犬ものがたり⑦・・・・出航命令

トゥトゥ!!

 絵本『やまとゆきはら』を参考にしながら、記事を書き進めましょう。

 白瀬南極探検隊は、もちろん南極点を目指しておりました。
「トゥトゥ!」



「トゥトゥ!」というかけ声は、『その犬の名を誰も知らない』の中にも出ていましたね。
アイヌ語のかけ声だそうです。
そのかけ声は今でも、犬ぞりを扱うときに使われているようです。
「トゥ」は進め。
「ブライ」は止まれです。
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この表紙の犬たちの表情をご覧下さい。
何とも愛らしく、お茶目な顔つきの犬たちです。
舌を出し息を切らし、重たいそりを曳く犬たち。
走る喜びに満ち満ちているように感じます。
しかし、このような走行が続くわけではありません。

本のページをめくりながら、雪のはらを進みましょう。


そりは何度もひっくり返りました。 

隊員たちは、食料や防寒服などを下ろし荷物を軽くしてやりました。

荷物を置いた場所には目印の旗を立てました。

針のような雪が隊員たちの目を刺します。

零下25度の寒さで犬の鼻はマヒ。

後のそりは前のそりを見失います。

凍傷で傷ついた犬の足からは血が流れ、後のそりはその跡を追いながら進んだのです。

1月20日より南極点を目指して進んできた隊員たちですが、9日目の28日
隊員たちは、もう、動けなくなってしまいました。
犬たちは走れなくなってしまいました。

やまとゆきはら


 南緯80度5分西経156度37分のその場所で、白瀬は突進を断念しました。
見渡す限りの雪野原を『やまとゆきはら』と名付け、日章旗を立て日本の領土とすることを宣言したのです。
(あとになってこの場所は、陸地でなく棚氷の上であったことが判明します。
また、第二次世界大戦後のサンフランシスコ平和条約第2条において、日本国政府は南極地域の領有権を放棄しております。その他各国の領有権主張は1959年に締約された南極条約の第4条により全て凍結されて今日に至っています。)

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(写真はWikipediaより引っ張ってきました。その出どころは、 毎日新聞社の「昭和史第3巻 昭和前史・日露戦争」のもの)

やまとゆきはらに留まること14時間。

帰路となる下り坂を急ぐ隊員たち。

食料が乏しくなってきたのです。

ヤヨマネクフとシシラトカは自分たちの行動食を犬たちに分けてやりました。

しかし、それにより犬たちは下痢を発症し、後続のそりは下痢の跡を頼りに進む始末。

3頭の犬は血を吐き弱ってしまったため、つなから放してやりました。

その3頭は、もう、そりを追うこともできませんでした。

流氷

1月31日、基地に到着。

2月2日夜、海南丸も湾にやってきました。

天候が悪化。
流氷が次々に押し寄せます。

流氷で湾が閉ざされる前に離れなければなりません。

2月4日早朝、隊員と6匹の犬が乗り込んだとき・・・
白瀬は出航を命じました。


ああ、涙がこぼれてきます。

風ははげしく、波は大きく、流氷も集まってきました。
山辺も花守も、泣くような思いをしながら、犬たちの遠ぼえの声を聞きました。
船がはなれるにつれて、犬たちは近づけるところまで走ってきては、尾をふり、ほえつづけました。

        『やまとゆきはら』より

氷の先端まで走り寄る犬たち。
前足を開き、呆然と立ちつくしています。
しかし無情にも「海南丸」は動き始め、黒味がかった冷たい海水が船と犬たちを隔てます。
船の艫(とも) から身を乗り出しているのは、ヤヨマネクフとシシラトカにちがいありません。
かろうじて乗船した犬たちも、仲間を求めるように後ろ足で立ち上がり吠え立てています。

(絵本のこの場面の様子です。)


 海南丸が帰国したのは6月20日のことでした。
ものがたりは、このあと物悲しいエピローグへと続いてゆきます。

『蘂取はるかなり』

 さて、私はここで、ようやく切り抜いた北海道新聞の記事を紹介できます。
ある日目に留まり、よほど余裕の無かった時であったか?指で引きちぎっておいたのです。
『犬ものがたり』の連載記事を書こうと決めたとき、その切り抜きも是非活用しようと思いつきました。
が・・・・どこへ行った??
切り取った記憶はあるものの、いったいどこに・・・?

f:id:kyokoippoppo:20200411203220j:plain:w200:left乱雑にストックされていた切り抜きたちをぶちまけて探す作業にいそしんだ末に・・
出てまいりました。
(黒いものは我が家の愛犬ブウタロウです。ストーブの前で呑気に寝てばかりいるワンコです。)
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(写真を撮るときには、さすがにハサミでカットしましたよ。)

ところが、日付が記載されておりません。
まあ、指でちぎり取った行為を考えれば、日付メモまで気が回らなかったのは当然でしょう。

日付無しでよいかあ??
いやあ!!何とか調べられないかしら??


