ちょいと舵をきりまして

寝床にある本

 夏休みも相変わらずバタバタして過ごしておりますが、それでも連続のお休みということで気持ちにゆとりがあります。
ですからこの機会に、読んだ本のことも書いてみようと思い、タイトルを決めました。

で、初っ端から『前世療法』です。
これは、図書館前に設置してある『ご自由にお持ち下さいコーナーに』あったものです。
文庫版の大きさである安心も手伝って、ヒョイと手に取り持ち帰りました。
1996年初版・・20年以上前の本です。

「スピリチュアル」という言葉が流行った頃・・・・・占星術の勉強やら、シュタイナー教育への憧れやら、そこからの流れで「人智学」への興味が湧いた時期と重なり、当時はスピリチュアル系の本や雑誌を読むことが多かったです。

しかし、休みなく続く家事をこなすことや、お金を得て生活の足しにすることの方に気持ちと身体が取られるうちに「スピリチュアル」的なことは、かなり遠景へと追いやられてしまいました。
でも、それは私にとって、もう無くなることはない景色であり、忘れることのない景色なのです。
この本を寝床に置いて、パラリパラリゆっくりと読み進んでゆきました。
 

前世療法

松本東洋氏によるこの本の解説の一部です。

本書は、アメリカと日本の精神世界に大きな刺激を与えた一冊です。(中略)
輪廻というテーマがオカルト的関心でなく、より一般的な関心事となりました。といって、著者ワイス博士が「人は輪廻転生している」と断言しているわけではありません。一人の患者と向かい合い、真剣なセラピーを繰り返した経過を報告しているだけです。そのプロセスを読み進むうちに、多くの読者は「自分の過去生は?」と思い始めてしまうのです。すぐれたドキュメント・レポートこそが持つちからです。

(傍点部分を太字にして抜書きました。)


そう、内容の大部分が、セラピーでのやりとり(録音されたものを転記したもの)や治療過程での所見でした。
読者に、輪廻転生を信じさせるために書かれたものではないのです。
だからこそ、事実を書いたということがひしひしと伝わるものでした。

 死後の世界、霊の世界、霊的なものや、霊障などを「あるわけがない。」と断言する人に時々会いますが、今生きている私たちにとって「死」は未知のものです。ですから「ある」とは言いきれないのと同じだけ、「無い」とも言いきれないのだと私は思います。
言いきれないながらも、私は「あるのだろう」と思っております。

冥土のお客

『九十歳何がめでたい』

など多数の著書をお持ちの佐藤愛子氏ですが、彼女の『冥土のお客』を読めば、「ああ、不思議なことがあるものだ。」
「霊が訴え仕掛けてくることはあるのだなあ」と、感じ入ることでしょう。
佐藤氏は嘘を書く人ではないと思えるからです。
他の著書を読めば、そのお人柄としてそのようにわかります。

照応する宇宙

 また、「シュタイナー教育」に興味を持ち、学ぶということは、大前提に

「人間は、肉体という身体の他に霊的な身体を持っている。」
「人間は、霊的な世界と無縁で生きているわけではない。」

を受け入れなければなりません。

kyokoippoppo.hatenablog.com

以下は『シュタイナーコレクション3』「照応する宇宙」の中で見つけた一文です。

魂のさまざまな体験を深化させることで、魂の営みについてひとつの全体感情をもつのです。全体感情とは、ほぼ次のような感情を言います。─
「私は多くの悩みや苦しみを持っている。けれどもその原因を作ったのは自分だ。私の行為の結果だ。しかし、この人生では思い当たることがないとしたら、今の私の悩み、苦しみが償おうとしているもとの行為は、以前の人生でやった行為に違いない。」

私はこれを読み、「ええー?!
と思いましたよ。
前世の記憶も持たされず、この世に送り込まれて「あなたの生まれる以前の行為云々と言われてもなあ!!」
と感じたのです。
でも、スピチチュアル的な考えによれば、私たちは”送りこまれたわけではなく、学ぶために自ら”やってくる”のだとか・・・。
このあたり、自覚しようがないだけに「そういわれてもな・・・」と思うところで留まってしまう私です。

ただただ、私はこのような世界を、自分の興味関心の向く範囲で楽しみたいと思っております。

生きることは大変だ!!

 ふりだしに戻って『前世療法』の感想です。
セラピーで明かされたキャサリンの生と死の体験から感じたことは
死は安らぎと平和そのものだ。それに引きかえ”生きる”ことはなんと辛く厳しいことか?
それでも、キャサリンは何度でも生き、何度でも死に「ここ」に学びに来ていました。
私も死による安らぎを得た後に、また生まれなければならないのかなあ。
となれば、やはり今をどう生きるかは大事だなあ。

人はそれぞれ早さは違っていても、同じ場所に向かっているそうです。
その点において誰一人として、他の人より偉いということはないということ。人はみな平等なのです。

著者のワイス博士が夢の中で伝えられたというこのメッセージが心に残りました。




最後に本日の夕日を・・・。
娘の住宅のそばで撮りました。