のーーんびり休日!

休日だから♪

 6月13日土曜日です。
お休み・・・。
娘と孫は別の予定有り!!
おーーほっほ。
うれしいわ!!

 今朝も5時起き。
夜明けの時間が最も早いシーズンです。
我が町の今朝の日の出は3時42分でした。
私は朝の時間が一番好きなので、休みの日も、なるべくいつも通りの時間に起きるようにしています。

 コーヒーとパンの朝ご飯。
ブログを仕上げて投稿。
そのあと外に出て草取り。朝からじりじりと暑い日でした。
「やっ!」と切り上げて、
家に入ってからは、やりかけの縫い物を・・。
何を作ったの??って??
もう、話題にできないほどのボロ布処理ですの。

 チャイムが鳴りました。
玄関へ出たら、おか持ちを下げた男性が立っておりました。
「隣の市から来た◯◯食堂です。お弁当いかがですか?」と・・。
コロナで難儀している食堂の方なのでしょう。
とびきり美味しそうな品物には見えませんでしたが、エビフライと赤いウインナーと目玉焼きが乗っかったカレー弁当を、500円で買い求めました。
そうしながら、私のお昼ご飯は超々簡単な卵かけご飯で済ませてしまいました。

窓いっぱいの青空

 午後・・。やるべきことは色々あれど・・。
私は『サガレン』を手にソファへ。
ごろろん読書タイムだあ!!

しばらくは座って読むも、そのうちソファにごろん。
愛犬ブタロウが走ってきて、そばに添います。
暑苦しいなあブウタよ!!
ああ!!青空です。
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ページをめくったり、まぶたが重くなったり、再び目を開けば窓いっぱいの青空です。
気持ちの良い時間でした。
夕方はブウタロウのお散歩。
西の空は暗くって、冷え冷えとした風に変わり始めておりました。
お散歩後のブウタを風呂場に連れていきシャンプー。

いただきもののオンパレード

 そこへやってきたのが娘と孫。
「塩水ウニをもらったから 一緒に食べよう」と。
今日会ったママ友さんからのいただきものですって。
ご飯の前に二人はシャワー。
と同時に空からは滝のような雨。
豪快に降り、ぱたりと止みました。


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塩水ウニ、絶品です。
エゾバフンウニ」・・ 平たい殻の形からかバフンなどという名前になっておりますが、とても美味しい。
大変デリケートな仕事の末に出来上がる製品です。
この絵は、過去記事で使ったものです。
私の浜仕事時代、ウニ選別の様子です。f:id:kyokoippoppo:20200613193418j:plain:w400:left




今晩はこのウニを、夫 娘 私で仲良く分けていただきました。
娘よ!!美味しいものをありがとう。
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このタコもいただきものよ。
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ナマコはお義母さんがくれました。
私はナマコはいただきません。
ちょいと苦手。
娘は味はOKだが、見た目がNGということで目をつぶって口に入れておりました。

ミスマッチではありますが、いただきものの海産物と、例のお弁当で本日の晩ご飯を終えました。

さあ!シャワーを浴びて布団に入り
『サガレン』の続きを読みましょう。
とっても面白い。


本日2本目の記事でした。

初夏に綴る春の風情

蝦夷ハルゼミ

 前回の記事で、「いつまでも肌寒い」と報告したその日から、気温が上がり始めました。
かっこうが鳴き、エゾハルゼミの合唱がシャワーのように降ってきました。
それまでは、「寒いけれど我慢して」と言いながら定期的に開けていた窓でしたが、その日は、その窓からじっとりとした空気が流れ込んできました。

5年生の学習は、4年生のやり残しからのスタートでしたので、国語は今ようやく「枕草子」。
「春はあけぼの」を味わうところです。

オリジナルの枕草子を書こう!!
という課題に取り組みました。

シャンシャンというハルゼミの鳴き声を聞きながら、春のイメージを思い描き、言葉を綴り、挿絵を描くのです。
春は~。
の体言止めを使う。
最後は「よい」で終ること。
が制約として設けられました。
多くの子が「桜」を題材にしましたが、これを選ぶと個性は出にくくなります。
たいてい、花びらがひらひら散るというイメージに集約され、きれいではありますが面白味に欠けますね。