ダメ元で検索して見つけたのがこちらのブログです。
moto-tomin2sei.hatenablog.com

なんと!記事の執筆者である谷内紀夫氏は、はてなのブロガーさんでもあったのです。

海に飛び込み飼い主を追う犬たちの姿は、南極で置き去りにされた犬たちの姿と重なります。

 北方領土について、私はずっと無関心でした。
しかし、『熱源』や『やまとゆきはら』(あとがき・解説)により、「サハリン」(樺太)への関心が喚起されたことで、北方に位置する島々へも関心が向くようになりました。(サハリンは領土問題の枠外ですが・・・)
「取り返せ!!」
という姿勢ではなく、
遠い昔よりロシア人・アイヌ民族・オロッコ民族・ギリヤーク民族・和人がそれぞれの境界をゆるく保ちながら暮らしていた時代を偲ぶという姿勢です。
これは、以前紹介した『伝蔵と森蔵』にもつなるテーマです。

犬ものがたり⑥・・・『やまとゆきはら』

手に入れた一冊

 ネットで見つけて、どうしても手に入れたくなり、初めてのヤフーオークションを通して手に入れた絵本・・・・それは
『やまとゆきはら』(関屋敏隆作・福音館書店)です。
白瀬南極隊の探検を描いたもの。

作者の関屋氏が、取材の過程で興味を持ったという二人のアイヌ人・・・・樺太犬を調達し犬係りとして探検に参加したアイヌ人は、『熱源』の主人公「ヤヨマネクフ」であり、その友人「シシラトカ」です。
【第162回 直木賞受賞作】熱源

【第162回 直木賞受賞作】熱源

ネット上で見ることのできた数ページの絵も、大変に魅力的でした。
ほとんどの本を図書館で調達する私ですが、在庫がある確証も得られぬまま、図書館は閉館となりました。
私は待ち切れませんでした。

とうとい届いた『やまとゆきはら』・・・・大満足です。

すばらしい

 作品は、入念な取材や資料研究を経て事実に忠実に描かれています。
(もちろん想像に頼れざるを得ない部分もあり、いくらかの創作部分もあります。)

作者である関屋氏は、探検に参加した二人のアイヌ人に興味を持ち、作品はこの二人を軸にして描かれました。
『犬ものがたり④』では、白瀬探検の大雑把な経緯を青字で記述しましたが、
このストーリーが、しっかり再現されておりました。
また描かれた絵により、更に具体的により印象強く伝わるのです。
kyokoippoppo.hatenablog.com

大判の本の見開きいっぱいに描かれた絵の、なんとすばらしいこと。

いっぺんに魅せられてしまいました。


犬が置き去りにされる場面まで読み進めたとき、

私は、
「もう、だめだ!」
と声をあげました。

切なくて声をあげました。
口を覆いながら静かに読み終えると、もう再び本を開くことができませんでした。
心しなければ開くことはできない・・・そんな一冊なのです。
それほどに心が揺さぶられたのです。

二人のアイヌ

 今回はその本を数日ぶりに開きました。
ブログ連載中の『犬ものがたり』に飛び入り参加する形で、あるページを紹介するためです。

湾から上陸し、南極点を目指す場面です。

雪に埋もれて眠る犬たち。

一面の雪野原に連なる小山。
輪郭もおぼろげな白い凹凸。
これらは身体を丸め眠る犬たちです。
白い布のようになって、生きている気配もかすかに・・・・それでも息をしています。
重たいそりを引けるところまで引いてきて、くたびれ果て、仲間どうし身を寄せ合い雪の中に伏せる犬たち。


 以前、一匹の犬と共に北極圏を歩いた記録である『極夜行』を読んだとき、荒れ狂うブリザードのなか犬が外で寝かされることに驚いた私です。
しかし、このような犬たちは、そもそも狭いところに入って眠ることの方が不自然で、嫌なのですね。

極夜行

極夜行

食料が不足しやせ細ってしまった旅の相棒「ウヤミリック」。
寒さに対する耐久性もなくなってきたウヤミリックの姿を見かねて、角幡氏がテントに誘う場面があるのです。
しかしウヤミリックは、せまいテントをきらって決して入ろうとはしなかったのです。
kyokoippoppo.hatenablog.com


