞きました。
新聞投書は「主夫」の肩書きですが、彼は写真家なのです。
私はこの「主夫」にひっかかり、同姓同名の別人かな?と思ってしまいました。
その後送られてきた写真には、文書に添えて娘へのメッセージが書かれてありました。
君の中にはあたたかくて、やさしくて、楽しいエネルギーがあふれているように見えた。自分ではまだ気づいていないのかもしれないね・・・。
と。
この体験で、大いなる自信や、かっこたる道を見つけたわけではありません。
実に娘は、その後も劣等感を引きずっているわけなのですが・・
kyokoippoppo.hatenablog.com
とにかく「サマー・プログラム」(ミカエル・カレッジ)に関しては、
自分で決めて
自分で行って
家族も知らない自分だけの体験をした・・・
そんな喜びを味わったことでしょう。

東龍夫さん→関口さん→わたし
東龍夫さん→邦生さん→娘
このようにつながったことがうれしくて、今記事となりました。
しかし、東龍夫氏は亡くなってしまったのですね。
残念です。ご冥福を祈ります。

先日図書館に『ソウル・オブ・くず屋』をリクエストしてきました。
届くのが楽しみです。

雪がきた・・写真3点

夏道路から一転

12月14日の写真です。
お散歩に繰り出す孫。f:id:kyokoippoppo:20191215085039j:plain:w400:right

雪がきた

翌日12月15日の写真がこれ
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港での一枚です。
娘が撮ってくれました。
船はみな、”おか”に上げられています。

朝日

12月16日
朝は5時に起床します。
夫はまだしばらく寝床の中。
みなさんのブログを読んだり、ニコニコ動画のぞいたりしたのち朝ご飯。
たいていトーストとコーヒーです。
しばしのくつろぎの時間・・・・ふと目をやった窓の外がやけに色づいて見えました。
大きな朝焼けです。

東の窓ごしにパチリ

書きたい記事があと二つ。
でも今日はここまで。
おふとんにゴーします。

明日は義父の一周忌です。

あっはっは!おっほっほ!

孫と留守番

 土曜日(12月14日)・・・娘の住宅に行きました。
一時間ほど孫とお留守番。
娘は、町のお食事処でパート仕事をしておりますが、もう一つ仕事を抱えております。
人手が足りなくて,てんてこ舞いの酪農家さん宅の「賄いさん」をしているのです。(買い物、お掃除、ご飯支度)
つまりは、もう1日中台所に立っている状況。
私には務まりませんね。
普段は金曜日に、まとめ作りをして土曜日出勤が無いように調整しているのですが、
季節柄パート仕事の方も立て込んでおり、時間が無く、前日のまとめ作りがてきなかったのだそうです。
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子連れで行っても問題ないようですが、なるべくそれは控えたい。
ということで、ばあば出動となったのです。

部屋をのぞくと、下着を後ろ前に来て、さらには妙な重ね着をした孫が「ママのお手伝い」と称してザルに入った不用の野菜くずを洗っておりました。
ママが出かけたあとは、ひとしきり鬼ごっこ
身体を動かしたい孫に付き合って、テーブルの周りをぐるぐるぐるぐる。わあわあ!!
そのあとは塗り絵。
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さらにはマグネット付きのおもちゃで遊びました。
お誕生日のプレゼンとだというこのオモチャなかなか楽しいですよ。




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クリスマスツリーにまでくっつけちゃった。
そのうちママが帰還。
私は珍しいことにお昼は予定有り!
バトンタッチとなりました。
お散歩に繰り出した孫とママに手を振って
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私は遠軽へゴー!

 先ほど住宅から外へ出たときは、風もなく暖かいと感じましたが、
道路で確認したの温度表示は2度。
決して暖かいという気温ではありませんが、一時の真冬日を体感した身体は、2度を暖かく感じるものなのですね。
それにしても、この時期になっても積雪ゼロ。
夏道路と変わらない道でした。

 さてさて、この日。
以前一緒の職場で働いたお仲間と会うことになっていたのです。
教員は、転勤のために離ればなれになってしまうことが多いのですが、お二人とも拠点がこの近辺ですので、お二人の退職後の今も会うことが可能なのです。

とはいえ、なかなか実現せず。
この度ようやく「いつか、いつか」のアバウトだった掛け声が実現しました。
遠軽のホテルのレストランで美味しいご飯を食べ、心ゆくまでおしゃべりを楽しみました。