私が支援しているお子さんは、
一人が「入学式」。
もう一人は「うど」を題材にしました。

春は入学式。新入生の元気な返事がよい・・・と。
春はうど。てんぷらに塩をつけて食べるのがよい・・・・と。

このウドの天ぷらは、私もご馳走になっています。
家が近くなのです。
彼の祖父にあたるOさんが、山で採取してきて、それを奥様が天ぷらに。

お裾分けとして我が家に届けられました。
以前食堂を営んでいた方なので、カリッと揚がっていてとても美味しかった。

そんな話をしたからか、彼はウドを題材に書きました。
それにしても塩でいただくとは・・しぶいねえ・・。


ほかには
「水たまり」「自転車」「すべての始まり」・・生き物の孵化を題材にしたものもありました。
あら、これらは全部男の子の作品だわ。

「水たまり」と書いた子の絵は、雪が解けて現れた水たまりに長靴で入り、久々の水の感触を楽しんでいる様子がいきいきと描かれておりました。

「自転車」・・・これは、冬場自転車がシーズンオフになる地域の子どもならではの発想ですね。
久々にペダルを漕ぎ、風を顔に受けて走る躍動感が伝わりました。

「全てのはじまり」を書いた少年は、職員室で『昭和の子ども』と呼ばれております。
外へ行くとまず”棒っこ”を探す・・、と。
一時幼いながらもやさぐれたような様子を見せていた子です。
担任の厳しくも温かい指導の甲斐あってか、またご家庭で確かな愛情を受け取っているお子さんでもありますので、何とも愛らしいキャラクターとなりました。

丁寧に、渾身の思いをかけて描いたと思われる動物たちの絵。
春になり、野山に溢れるだした命が感じられる挿絵に、思わず声をあげてしまいました。

週末

 学校は通常の日課となっており、
休校期間中あれほど行動を共にし、学校内の整備美化に務めた支援員のお仲間とは、顔も合わせない程の忙しい日々となっております。

kyokoippoppo.hatenablog.com

それぞれの持ち場に貼り付いているので、出勤時間がずれたりすれば、ほとんど顔を合わすことがないのです。

忙しいながらも楽しい職場での一週間が終りました。

週末がやってきました。

週末は”週末らしい時間”を持ちたいです。
やりたいことは満載ですが、ゆったりした気持ちで過ごすことを心がけましょう。

 昨日金曜日は娘の住宅へ。

庭の草をお土産に。


後ろのカレンダーは、娘がスマホで撮った写真で作られたものです。
昨年ちょうど同じ頃の我が庭です。f:id:kyokoippoppo:20200612202949j:plain
まだ3歳の孫を抱きかかえている私。
きっと
「おっと、ここは大事なお花が咲く所・・。踏まないでね。」
と抱き上げた場面でしょう。
娘と孫、
この週末は予定があるので、ばあばの時間には侵入しませんよ!とのこと。
よっしゃあ!!

寝台急行出発

6月9日・・火曜日

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 気温が上がらず肌寒い日が続いております。

昨年は、刻々と変化をとげる庭の様子や、花の名前についてを記事にしていたなあ!!
今年の我が庭も、球根や宿根の花、こぼれ種の花が芽吹き賑やかになってきました。
雑草もたくさん紛れておりますが・・・。

職場の小学校では、「朝読書」に力を入れて取り組むことになりました。
おしゃべり無しで、自分の選んだ本に集中する時間。
職員も自分の一冊を開きましょう。

というものです。
私は『サガレン』を持っていそいそと教室へ向かいました。


おおおおお!!!!