 場面をもどしましょう。
雪に埋もれるようにして眠る犬たちのページです。

その中央には二つの人間の顔が・・・。
犬たちに囲まれて、積荷のおおいにくるまっているのがヤヨマネクフシシラトカです。
なんと二人はテントに入らず外で寝ているのてす。

積荷のおおいが飛ばぬようおさえているのは、横倒しにされたそりの滑走部分です。
二人は密着して横たわり、その二つの身体をはさむようにしてこの滑走部分(ランナー)が置かれております。
隙間からの冷気を防ぐべく、積荷のおおいで身体を巻くようにしている二人。
それを守るように、さらに囲むのが、雪の凹凸のようにしか見えない犬たちです。
その後ろには小さなテント。
こんな装備で!と思うような粗末なテントが設営されております。

雪野原を進めるだけ進み、人も犬も体力がつきた地点でテントをはりました。テントはせまく、白瀬、武田、三井所の三人はだきあうようにしてねました。山辺と花守は、2台のそりとつみ荷のおおいを風よけにつかい、毛皮のふくをきて外でねむりました。

『やまとゆきはら』より

山辺はヤヨマネクフ、花守はシシラトカです。
樺太育ちの二人は寒さには強かったでしょうが、南極という極寒の地で、外で寝たとは・・・・。

何と強靭な身体でしょう。

二人分のテントはなぜ用意されなかったのでしょう?
いくら粗末なテントでも、あるに越したことはないでしょう。
アイヌ人の二人が外で寝ているというこの図は何なのか?
皆で南極を目指すという、一丸となった行動のさなかにも、この二人は犬並みの扱いであったのでしょうか?

本書には、このあたりのことについては書かれておりません。

山辺と花守には、南極探検に参加しているという、大きなよろこびがありました。

と語られております。

  *   *   *

 次回は、犬の置き去り場面を紹介しましょう。
心痛む場面ですが、私はここに着地したい。
そして、切り抜いて保存した北海道新聞に掲載された記事も、紹介したいと思っております。
追記1
 この記事では、Amazon商品の書籍画像と、過去記事のサムネイル画像やらで4冊の本の表紙が顔をそろえました。
思いを寄せた作品たちがつながりを持って姿を見せており、とてもうれしいです。
 


追記2
 実はこの本の魅力を伝えたく、雪に埋もれて眠る犬と、ヤヨマネクフとシシラトカが積荷のおおいをかぶって寝ているページを写真に撮りました。
しかし著作権的に良いのだろうか??
と気になり調べたところ、参考になる記事が見つかりました。
我が弱小ブログが少々の違反をしたからといってさほどの影響はないでしょう。
が、、、
違反と知って事を行うことそのものが正しくありません。
昨日、公開直前の記事を下書きに戻しました。
そしてページの絵を、別の方法で伝える努力をしてみたのが本日公開のこの記事です。
青字・斜体で表記した部分です。

yuccow.hatenablog.com

kyokoの偶偶石 5・・・どうも

 はなぱんださんのお誘いに乗った形で始めた『kyokoの偶偶石』です。
現代アート 石「危機は」 Contemporary Art vol.73 - 滋味日日 ・・・いいこと ”お福わけ”

「知識という前提を鑑賞者に要求せず、鑑賞者個人のオリジナリティを引き出すことのみを目的」とした現代アートです。
「作者の作意の理解を求めない自然石に対峙することで鑑賞者自らが感じたもの」は、”鑑賞者オリジナルの感性” であり、その存在に気付き深めてもらう』現代アートです。

はなぱんださんが語る『偶偶石』の説明の一部です。

 オホーツクの浜で目に留まった石たちを、拾っては持ち帰ってしまう私。
それをどうするか?って・・瓶に入れたり、かごに入れたり、灰皿に並べてあったり・・。
乱れた部屋の中で、乱れ気味に置いてあります。

それらに光を当てようと始めたわけです。
現代アート』というほどには気負わず、気軽に・・・と。
自らの中より感性が湧いてくる域には達しておらず、「うーむ」と絞り出す感じです。
と、おおいに前置きをしたあとで本日の『偶偶石』であります。

偶偶石・・・5『どうも』

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どうもといいます。
「どうぞ」というほどのいさぎよさはなく・・・
強いものに出会えば・・「どうも」

いつでも自分をひっこめて


f:id:kyokoippoppo:20200503065642j:plain:w180:leftぶつかれば場所をあけ
身を削ることで身を守る
いつのまにかこんな姿になりました。

その人は
このへこみを指でなぞり
だまってポケットに入れました。


kyokoippoppo.hatenablog.com

ありがとう・ありがとう・ありがとう!!!