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(和洋中弁当のあとにいただいた抹茶アイス

引き寄せ

 話は飛びますが、先日ネットの中で
「引寄せ」について書かれている文章を読みました。
どういう流れでその記事にたどりついたのだったか??
今再び同じものを探し出せず・・・迷子状態です。ですので記憶頼みのアバウト説明ですが、とにかくその内容は、
引寄せというのは、欲しいものを願って手に入れるというようなことではない」というもの。

単に、「似ているものが集まるという現象を指す」のであると。
「類は友を呼ぶ」という現象であると。

スピリチュアル的にいえば波動の似ているものが集まる。引寄せられるというところでしょうか?
(江原氏もそのようなことおしゃっていますよね。)
願えば叶うというのとは違う。
願ったときに焦りがあれば、焦燥感という波動が類を呼ぶのであると。
欠乏感に駆られて願えば、欠乏感に見あったものが引寄せられるようで・・・・・フムフムなるほど、と思った次第。

私はそんな話も紹介しながら、
「あはは、おほほ」
楽しくしゃべって楽しいことを引寄せましょうと。
一時笑ったところで、きっとそれぞれの生活の中での苦労や心配は根絶やしにはなりませんが、
「あっはは」「おっほっほ」
楽しかったですよ。


偶然の一致

 町の図書館では、閉架室に収まりきれなくなった古本を無料で少しずつ放出しております。
その棚で見つけた本
『本当にあった嘘のような話』
~「偶然の一致」のミステリーを探る
これを、しばし眺めた末に持ち帰りました。

偶然の一致に意味づけを行ったのはユングです。


シンクロニシティ(英語:synchronicity)とは、ユングが提唱した概念で「意味のある偶然の一致」を指し、日本語では「共時性」「同時性」「同時発生」と訳される。
シンクロニシティは日本語では「共時性」と訳され、複数の出来事が意味的関連を呈しながら非因果的に同時に起きることである。しかし、因果関係自体が哲学的議論になってくるため、正確な理解は難しく、解釈の余地が大きいとする考えがある。シンクロニシティは、それが起きることで意味を生成しているともいえ、ユングシンクロニシティに現われる意味は、もっぱらユング心理学の中核概念である「元型」であると主張した

Wikipediaシンクロシニティ」のページより。

ユング心理学も奥深くおもしろいのですが、ブログ記事にするには私の手に余りますので貼っただけ・・。

さてこの本・・ちびちび読んでおりますが、
宝くじに連続して当たった人の話や、不運の連続を味わった人の話なども紹介されておりました。
それも「引寄せ」のなせる事象なのかな?と思ったりして・・・。
ただし、宝くじを連続してあてた人物が、幸せを手に入れたか?というのはまた別の話なのですよ。
この人が手に入れたのはあくまで一時の「マネー」であったということ。

なるほどね。

また、運が良い悪いに関して因果関係を研究したリチャード・ワイズマン博士にも触れております。
博士は、
日頃「自分は運が良い」と思っている人と
「運が悪い」と思っている人では違いがあるのか?
あるとしたらどんな違いがあるのか?などを10年かけて研究したそうです。
何百人という被験者に徹底的なインタビューを行いビデオ撮影し、答えの内容ばかりでなく、答えるときのようす、顔つきしぐさなども観察したのです。

その結果、運のいい人は、笑ったり相手と目を合わせたりする頻度が多いことがわかった。
また、運の悪い人と比べると、はっきりした身ぶり手ぶりを使うことが三倍も多かった。

また、パズルに取り組んだ際、運が悪い(と思い勝ちな)人は、諦めが早いことなどがわかったそうです。




まあ、驚くような結果ではありません。
・・・・ね。



そりゃそうでしょうという結果です。
でも私は、ここに真実があるのだろうと思います。

私はこのシンプルな法則を、意識しながら暮らしていくつもりよ。
何か引き寄せる以前に、それはすでにステキなことだからです。
クリスマスが近づきます。
ホワイトクリスマスになるでしょうか?
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・・・と下書きの段階で書きましたが、降りました。
翌日の日曜日。
白い世界が出現しました。

納戸に入れなかった本

アイヌ民族ネタなれど

 アイヌ民族ネタなれど、「納戸」(関連する記事をまとめて放り込んでおく、部屋=カテゴリ)に収納しなかった本をご紹介。
kyokoippoppo.hatenablog.com