ページをめくったとたんにひきこまれました。

その日は2・3校時が学力テストでした。
私のできることは、時々集中の切れてしまった児童に「がんばれー」と声をかけることぐらい。

合間にもページを開いて読み進めました。

著者である、梯久美子氏と共に、ユジノサハリンスク発の寝台急行に乗車です。

『熱源』発

 そもそも『熱源』を手に取らなかったら、
『サガレン』(樺太/サハリン 境界を旅する)のタイトルに目をとめることはなかったでしょう。

『熱源』
『伝蔵と森蔵』
『その犬の名を誰も知らない』
『やまとゆきはら』

その犬の名を誰も知らない

その犬の名を誰も知らない

私の興味は北方や、先住民族へと向かっています。

新聞紙上に関連する記事を見つけると切り抜きしないではいられなくなりました。

さて、6月9日の北海道新聞、「朝の食卓」は国後島元島民2世である谷内紀夫氏の投稿でした。


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moto-tomin2sei.hatenablog.com

moto-tomin2sei.hatenablog.com
moto-tomin2sei.hatenablog.com


同じ日のこの記事
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こちらは日付けがないなあ。
6月初旬のものかと思います。

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土曜日と日曜日のこと

 「アンナ」や「英雄」が現実世界に戻ったように、私も久しぶりに日常日記を書くことにしましょう。
kyokoippoppo.hatenablog.com

園芸屋さんをのぞく

 娘は今、一人で育児をしながら働いております。
夫くんは現在東京勤務。単身赴任をしております。
別居で暮らす理由は他にもあるのですが、今はその状態を保ちながら今後のことを少しずつ整えていく状況です。
その娘の眼科の受診日で、眼鏡屋さんにも行くというので、私はそれに同行しました。

私にとってもようやくめぐってきた休日です。
家の中やお庭には、やりたい仕事がたまっているし、一人の時間が欲しい気持ちもやまやまなのです。
でも、子連れで通院する大変さは理解できます。
娘を助けてやれるのも今のうち。
朝一の受付に間に合うように出発!!

 娘は乱視が進み、眼鏡が合わず、目が痛み、首やら肩まで痛み出したので、まずは子連れで受診。
コンタクトレンズと眼鏡の処方をしてもらっておりました。今回は二度目の受診です。

その後眼鏡屋へ・・。
相当ひどい乱視と診断され、特殊なレンズになるなどと言われていたものですから、眼鏡も相応に値が張り、お金が飛ぶのを覚悟していたようですが、幸い眼鏡は予算よりかなり安く作れることがわかりました。

娘は、ならば・・と二つ作ってもらうことにしました。

帰りは園芸屋さんに寄りました。
虫嫌いの娘は、庭仕事はまったくやらないのですが、室内に置く植物に興味を持ち始めております。
予算以下で眼鏡が買えたことで気分もルンルン♪

先日買ったユーカリをすぐに枯らしてしまったので、代わりの一鉢を買い求めようというわけ。

お花屋さんは楽しいね。
同じユーカリ系の一鉢(おそらくユーカリポポラス)と植え替え用の鉢をお買い上げ。f:id:kyokoippoppo:20200608181752j:plain:w240:left
(画像はRAKUTENラクマ商品より)

f:id:kyokoippoppo:20200608182357j:plain:w200:left孫はハートの模様の入ったサフィニアを買いました。
(画像はSUNTORY FLOEWERSより)







f:id:kyokoippoppo:20200608172747j:plain:w200:leftf:id:kyokoippoppo:20200608172730j:plain:w500





f:id:kyokoippoppo:20200608172801j:plain:w200:w200:leftああ、お花もいいけど園芸用の雑貨やお庭の雑貨たちもかわいいなあ。

家についたらちょうどお昼。
午後は解散。
午後は草取りをして過ごしました。
(もう、追いつかないほどスギナやら雑草やら)