一日草取り

 私の仕事は支援員。
手助けが必要な児童に添い、いくらかでも円滑な学校生活がめるように見守り働きかけるという仕事内容です。
しかし・・仕事相手ともいえる児童が登校して来ない日が続いております。

この仕事をして10年以上が経ちます。
働き方も都度都度調整されてきました。
以前は児童登校のない日は自動的に年休となりました。
強制的に休まされるものの日給は支払われたのです。
(残り年休がわずかな人には痛手となりますが・・。またこのような長期の休みですと年休をあっという間に使い果たしてしまいましょうが・・。)

しかし、今年度からは職名そのものが変わりました。
町の「臨時雇い」
という名目から
「パートタイム会計年度任用職員」
というものになり、それに伴って年休はゼロ!!になってしまいました。
夏休み前、冬休み前に都度雇用が切れますので、年休を受ける資格が更新されないためでしょうか??

なんとも気落ちする現実ですが、この仕事にありつきたいのなら条件を飲むしかありません。

それで、その代わりとでもいうのでしょうか?
児童の登校がない日でも教職員と同じように出勤し、働いて良い・・・つまり勤務日とする・・・となったのです。

ですから・・コロナによる休校のさなかでも出勤可。
しかし、休めば即欠勤となる。
そんな状態なわけでです。

しかし、先にも述べたように仕事相手の児童がいない。
職員室で読書してたって良いし、スマホ見てたって良いのよ!!
とはいうものの、日給欲しさに出勤しておいて実労働しない、なんていうことが気持ち良いわけがありません。

お仕事探し

 そんなわけで、私たち支援員は出勤して何らかのお仕事を探すわけです。
図書室整理やあちらこちらのお掃除を・・。

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支援員は4名おりますが、それぞれの都合によりお休みするときもありまして、皆勤賞は私のみ。
ひとり出勤となった昨日は、外仕事に励みました。
校舎南側にある庭の草取りです。

昨日は気温が上昇。
20度を越えました。



クローバーやヨモギ、強敵スギナの根が這い、水平方向の作業に加え垂直方向の作業も同時に進めますので、はかがいかないこと、おびただしい。

それでもまだ長引きそうな予感がする休校措置。
そうなりゃ時間はたっぷりなのです。
先を急がず、気ままに作業しましょう。

ありがたい差し入れ3連チャン!!

 さて、午前中いっぱい草やら根っこと格闘したあとのお昼休み。

職員の方が私にタピオカドリンクをプレゼントしてくれました。
「はい、おつかれさま!!タピオカ飲んだことあります??」
「きゃああああ!!私にくださるの??ありがとうございます。」
遠慮なくいただきました。
乾いたのどに美味しかった!!


 午後も黙々と草取りです。
近づく人影を感じて顔を上げれば、公務補のTさんが
「おれ、先に帰るから。これ飲んでやりな。」
と冷たい紅茶を差し出してきました。

 おじさんからの差し入れはこれで2回目。
「きゃあああ!!!!ありがとうございます。」
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いかがでござんしょ。
きれいになったのお分かりでしょうか?

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こちら、ようやくツツジが咲き始めました。



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 精一杯働いて夕方。
娘からTELが。
「牛丼の具があるけどいる?」

「いるいる!」
住宅に顔を出したら、牛丼の具と一緒に私のお弁当のおかずまで作っておいてくれました。
冷蔵庫に入れておけば次の日のお弁当になります。
牛丼の具は、翌日の夫のお昼用に使えます。

おお!うれしや!
ありがとうね。


以上、三つのありがとうのご報告でした。

  *  *  *
 

 本日5月1日・・・今日も一日外仕事。
Tさんからは、累計3本目となるドリンクをいただきました。
お弁当はとっっても、美味しかった。
さあて!!
明日から5連休です。
今度は我が家の庭仕事。

犬ものがたり⑤・・・・置き去り

狂った歯車

 何故犬は置き去りにされたのか?
『その犬の名を誰も知らない』を参考に、その経緯を書き残すことにしましょう。

その犬の名を誰も知らない (ShoPro Books)

その犬の名を誰も知らない (ShoPro Books)

  • 作者:嘉悦 洋
  • 発売日: 2020/02/20
  • メディア: 単行本

1957年12月・・第一次南極越冬隊は二次隊に任務を引き継ぐ準備を進めておりました。
二次隊をのせた「宗谷」は着々と南下を進めており、その時点で全く問題はなかった・・・。
本書では、そのように書かれております。
しかし、年が明けてから吹き荒れたブリザードが次々とトラブルを生みます。