の二冊です。
『冥土のお客』
 北海道に別荘を建てたことをきっかけに、霊現象というものに初めて遭遇した佐藤愛子氏。
実際に見て、聞いて体験したことは無きものにはなりません。
霊の存在や、この世の先の世界を信じるに至った佐藤氏はその後、様々な”あの世からのお客たち”と珍交を深めてゆくのです。
『私の遺言』
こちらは、発端となった、北海道の別荘での霊体験を起点とし、佐藤愛子氏がこの現象とどのように向き合い、理解し、自分の生きる意味へとつなげていったかが書かれております。
以下アマゾンの商品紹介文をお借りしました。

霊の世界の実相を伝えること。それが私の使命だった。
――すべては佐藤家の先祖とアイヌの因縁に始まる。

北海道に山荘を建てたときからそれは始まった。屋根の上の足音、ラップ音、家具の移動をともなう様々な超常現象、激しい頭痛。私はあらゆる霊能者に相談してその原因を探った。そうせずにはいられなかった。やがてわかった佐藤家の先祖とアイヌとの因縁。霊界の実相を正しく伝えることが私に与えられた使命だったのか。
浄化のための30年に及ぶ苛烈な戦いを記した渾身のメッセージ。

 佐藤愛子氏といえば、最近では『九十歳なにがめでたい』という本が人気ですね。

『冥土のお客』『私の遺言』は、スピリチュアル指南ともいえる一冊ですが、ブームにのる形で書かれたものではないことは納得していただけることでしょう。
『冥土のお客』の後書きには、次のように書かれております。

以上の話を真実と考えるか、妄想駄ボラと思うかは読者の自由です。私はただ実直に、何の誇張も交えず私の経験、見聞を伝えました。これらの体験を書いて人を怖がらせたり興味を惹きたいと考えたのではありません。

江原啓之氏との対談

 おおざっぱな下書きの段階で、ネットで見つけた江原氏と佐藤氏の対談の一部をコピーして貼り付けました。
ところが、貼り付けて再びネットに戻ったら引用先が見つからず。
ルール違反かもしれませんが、コピーしたものの一部をそのまま使わせていただきます。
対談の一部をピックアップし、順序もいくらか変えて要約したことをお断りしておきます。
件の北海道の山荘について・・・

佐藤・・その北海道の家を建てた場所は、土地を見に行って、ひと目見るなり 魅了されたようになってその場で決めたんです。それは、もう探すのはやめて帰ろうとした最後の日でした。

 しかし・・・

佐藤・・・・そこはアイヌの集落だったんです。アイヌが神様を祀ったりしていたところへ私が家を建てたということが原因だったんです けどね。その集落にいたアイヌが和人(シャモ)のために皆殺しになっていたんですよ。
何も悪いことしていないのに一方的にやられた。その怨念がずーっとつづいていた、そこへ私が家を建てたってことらしいんです。

江原・・・・ 選ばれたんですね。
霊界は先生に霊的真理に目覚めてほしかったんでしょう。
そして世の人々に(霊)心の癒しを与えてほしいと願った のでしょう。
それには生半可な心霊現象では先生が納得しないと考え、ハデにポルターガイスト現象を体験させたのでしょうね。


佐藤・・・その後いろんな霊能力者に会ってきくと、皆さん、それは佐藤さんの意志というよりは「選ばされた、家を建て させられた」のだと言われました。これは長年にわたる怨念をしずめる役目を遣わされたというわけでしょうかね。
万事がんばる、私の性分を見込んで選ばれたのか、あるいはいろんな私の因縁があって、そのカルマのためにしなければ ならなかったのか、与えられた使命なのかどうかよくわからないけれど、この家を建てたことによって、神仏のことにまるで関心を もたなかった私が、これがきっかけになって、人生観も、価値観も変わってきました。
いままで度重なるつらい経験もしてきたけれど、私にとっては有難いことだったと思うようになっています。

(太字はkyoko による)
再び『冥土のお客』後書きに戻りましょう。

この世で我々は金銭の苦労や病苦、愛恋、別離、死の恐怖など、生きつづけるための欲望や執着に苦しみます。 しかし、それに耐えてうち克つことがこの世に生まれてきた意味であること、その修行が死後の安楽に繋がることを胸に刻めば、「こわいもの」はなくなっていく。
それがやっと八十歳になってわかったのです。

私は・・・

 私自身は霊的なものを見たり感じたりするタイプではありません。
そのようなものとは一生無縁でいたいと願うほど、「怖い」という感覚が先に立ちます。
しかし「霊的な世界はあるのだろう」という気持ちは、強く持っております。