寒い寒い日曜日

 朝からおいなりさんつくり。
ブウタロウ(我が家の愛犬)の予防注射。
なんだか忙しい。
外は小雨で手袋をしたいくらいの寒さでした。

お昼、娘と孫がやってきました。
娘の髪はカットされています。
昨晩はお友達との焼肉だったそうですが、
その友達というのが、家業(漁師)を継ぐため、最近地元に戻ってきた同級生。
美容師の腕を持っている友なので、髪のカットとカラーリングまでしてもらったそうです。


もう一人の友達は、これまた漁師を継いでいる後輩でして・・・・、タコやら、つぶ貝やら、毛ガニやらをプレゼントしてくれたというのです。
ほとんど調理済みでしたが、色々仕分けや仕上げがあるということで
我が家の台所を貸しました。
毛つぶは茹でて、真つぶは刺身。
タコはぬるぬる部分を取りながら足ごとに分け。
毛がには”とっておきのいつか”のために冷凍庫へ。

すごいねえ。
ここにいたら食いっぱぐれの心配はないよ。
それにおかかえ美容師さんまで確保して・・・。ばあさんはびっくりだ!!

昨晩はとても楽しかったようです。
だれの悪口も聞かない言わない彼らとのひとときは、とても楽しかったと娘は満足気でした。
孫もいっぱいお相手をしてもらったとのこと。
ありがたや。
台所は娘に任せて私は孫のお遊び相手。

「かくれんぼしよう!」
と孫。
え~?
「ばあばのうちは隠れるところなんてないよ。」
と私。
でもどうしてもやりたい孫のために鬼になってやりました。
いち、にい、さん・・・・・
がさがさと押し入れに侵入する音がします。

それでも、分からぬふりをして

「どこかなどこかな?」
「どこにいるのかな?」
いいだけ探すふりをして、
いよいよ押し入れに手をかけて、
まずは下段をのぞいて、
「あれえいない。」
と声を出し、
最後に上段に目をやり
みいつけた!
孫はニコニコ。
もう一度隠れたいと。
いいよいいよ。
その方が好都合。
いち、にい、さん・・・・
またまた押し入れに侵入する音が。
同じ所に隠れるのが子どもだなあ・・・。
「もういいよ」
私はまたまた同じ手順で
「あれ?いないなあ。」
と言ってやりながら、あちこち探すふりをして最後に押し入れに。
ガラリ。



f:id:kyokoippoppo:20200608172638j:plain:w330:left
あれ?ホントにいない。
押し入れには脱ぎ捨てたくつしたが放り投げてありましたが姿は見えず。

さては、お布団エリアに侵入したな。

私は手を伸ばして布団の隙間に手を差し入れました。そのうちに隠れている孫の身体の何処かに触り孫はクスクス笑うだろう。
ところが、お布団の隙間にも孫はいない。

「ママア!Kちゃんいなくなったわ。」
ママは、台所の手を止めてニヤニヤしながらやって来ました。
「ほんとに姿が見えないのよ。」
と私。
気配無し。
音も無し。



f:id:kyokoippoppo:20200608172654j:plain:w280しかし、かすかに押し入れの最上段で動く気配がありました。



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いやいやびっくり!孫はあんなところまで上がったのね。

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(孫の顔加工し忘れた、以後気をつけます。)
押し入れの中はぐちゃぐちゃだ!孫の髪もぐちゃぐちゃだ!!
でも楽しかったね。

その日は
一緒に夕飯を食べ、寒い日でしたので、我が家の広いお風呂に入り、二人は帰って行きました。

 私は残った自由時間で、前回のブログを書き上げました。
ふとんに足を突っ込んで、『思い出のマーニー』と『異人たちとの夏』で中断していた
『独居老人スタイル』を読みました。
ururundo.hatenablog.com

