さあて さて!!・・・①

8月10日(月曜日)

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まず起きて一番にしたのが、これを写真に収めたこと。
切り抜いた後、ただ大きな箱に突っ込まれている切り抜きたちです。

昨晩読んだ本やら、その下でうねっている充電用の配線も視界に入るように写しましたの!!






前日アップした「8月8日(土曜日)」の中で私は次のように書きました。









アイヌ民族、沖縄、原発、戦争・・・・興味のある新聞記事を切り抜いては取ってあるけれど、私はいったいこれをどうしようと思っているのか?
きっと、そのうち黄ばんでシワになって捨ててしまうのかな?

このように立ち止まったら、何だか頭の中が散らかったようになって しまって・・。
部屋の中に切り抜きや、布や、CD、ファイルなどが散らかっていているように、私の頭の中も未整理のものでいっぱいなことに気づきました。

で、、、さあてさて!!!と、この中の1枚を引っ張り出した次第。
散らかったままの頭ですので、ここから何らかの結果を導きだそうとか?
何かを表明しようということにはならないでしょう。
それでもこれを貼り付けて、未整理ながらも記事を残すことにいたします。


とはいえまずは、庭に出て草取りを・・・。
じりじりと蒸し暑い空気の中、数時間仕事をしたら、汗びっしょりになりました。
実労働をしたという安心感を携えて家に入りました。
家の中は涼しい~。
エアコンなどありません。
扇風機も必要なし。
蒸し暑いとはいえ当地の気温はこの程度。
とりあえず上の1枚は脱ぎ捨てて、
汗に濡れ、冷たく肌にはりつくランニングのまま、掃除機をガアガアかけて、ようやく風呂場へ向かいました。

シャワーを浴びてさっぱりしましたよ。
風呂の残り湯でトイレマットの手洗いもして気分爽快!!
(マット1枚を洗濯機で回すのはもったいないし、かといって他の洗濯物と一緒に洗いたくはないしで手洗いしたのです。)

 お昼はざるそばをいただきました。
畑のしそを数枚取ってきて天ぷらにし、添えました。

午後は自由です。
きれいに自由です。
さあ!パソコンに向かいましょう。

図書館の書棚から引き抜いた一冊

『ぼくたちに翼があったころ』を私が読んだのは2018年4月のこと。
内容は知らぬまま、図書館の児童書のコーナーから引き抜いて持ち帰り、読んだのです。
ブログ記事に残しましたが、その頃の私の記事は書いても書いても受け手はおらず、記事は広くて深いネット空間に吸い込まれてゆくばかりでした。

kyokoippoppo.hatenablog.com

 この物語の主人公「ヤネク」は架空の人物ですが、「ヤネク」が過ごした「孤児の家」はポーランドワルシャワに実在した施設です。
ここで、子どもたちに添い子どもたちの自治による生活の場と教育の場を提供した人物が、ヤヌシュ・コルチャックです。
しかし彼らには、トレブリンカ強制収容所行きの運命が待っていました。
コルチャック先生は、自分に差しのべられた救いの手を拒絶し、彼らと共に家畜用の貨車に乗り込みました。
1942年・・第二次世界大戦下で行われたホロコーストでの出来事です。

 現在この記事に認められるスターは全て、幸運にも後々見い出されて付けられたものです。
過去記事に付くスターって格別にうれしいものですね。
たまさんも、そんなスターを下さったお一人です。
この本に出てくるコルチャック先生のことに触れてコメントまで残して下さいました。
その直後たまさんは、
tamacafe.hateblo.jp
この記事を発信されました。

2年前、ネットの空間に吸い込まれたかと思われた『なんだか、さびしくなったゃった』ですが、この記事は確かに一粒の種だったのだなあ!
時を経て見いだされ、スターをいただき、コメントを寄せられ、たまさんの記事につながっていったのです。

ブログのよきつながりを実感したできごとでした。

この時のたまさんの挿し絵は、沖縄の読谷村です。
さらに・・・
私のブログからたまさんにつながったというのんちさんが、この記事にメッセージを残し・・
程なく私は、のんちさんの
『小5の私を抱き締めたい』
nonchi1010.hatenablog.com
を目にすることになります。

このように、つながったことがうれしくて、のんちさんに熱いコメントを送りはしましたが・・・・。

kyoko立ち止まる

「うーん。」

 私は、コルチャック先生のことも、沖縄のことも、つまり戦争について、戦争が分断する人間関係や、戦争の爪痕について、単発で話題にしたり、人の記事に訳知り顔で反応したりはするけれど、実は、
いつでも心に留めて、自分の問題として考えているわけではないよな、と気づきました。

娘息子の心配や、お金のことや、老後の心配が心を占めていて、自分の暮らしの安泰こそをどこでも、いつでも考えていることに気づきました。

いや、それは極普通のことですし、恥じることではないといえましょう。
安定的な生活があればこそ、人は落ち着いて周りを見ることができるのでしょうし、
そういう自分を否定する気持ちはないのです。
ただ、自分の現実はこんなもんだということは、しっかり認めておかなければならないと思ったのです。

そう!!まずは自分の立っている場所を正しく知っておかなければ!!
自分の足元をまっすぐ確認したら、そこから一歩一歩ね!
せっかく切り抜いたものも、折々に一枚ずつね。

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(聞き手の関口氏・・湧別と縁がある方です。前任校ではおじょうさんの在籍する学級で5年間働きました。)



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 自分の心の有り様のような乱れ気味の部屋も、少しずつ整えてゆきますよ。
いや、無理かもしれない。
でも、ここで表明しておくことにします。