 霊現象に立ち向かうような度胸は持ち合わせていないながらも、「霊的世界」には興味を持っているのです。

 そもそも私が憧れた「シュタイナー教育」はそこへの理解がなければ成り立たないものです。
こちらへの探求も立ち消えておりますが、今記事公開後、若干スピリテュアル方面へ舵をきりそうな予感がしますよ。
kyokoippoppo.hatenablog.com

これも、おもしろそう!!↓
xn--230ao56b.com


貼り付け、引用の多い記事となりました。あしからず・・・。

納戸・・・アイヌ民族のお部屋

出てくる出てくる


 『熱源』を読み・・・・一枚の新聞記事が出てきて・・・・その流れに沿うようにアイヌ民族に関わる記事を書きました。
kyokoippoppo.hatenablog.com

前回の記事は、「年休取ったよ」という内容でしたが、その日手に取った漫画『王道の狗』のあらすじ紹介にはやはり「アイヌ」のワードが。
・・・ということでアイヌ民族に関わる記事が続いております。

年休二日目だった昨日、まだまだ雑多にある新聞記事をめくっていたら
「あらあら」
「また出てきたわ。」
・ 


関連する記事が出てきたのです。
重ねて書くのはしつこいよな。
追記して、貼り足そうかな??
などと迷いました。
内容としては重複するものなので、そのまま捨ててしまおうか??
いやいや・・捨てられません。

で本日の新カテゴリとなりました。

納戸

 アイヌ民族関連のものをひとまとめにして、収納しようと・・・。
とりあえず保存しておくものを、仕舞っておく・・それだけのお部屋です。
貼った写真も明瞭でありませんし・・・

スルーしてくださってかまいませんよ!!
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このポスターは図書館のロビーに貼ってあったもの。


kyokoippoppo.hatenablog.com

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『王道の狗』を読み終わり、『ゴールデンカムイ』を読み始めました。

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残酷で凄惨な場面が多く、苦しい気分になりながらもぼちぼち読み進んでおります。

本日年休最終日。お掃除はほとんどしないまま。
とはいえ、明日金曜日の久しぶり出勤のあとは、また週末です。
12月半ばなのに積雪ゼロの我が町です。

ほほほ・・・年休ですのよ!!

週明けのびっくり!!

 ワタクシの仕事は「支援員」。
小学校で働いております。学校生活や学習がいくらかでもスムーズにいくように、児童の手助けする仕事です。
なかなか思うようにはまいりませんが、
大変楽しく、張り合いをもって働く日々です。
今月9日・・・週明けのこと。
職員室に入るや
「Kさん!!大変です!!9人も欠席です。」
と担任が。
インフルエンザです。(25人中9人の欠席)
学級閉鎖するか?の判断のために登校してきた児童に対しても普段より細かい健康チェックがなされました。
「鼻水が出る人?」
「頭が痛い人?」・・・・・・
子どもっていうのは、手を挙げちゃうんだな。これが・・・。
「ややや!!あなた元気に走り回っていたでしょう!!」
「え~!!??ホントかよお。」

その結果もふまえ、案の定学級閉鎖が決まりました。
3校時まで学習し、給食を早めにいただき下校。
閉鎖期間となった3日間・・・。
私は迷わず年休としました。
たっぷりあまる有休休暇の消化に持って来いですよ!!


たった一日の有休のために一ヶ月前から調整し、いくらかでも周辺に波及しない日を選び、やっと一日の有休を手に入れるというjhOiamさん。
彼のことがとっさに頭に浮かびました。
saitama-dame.hatenablog.com
そんなわけで、私も年休ですよーーー。



職員室の南に向いた窓が夕日に照らされ明るく輝いておりました。
外に出てパチリ。
ごらんの通り、雪はほとんどありません。
「ウフフ、それでは皆さん失礼いたします。」と職員室を後にしました。

お掃除のつもりが・・

年休初日・・・なんと!!夫が具合悪し!!
発熱と咳・・インフルエンザかもしれないです。
(インフルエンザでごさいました。)
私は急遽マスク着用です。
3日間の休み中、腹いっぱいお掃除をするつもりでしたが、まずはパソコンの前へ・・・。
昨日の記事を書き上げるために半日近くを要してしまいました。

午後は孫のズボンのお直し
「ウエストが落ちてきてお尻の割れ目まで見えちゃう」
というズボンの股上を先日直したのですが、↓

(仮縫い状態の写真です。)

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やはりずるずると落ちてくると・・・。
どうも股上の問題だけではなさそうです。
ベルト通しの部分の締まりが悪いのです。
そこで・・・出ましたkyokoの廃物利用!!
エスになる寸前のトレーナーの裾の部分を利用したのです。


(光の加減か色が違って見えますが、同じズボンです。)
これで大丈夫!!格好良い仕上がりでないのは承知です。
でも決め手は落ちてこないこと!!