この本は、URURUNDOさんが、ブログで紹介しておられた本です。

個性豊かな独居老人たちの暮らしぶりや、来し方をうかがい知ることができます。

次は
『猫を棄てる』

次は
『サガレン』

を読む予定。

コロナによる分散登校が終わったらとたんに忙しい!
1日があっという間です。
それでは・・・・。

異世界へのいざない・・⑤ 別れ

 鑑賞したDVD、『思い出のマーニー』。
触発されて思い出した『異人たちとの夏』・・DVDを手に入れてこちらも鑑賞いたしました。
そして、それぞれの原作。
それらをまぜこぜにして綴っております。
まずは『思い出のマーニー』の原作から・・。もちろん映画作品とも大いに重なります。

裏の船着き場

 しめっ地に潮が満ちるとき、アンナとマーニーは会うことができます。
水は、お屋敷の裏の船着き場と岸辺をつなぐ通路です。
と共に、霊界へと入っていく通路にもなっているのです。

そこでアンナは、不思議な少女「マーニー」と出会います。
楽しい時間が交されます。
そして・・・
上巻も終わりの部分で、物語は転換点を迎えます。

 マーニーは海が好きなのかと思い込んでいたアンナですが、マーニーは本当は花咲くお庭に憧れていたのです。
でもこのお屋敷のお庭は単なる車回しだし、おまけに怖い番犬プルートがいる・・・マーニーはそう言い、アンナはびっくりします。
やしきに「表」があることを初めて知る場面です。

「船着き場を見晴らせる方が表なんじゃないの?」
「表?どうしてあっちが表なのよ、おばかさん。もしそうだったら、潮の満ちている時、どうやって、みんな、家へ来られたと思うの?」

マーニーは言います。
おばかさんと・・・・。
お屋敷のパーティーに来る人たちが、小さなボートに乗って来るとでも思ったの??と・・。

杏菜はお屋敷に表があることなど考えたこともなかったのです。
村の大通りを思い浮かべます。
背の高いレンガ塀。
高い鉄の門。
ーすごく違うー
アンナはつぶやきます。

お屋敷に表があることが明かされたことで、物語は方向を変え始めます。
マーニーとアンナの別れの序章が始まるのです。

別れ1

 「表」の存在をアンナが知ったことで、閉じられていた「裏」の世界に穴が開いた
ように感じます。
二人の世界に、”マーニーの過去”が混ざり始めます。
天気も変わりはじめます。
雷の鳴る風車小屋(映画ではサイロ)に閉じ込めらたマーニーを迎えにきたのはエドワードで、マーニーの目にアンナは映らなかったのでした。


置いてきぼりになったアンナは、
マーニーの裏切りが許せませんでした。
ひどいひどすぎる。ゆるせない!!
雨の中、泣きながら走り、つまずき、転び・・
気がついたときはベッドの中でした。

アンナはマーニーに復讐する思いでいっぱいになりながら、病後の体を起こして痛む足をひきずり、水辺へ立ちます。

下記に連動する映画場面を貼ってみました。(映画では雨を降らせておりませんが・・)
www.youtube.com

私の姿を見ろ!!
あなたは私を忘れてはいけない!!
でも私は、もうあなたに目もくれやしない。
私は許さない!!
そんな決意でアンナは水辺に立ったのです。
マーニーは窓辺にいました。
アンナは目をやらずにはいられませんでした。
青いワンピースを着て体を窓ガラスに押しつけるようにして立っているマーニー。
窓をばたばたたたいてめちゃくちゃなやり方で叫んでいました。
「アンナ!だいすきなアンナ!」
「ねえ、アンナおねがい!ゆるしてくれるって、いって!」

 マーニーの言葉は、ほとんど、風にとばされてしまいました。窓の外を川になって流れ落ちる雨で、マーニーの顔もほとんど見えなくなっていました。
でも、アンナにはきこえました。わかりました。まるで、その言葉は、アンナ自身の中からきこえてくるようでした。

