卒業式

 


 春の穏やかな陽気の中、
我が職場では、卒業式が行われました。
我が職場(小学校)は、我が子たち3人の母校でもあります。
 20数年前私は、この学校のP会員だったのです。

対面式

我が子たちの卒業式は対面式で行われました。
私は、「ああ、良いなあ!」
と思いました。
卒業生が在校生や保護者と向き合う形は、在校生に直に「さようなら」を伝えているように感じましたし、
保護者へ向けては、成長した姿を正面に見せて、どの子も誇らし気でした。
粛々としたなかにも、温かさと和やかさが感じられ、単純に「良いなあ」と思ったのです。

踏み絵

 東京都がこのような式の形式(フロア式)を認めず、ステージ式~児童生徒と保護者がステージを向き、証書をステージ上でもらう~ことを始めとした細々とした形式を決め、通達をしたのは平成15年(2003年)のことでした。

 一部の教職員の君が代不起立問題などがあり、教育委員会と、不起立を貫きたい教員との対立が激しくなっていた頃でした。
卒業を祝う場が、闘争の場になってしまったのです。
起立を求める管理職と職員間でも、相等に苦しく息詰まるやりとりが繰り広げられることになります。
広島県では、高校の校長先生が卒業式当日の朝自殺してしまうという事件も起きました。)
”起立する””させる”という行為がまるで忠誠を確かめる踏み絵のように存在していたのです。
私が40年も前、神奈川県で働いていた頃から同様のことは起きていました。
君が代のピアノ伴奏をでやる!やらん!」また、「誰がやる?」で揉めたのでした。
そう、その時は私が弾いたのです。

 不起立に関して言えば、
「同じ職場で働く校長を、そこまで追い詰めたいのか?」
「祝いの場である式を混乱させてまで、立ちたくないないのか!」
というのが、引き出されやすい思いではないでしょうか?
なにを頑張るのだ?と。
しかし、「”立てば良い”というところで思考を止めることに怖さを感じる人が居る」ということも事実。
それ知り、認める姿勢も大切だと思うのです。

 私は、日本の旗を美しいと思います。
君が代」のメロディも美しいと感じます。
そこに左であれ、右であれ思想を載せてとらえることはしたくありません。
旗にも、歌にも罪はありません。と共に奉るものでもないと思います。

洗脳?

 君が代、日の丸問題での対立は、少しずつ沈静化の方向に動いているようにみえます。
しかし、それをいいことに・・と言ってよいかはわかりませんが、『通達』様が押し寄せてきました。
 東京都で始まった対面式(フロア式)の排除が、数年前、いよいよ地方の我が町にまで到達したのです。
つうたつ!とうたつ!!これで、学校独自の今まで通りの卒業式が行えなくなってしまうことに驚きました。

⚫対面式の形式は、校長を平場に下ろし権威を喪失させ、馴れ合いのようなムードになる。
校長は校長です。
⚫卒業生は壇上に掲げられた「国旗」に式の間中背中を向けている。
ダメかい?
⚫そして、このような式のありようを推し進めたのか日教組である。
対面式は日本にくまなく浸透し、これまで伝統的な卒業式の形式(ステージ式)を軽んじることとなった。
国を愛せず、誇りも持てない児童や生徒を作りだし、これで良しとさせた洗脳である。

対面式を良か良か!と感じた私は洗脳されていたということか?そこまでのものか?
   
これが、私の正直な反応です。


 とにかく、卒業式における「君が代」の扱い、「日の丸」の扱いは、まだまだ厄介なものを多分に含んでいるのです。
私もこれ以上の深入りは避けておきましよう。

ミックス方式

 我が校では、今まで通りの対面式ができなくなりましたが、対面式とステージ式をミックスさせた方法で式をとりおこなっております。
f:id:kyokoippoppo:20190320185456p:plain:w320:rightなあるほど!
卒業生が前ではなく体育館後方に居るとは!
在校生が横向きとは!
・・・考えたものです。
証書はステージでいただきます。
カメラを設置して、授与の際の卒業生の顔がスクリーンに写るようになっていました。
卒業生は、在校生と保護者に挟まれた通路を歩いて入場、授与、退場をするのです。

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 今回話題にした問題は、まだ私の中では色々未整理です。
これに関しては「様々な意見があること」が、一番良いことのような気がします。
何らかしらの考え方を強要されないことが大事だなと。
だから未整理なままで置いておきたい。
それでいて、無関心ではいたくない。


とりあえず目についた記事を貼ってみました。
双方2016年のもので少々古いものですか。
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こちらは産経新聞の記事を叩く、やや過激なつぶやきたちです。
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