わたしの一コマ

f:id:kyokoippoppo:20200301054943j:plain:w400:left  数日前のこと、カーテンを開けようと手をかけたところ・・・「おや?」
小さい虫が・・・。啓蟄間近ですものね。(今年は3月5日)
外はまだ明けきらぬ雪景色。
でも春は近づいているのです。
この虫は観葉植物の鉢に移してやりました。

いっぽいっぽ通信

 今日の記事は「わたしの一コマ」と題しまして、私のパチンコ初体験のことを書きます。
いえ、「書きます」というより、「貼ります」ですね。
以前、「いっぽいっぽ通信」というものを書いては発送しておりました。
何のための、どんな通信とうことを改めて書くのは面倒だし、今回の記事はあくまで「一コマ」を発信したいだけですので割愛いたします。
その代わりといってはなんですが、過去のこんな記事を貼り付けておきましょう。
アクセス25にビックリ飛び上がっていたころの記事です。
kyokoippoppo.hatenablog.com

 前回の記事『長男のこと』を書く際に、持ち出し、参考にしたのが、せっせと何年もかけて整理した子どもたちのアルバムです。
長男ものと次男のものを引っ張り出して、その年がどんなものであったか?を確認しながら書きました。
何故、長男ネタを書くために次男のアルバムまで引っ張り出したのか??
その年札幌に出ていった次男が運んでくる風や発信が、長男にも変化をもたらせつつあったからです。
(「長男のこと」次回の内容となります。)

その次男のアルバムに、はさみこんであった「いっぽいっぽ通信」・・この度はそれを貼って記事とします。

異文化を運んでくる男

 2005年の春、次男は意気揚々と札幌に繰り出し、長女は高校進学を果たしました。
次男が運ぶ異次元の風が我が家に吹き込むようになります。
 夏の帰省時のこと、次男は帰ってくるなり「暑くてやってらんない」と言いパチンコ店へ・・・。

数時間程涼しい店内で遊び、帰ってきた息子・・。
一万円を扇のように広げて見せびらかしたのです。(スロットの稼ぎのようでした。)
「どうだ!!」といわんばかりに私を見やる次男に対し、もちろん私は言いました。
「こんなの負ける時の方が多いのだ!」とか
「生活費とこづかいはきっちり分けろ!!」とか
「依存症になるよ!!!」とか。
でも、目はその握られたお札に釘付け。
これが、私のパチンコ体験の序章になっております。
この一件に関しては、日をあけず記事にしましょう。

前回の記事、この部分のお約束を果たすためのものです。
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 この日は帰りも遅くなり、夕飯はコンビニ弁当となり、更なる出費を重ねた私でした。
長男Hに、「地道に働いていれば、最低お金減らすことはない。」
とまっとうなことを言われ、心から納得したワタクシは声高らかに「働きアリさん」宣言をした次第。
 
次男が札幌に戻ったあとは、自分についた”汚れ”を落とそうとするかのように「アリさんモード」になって動いたのでした。


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 2005年の夏、Yは、この時の車の免許取得のための帰省のあと、お盆時期に再び帰省しました。

すると、再びまんまと彼のペースにのまれてゆくのです。
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トホホのワハハ何だか、これを見るたびに笑えてきます。
滑稽な自分を笑えます。
その頃のYの有り様がしのばれます。

その後のYそして私

 Yは、一時期、のめり込むにいいだけスロットにのめり込み、その後スパッと足を洗いました。
私は時々遊びにゆきます。ハイ!!(0・5円か1円です。年に数回です。)


 「いっぽいっぽ通信」ですが、ほぼ月一の発送を10年は続けたでしょうか?
ここに紹介した記事は、夏休み編と称してこんなしょうもない内容を載せましたが、基調は真面目なものでして、一年ごとに教育や環境、ジェンダー問題などをテーマに書き綴り、読者さんに無料にて郵送配布していたのです。
当時、「このようなものをネットで配信すれば、もっと多くの人とつながれるのに・・。」
と声をかけて下さるかたがおられましたが、当時の私にはハードルが高く感じられ、アナログ通信を貫いたのです。
そこから数年後・・。
ブログを始めた私です。
はてなブログ」は、書きたがり、発信したがりの私の新しいツールとなりました。