「もちろんよ!もちろん、ゆるしてあげる!あなたがすきよ、マーニー。けっして、あなたを忘れないわ。永久に、忘れないわ!」

潮が満ちてきます。

マーニーの顔は、目をくらませるはげしい雨のむこうに、もう完全に消えていました。

水がしめっ地を覆ってゆきます。
アンナは渦巻く水に流されます。
アンナを霊界へと運んだ水は、今度は勢いよくアンナを現実へと押し戻すのです。

ふと顔を上げたアンナの目に、やしきはやっぱりからっぽに見えました。じっとこちらを見つめているような、からっぽの、どの窓のうしろにも、だれもいないようでした。やしきは、もう長い間、ずっと空き家だった ─ ように見えました。

アンナを霊界に招いたのもマーニーなら
現実に戻るように導いたのも、アンナを大事に思うマーニーだったように思えます。
アンナは、お屋敷の表の世界へやって来て、現実世界の友を得ます。
そして、おばさんとの和解を経て、マーニーが誰であったかを知るのです。

別れ2

 激しい雨の後ろに消えていったマーニー。
そしてこちらは、
www.youtube.com
異人たちとの夏』の別れの場面です。

とどめようもなく父の肩も消え、母の顔も薄くなって行く。見逃すまいとした。父が消えていく。
「ありがとう。どうも、ありがとう。ありがとうございました」
声はおさえていた。この瞬間を誰かに邪魔されたくないという気持が無意識に働いていた。

主人公「英雄」が、とっくの昔に亡くなった父母と会うことで、どんどんやつれ精気を失ってゆく、その様子を案じる恋人ケイは、父母と会うことをやめるよう必死に懇願します。
英雄は、愛する”異人たち”にお別れをいうため、両親の家を訪れます。
最後の日に、三人ですき焼きを食べに行こうということになり、出かけていくのです。

 英雄は、異界の人と別れ、現実世界の恋人の元へと戻っていった・・・・と思いきやの展開は、ストーリーをご存知ない方のためにふせておくことにいたしましょう。

ケイとの別れの場面は、原作と映画では違うえがかれ方をしており、英雄の精気を奪い取ったのは、父母ではなかったのかもしれない・・・
そんな風に思った私です。

田原町で地下鉄をおり、国際通りを歩きはじめると、もう夏が終ってしまったことを改めて感じ、淋しかった。排気ガスのたちこめた歩道でも秋の気配はあった。すれちがう人々も、酷暑の頃とは、あしどりもちがっていた。夏と共に、父も母もケイも行ってしまった。

夏の終わり・・・英雄はようやく生身の人間が暮らす現実世界へと戻されたのでした。



思い出のマーニー
異人たちとの夏
どちらも大好きな作品です。

5回の連載になった、『異世界からのいざない』・・これで終わりにいたしましょう。
お付き合いありがとうございました。

kyokoの偶偶石 9・・・・ドロップ

 はなぱんださんのお誘いに乗った形で始めた『kyokoの偶偶石(たまたま石)』です。
 
現代アート 石「青空の宇宙」 Contemporary Art 偶偶絵石vol.2 - 滋味日日 ・・・いいこと ”お福わけ”


「知識という前提を鑑賞者に要求せず、鑑賞者個人のオリジナリティを引き出すことのみを目的」とした現代アートです。
「作者の作意の理解を求めない自然石に対峙することで鑑賞者自らが感じたもの」は、”鑑賞者オリジナルの感性” であり、その存在に気付き深めてもらう』現代アートです。


はなぱんださんが語る『偶偶石』の説明の一部です。

 オホーツクの浜で目に留まった石たちを、拾っては持ち帰ってしまう私。
それをどうするか?って・・瓶に入れたり、かごに入れたり、灰皿に並べてあったり・・。
乱れた部屋の中で、乱れ気味に置いてあります。

それらに光を当てようと始めたわけです。
現代アート』というほどには気負わず、気軽に・・・と。
自らの中より感性が湧いてくる域には達しておらず、「うーむ」と絞り出す感じです。

日曜日に一つずつ更新する計画です。(たまに見送ることも有り。)
では、本日の「偶偶石」であります!!