お掃除の気分には程遠く、そのままソファに居座り、『王道の狗』(第三巻)を読んで過ごしました。

王道の狗
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

『王道の狗』(おうどうのいぬ)は、安彦良和の漫画作品。
明治時代中期から末期の日本、朝鮮、清を舞台に、秩父事件から日清戦争辛亥革命までの東アジアの歴史と、それに翻弄された人々の運命を描いた。2000年に第4回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。『虹色のトロツキー』、『天の血脈』と並ぶ安彦の「現代史三部作」の一つ。

壮大なストーリーですが、我が町が、ストーリーの起点となっております。

1889年(明治22年)秋、北海道上川。明治政府による石狩道路建設のための懲役労務に従事していた自由党の加納周助と、天誅党の風間一太郎が共に現場から脱走するところから物語は始まる。加納は大阪事件に関与し重懲役九年の刑、風間は高田事件に関与し重懲役十年の刑を受け、過酷な重労働の日々を送っていた中での脱走だった。その道中、二人はアイヌ人の猟師・ニシテの助けを受けると、加納は「クワン」、風間は「キムイ」というアイヌ名を与えられ、湧別で農場を営む徳弘正輝の下に身を寄せることになる。やがて二人は徳弘にアイヌ人ではないことを見破られてしまうが、軍を追われた身だという彼の庇護を受け、アイヌの娘・タキと出会うなど平穏な生活を送る。

(太字はkyokoによる)
「徳広正輝」は、地域の学習のなかで児童たちが知り、学ぶ人物です。
また安彦氏は、隣町遠軽町の御出身なのです。

beeno.fc2web.com
(こちら関連のものがチラリとわかるブログです。)

このことに関してはいずれ別記事にしてゆくつもりです。

まとまらない記事となりましたが、年休モードということで・・。

鮭を取らせて!!・・・新聞切り抜き

新聞切り抜き第3弾!!

 先住民族に関連する新聞記事を貼って記事にすること3回目!!
大きな記事が2枚も!!分割して貼りましょう。

     2019年9月13日・・北海道新聞

自由なサケ漁を求めるアイヌの訴えに関する記事です。
しかも、これは隣の市で起きた出来事。

ここでは骨子のみを抜きだしましょう。
1878年・・・開拓使が支流でのサケ・マス漁を全面禁止にした。
川でのサケ・マス漁は日本法制度の整備以前にアイヌ民族が持っていた当然の権利である。
これを非人道的に奪ったのは和人たちである。またこの一方的な取り決めは鮭を主食としたきたアイヌにとって飢餓にも及ぶ死活問題であった。

1951年・・・・水産資源保護法制定~内水面(淡水域)でのサケ・マス捕獲禁止
1986年・・・道がアイヌ民族に伝統文化の伝承や儀式での特別採捕を認める。
許可を出す権限は知事が持つ。その都度捕獲日程や捕獲数などを記した書類を提出しなければならず使い勝手は悪い。
2007年・・・国連が先住民族の権利宣言を採択
2018年・・・国連人種差別撤廃委員会が日本政府にアイヌ民族の土地・自然資源への権利を保障するよう勧告

2019年5月・・・道は、アイヌ施策推進法に従いサケ規制に関して円滑な運用に努めると記す
手続きの実質的な簡便化にはほど遠いものであった。
2018年・・・紋別アイヌ協会の畠山会長が、特別採捕を申請せずに捕獲しようとしたが、当日警察によってはばまれた。
2019年・・・畠山エカシは問いかける・・「アイヌが主食である鮭を近くの川で捕るのに、なぜいちいち知事や総理大臣にうかがいをたてされるのか?」今回の採捕に向け、紋別アイヌ協会は何度も協議を重ねた。決着を見ないままXデイはおとずれた。

警察は動かず、現場で道職員が口頭で警告。協会は漁を完遂。捕ったサケは2匹。


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 9月16日・北海道新聞

道は、即日エカシらを紋別署に告発。


 このような強行的な行為に関しては、全てのアイヌの方達が賛同しているわけではありません。
そもそも「アイヌ民族」はこれまでの長きの間に、日本人の生活様式を取り入れ、同化してきました。
今や鮭を「主食」として食べている実態はないかと思われます。
ですから食生活における切実感は薄いはずです。
鮭に対する特別な思いは、伝統的な儀式の中に残るのみといえるでしょう。
そして伝統的な行為に対する思い入れも、人それぞれに違いがあることでしょう。