偶偶石・・・・9   
 『ドロップ』

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わたしはドロップ

口に含んでごらんなさい





ゆれるあぶく

光るお魚の腹

小石たちのささやき

差し込むお日さま

いいものばかり集めたの

口に含んでごらんなさい

異世界へのいざない・・④ おばかさん

きれいな朝

その日も、静かな、灰色の真珠のような感じの日でした。

 ああ、とてもきれいな朝。
アンナがマーニーと初めて会う日は、このような朝で幕を開けます。

思い出のマーニー』と『異人たちとの夏』について、原作 映画作品を取り混ぜて、思いのままに書いております。
が、今回とりあげたのは、『思い出のマーニー』の原作についてのみです。

素晴らしいその日の朝の描写に戻りましょう。

 その日も、静かな、灰色の、真珠のような感じの日でした。風はなく、こんな天気の日には、空と水は一つにとけ合ったように見え、なにもかもが、やわらかく、さびしく、夢の中のようにぼんやりしていました。

このような天気は、リューマチ病みのサムにとっては、悪魔に釘抜きでねじられるみたいに痛む辛いものなのですが、アンナにとってはとても好ましいものなのです。
彼女の気持ちに馴染むものなのです。

しかし、アンナに待ち受けていたのは町の子サンドラとの鉢合わせ。
彼女の意地の悪い挑発に乗り、アンナは相手に
「ふとっちょぶた!!」
という言葉をぶつけてしまいます。
それに対して返ってきたのが、
「あんたは、“あんたのとおり”に見えている」
というもの。
この言葉は彼女を打ちのめします。

アンナは、自分がどんな子か、知りすぎるほど知っていました。みにくくて、ばかで、不機嫌で、とんまで、不愉快で、ぶさほうで・・・だから、だれにもすかれない・・・

素晴らしい朝はすっかり汚れてしまいました。
午後いっぱいアンナは、砂丘のくぼみに寝ころんで、なんのことも、だれのことも考えずに、過ごしたのでした。

水に運ばれて

 その夜、ペグおばさんはビンゴに出かけ、
サムおじさんはドミノ・ゲームに出かけてゆきました。
ひとりの夕方。
アンナは、静けさとだれの手もとどかない“ほったらかされ”の状態にくるまれて一人の夕食を終えると、外へと出て行ったのです。

昼間、何も考えず、誰のことも思わず空っぽになったアンナが、ひとりぼっちになる。
からっぽになったからこそ、そこに何かが入ってくるのだと考えられますね。
朝始まった序章が、泥ぬられたようでいて、実は着々と「マーニー」との出会いの準備となっていることに気づきます。


 しめっ地は潮が満ちており、まるでアンナをまっていたかのように一艘のボートがありました。
導かれるようにそれに乗ると、ボートは引き寄せられるように動き始め、お屋敷の船着き場へと向かってゆきます。
そこで待っていたのがそう!!「マーニー」だつたのです。

原作と比べて、「映画での杏奈」は、「アンナ」のやや粗野な部分を差し引かれて描かれていると感じます。
片や、
「映画でのマーニー」は「原作マーニー」の持つ”親密さの表出としての毒気”(といって良いものか?しばらく立ち止まるも他の表現が見つからず)が差し引かれて描かれていると感じました。

2014年当時の日本の子どもたちに届けるに際し、微調整を施し、若干ソフトになキャラクターに作り変えたのかしら?

 目の前に突如現れた人物を前にアンナは
「あなた、本当の人間?」とたずねます。
お互いに触りあうと、その手はあたたかく、その子は生きている人間なのでした。
女の子は、絹のような薄物のドレスを着ておりました。
片やアンナは、短パン姿。
ボートに乗るとき靴は脱ぎ捨てていたので裸足。
そんな、アンナに女の子は聞きます。
「あなたは乞食なの?」


女の子は、「あたしは、村の子とは遊んではいけないことになっている。でも、でも、あなたはと知り合いになりたい。」
と切望するのでした。

自分はだれからも好かれないと思っているアンナに向けられた、ストレートなメッセージが、からっぽなアンナに流れ込んできました。

おばかさん

 アンナにとっての”マーニー”の魅力は何なのでしょう。

現実生活では、友達づきあいがどうしても上手くゆかないアンナですのに、何故、マーニーとはいとも簡単に友情関係を結べたのでしょうか?
そもそもアンナとマーニーを結ぶ縁があったことが、大きな要因といえるでしょう。
互いの関係を知らずにいても、血でつながる何かが二人を結びつけたと考えられます。

 物語を楽しみ、映画の楽しみにひたるなら細々した分析をする必要などおいといて、そこに飛び込んでしまえば良いし、
実際私の楽しみ方はそのようなものでした。
しかし、一連の記事を書くに当たって原作を丁寧に読んでみますと、新しい発見のようなものがあり、それも書き残したくなるのです。

前述で、言葉に迷いながらも「毒気」と書いたそのこと・・・。



その夜アンナはマーニーに
~あなたはまだ来たばかりだと思った~と言う。するとマーニーは声をたてて笑い、かがみこむとアンナの耳にささやく。
アンナの耳はむずむずする。
おばかさん。来たばっかりなんかじゃないわ。あたしはずうっとここにいるのよ。」

アンナはマーニーはお屋敷に住む恵まれた女の子だと思っている。
パーティーから抜け出してきたから、そんなドレスを着ているのね。
ボートで送ってもらったアンナは言う。
~わたしならここで降りてもだいじょうぶ。~短パンをはいているので、水のある所で降りても大丈夫なのだ。
そう言うアンナにマーニーはいう。~どういう意味?~
「ああ、わかった!あたしのドレスのことをいってるのね。男の子の服を着ている、あわれなしょぼくれアンナさん!あなたも、あたしみたいなかっこうがしたいの?
さよならをかわしたあとに、水をわたって声が聞こえて来る。
おばかさん。これはあたしのおねまきよ!

マーニーを探すアンナ。
どこにもいない。
あの一家はどこかへ行ってしまったのだろうか?
そう考えるアンナがボートをのぞきこむとマーニーが・・。
~あなたは、もうどこかに行ってしまったと思ったわ~と言うとマーニーは
「ばかね。あたしはこの村に住んでるのよ。」
~だって、ちっともあなたに会えなかったんですもの~
おばかさん今会ってるでしょ。」

こんな風に「おばかさん」というマーニー。
作者はあえてこのようなキャラクターをこしらえたわけです。
何故?
と考えてみました。


アンナを育ててくれる養母ミセス・プリンストンは、愛情深くアンナを育ててくれており、アンナもそれは十分承知しています。
しかし、ミセス・プリンストンは必要以上に、アンナを傷つけないように心がけるのです。
愛が疑われないように振る舞います。
国から小切手が届くけれど、決してそのためにアンナを引き取ったわけではありません。
しかし、養育のためのお金が支給されていることを、どうもアンナは知ったらしい。

そのことで、ミセス・プリンストンのおそれが増してしまいました。
親愛の情に、アンナに疑われてはならない、誤解されてはならないという不自然さが混じるようになってしまったのです。
アンナはそれを察知しました。相手の様子を窺いながら言葉を発し、行いをするミセス・プリンストンのやることなすことが、演技のように見え始めるのです。

二人の間には壁ができ、もうアンナは”ふつうの子ども”のように振る舞えなくなったのです。

ですから、アンナの前に現れ、友情を結ぶのなら、まったく頓着なく「おばかさん」と言葉をぶつけるような存在が相応しいと考えたのではないでしょうか?

そんな風に思いました。
今記事は、原作『思い出のマーニー』で埋め尽くしてしまいました。
苦戦しましたがようやくアップ!!