しかし、「鮭」がアイヌの人たちにとっては、神聖な神様からの贈り物であり、儀式の大切な供物であることは間違いありません。

華々しいウポポイ建立の陰に・・

 前回の記事のように、道は「ウポポイ』なる施設を作り、先住民族のとの共生を謳っております。
多くのお金を使い、観光の新たな拠点とするべく宣伝をしております。
しかし、鮭の捕獲に対するアイヌエカシの思いに対しては、十分な理解と歩みよりの姿勢を示してはおりません。
賛否はありつつも、エカシの行為は、このような道の姿勢、また北海道という土地に住む私たちに貴重な一石を投じてくれたと感じます。

北海道さけます増殖事業協会

 私が北海道に来て初めて就いた仕事は、さけます増殖事業協会の支部の事務でした。
オホーツク海沿岸北部の川の、さけますの捕獲数の記録や、湧別の捕獲場の会計報告などが主な仕事ですが、実質電話番。
ヒマを持て余すようなお仕事でした。
河原に建つ番屋に出向きご飯したくを手伝ったり、採卵の手伝いをしたりもいたしました。
サケ・マスの捕獲は、ウライという施設を使って行われます。
川を溯上するサケの、川上へ川上へと向かう習性を利用してサケを一ヶ所に誘いこむのです。
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(写真は北海道さけます内水水産試験場のページより)
それを捕まえ、別の河川敷にある養魚池へと運び、放します。
そこでお腹の卵が熟成するのを待つのです。
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(写真は阿賀野川えーとこだ流域通信のページより・・・道内の河川ではありません。)

殴って半殺し

 採卵の日には胴長をはいた作業員たちが養魚池に入り、網でサケを集めメスの腹をしごきます。
魚卵の成熟具合を確かめるのです。
バラになったイクラがパラパラと落ちてきたら成熟のサイン。
するとその鮭の尾を掴み、その頭を、
手に持つ棍棒でなぐりつけます。

失神したサケはベルトコンベアに乗って作業台にやってきます。
一人が背びれを押さえ、もう一人が頭を固定します。
そして背びれ側の人がナイフ(マキリ)でさっと腹を裂くのです。
手際よく卵が掻き出され、そこにすぐにオスの腹から絞り出された精子(白子)をかけ、混ぜ合わせます。
腹を切られたサケと精子を絞り出されたサケはもう用無し。
ベルトコンベアにのって外に横付けされているトラックの荷台に運ばれていきます。
このサケは”採卵かす”と呼ばれ加工業者の手に渡ります。(お茶漬けの素の材料になるというようなことを聞きました。)
マスの採卵も同様です。

新鮮な生きている卵を取るために魚は生かしておかねければなりませんが、活きが良すぎれば思うような作業ができません。
中には作業台の上で飛び跳ねる元気な個体もあるのです。
私の役目は頭持ち。

ニュルニュルの眼球の中に親指を深く突っ込んで、しっかりと頭を押さえなければなりません。
腹が裂かれる瞬間、サケは動かぬ体をめいっぱいのけぞれせ、その圧力は私の体にも伝わります。
次から次へとやってくる魚たち。
腹を裂かれてトラックの荷台に運ばれた魚たちは、切なそうにエラをいっぱいに開き、必要な酸素を求めて喘ぎます。
「あああ!!!かわいそうに!!!」
資源のための事業。
けっしてサケのためではない。

 ウライを使う漁法は、アイヌの人たちが魚をとるためにあみだした方法のようです。
しかしそのように魚を捕るにしてもも、アイヌは決して一網打尽にとるわけではありません。
必要な分だけを捕り、その魚は神からの贈り物として余すことなくいただき、利用することで感謝の意を表すのです。

今サケが自然に溯上できる河川はどれだけあるのでしょう。

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 鮭はボロボロになりながらも、自然の川を自分の力で昇ってゆきたいでしょうね。
美味しい鮭をいただく身として、増殖事業そのものを真っ向否定することはできません。

ただ、先住民族との共生、尊重の掛け声のもといったい何が大事にされるのか?
何を推進していくのか?
観光や経済にばかり光が当たりがちな現実に目を向けていきたいものです。