1月下旬・・・氷盤から抜けられない。米国へ部分的な支援を要請。
2月1日・・・「宗谷」のスクリュー一部破損。米国へ本格的な援助要請。それにより昭和基地へのルートが確保される。
2月8日・・・・「宗谷」からの一番機、昭和号が昭和基地へ飛来。物資の投下。引き継ぎは目前。
9日・・・・・・・・昭和号飛んでこず。西堀越冬隊(第一次越冬隊)を「宗谷」に収容するという旨の連絡。
現地での引き継ぎしか考えられない一次隊は納得できず。

①二次隊との引き継ぎは、昭和基地で行う。
②二次越冬隊が基地に来られない場合は、一次越冬隊が継続越冬する。

譲れない二点を携えて、立見隊員のみが「宗谷」へ。
しかし、立見隊員は、二次越冬隊の永田隊長にも、村田越冬隊長にも会えず。
二人は引き継ぎを前にそれぞれの視察や準備をしており船内にはおらず、探せど見つからずの状態だった。


このあたりを読むと完全に歯車が狂いはじめているようで、もどかしく感じます。
”変えられない過去の現実”を知りながらも、
「どうした!どうにかならないのか?」
「大事な二人はどこへ行った!」
と歯ぎしりする思いで読み進めました。


2月11日・・・・仕方なく越冬隊らは「宗谷」へ帰還し、船内での引き継ぎを行うこととする。
誰もが不服ながら隊長命令には背けない。
基地がいっとき人間不在になるものの、船内の引き継ぎが終われば直ちに二次隊がやって来る。

「二次越冬でも、カラフト犬は絶対に欠かせない。犬が逃げ出さないように、しっかり固定せよ。」

巧みに首輪抜けする犬たちもいる。
基地を離れた犬たちに待っているのは、おそらく死しかない。
犬係であった北村氏は、その命を守るためにも、二次隊に犬たちを確実に引き継ぐためにも、首輪の穴をいつもより一つきつめに締めることにした。


別れの時が来た。犬たちは新しい犬係のもとで、次の一年を送る。
─しっかりやれよ。この一年、お前たち本当によくやったな。

第二次越冬隊のために付けた赤い名札を胸に、犬たちはおとなしく座っていました。
小型飛行機昭和号が隊員たちを乗せて離陸。

その時だった。係留地に座っていた犬たちが、突然立ち上がり一斉に咆哮した。

その声を聞く北村氏は、引き返すことのできない機上の人となっていたのです。

引き継ぎの準備が急いで進められます。



先見隊三名が昭和基地に送り込まれた。

その間にも海の状態は刻々と変わる。
「宗谷」の支援のためここまでのルートを開いた米国のバートン・アイランド号から勧告が伝えられる。
一旦外海に出たほうが良いと。
全面的な援助を受けたアイランド艦長の勧めに従わざるをえない日本側。


仮に外海へ出ても、そこから越冬地への空輸は諦めない、という姿勢を残す隊員たちではありましたが・・・。
しかし、これは見込みの薄い話といえないか?
ああ、首輪。
せめて首輪だけでも外せたら。
せめて自由だけを保障してやりたい。
北村氏は切望するのでした。

最後の望みは、先遣隊回収のための、最後の昭和号フライト時に伝言を頼むこと。
しかし、その時点では、二次隊の越冬中止が決断された訳ではない。
「やる!」という方向である以上、そのような指令は出ない。


次なる最後の望みは、先遣隊の独断による首輪からの開放となる。

先遣隊は、ここに来ての外海への避難に納得できず。
一次隊が残した食料もある。
犬たちも残されている。
計画続行の見込みがあるなら三人で残り、更なる準備を整えるためここに待機したい。
三名は強い思いで上申した。


しかし、即座に却下。
隊員たちが独断で行えたことは、残る子犬と母犬を収容すること。
飛行機の燃料を一部捨てて、積載可能重量を確保した上で行ったことだった。


眼下に残す犬たちに「必ず戻る」と言い聞かせる先遣隊員たちでした。

結局犬たちの首輪はきつく絞められたまま残されたのです。

その後も越冬実行のためのギリギリの対策が検討されました。

2月23日・・・第二次隊の壮行会が開かれる。
外では強風が吹き荒れ波が高い。

形だけの
笑顔なき壮行会だったと書かれております。




24日・・・・絶望の風が、南極の黒い海を波立たせていた。
その日の午後二時。
日本の統合推進本部より
第二次越冬の断念が言い渡された。

宗谷号北航。

つながれた犬を残し「宗谷」は帰路に向かったのでした。

日本人の恥

 国民のバッシングはすさましかったといいます。
当たり前といえば当たり前、46年前の置き去りの記憶も残るなか、二度とこのようなことは起こしてくれるなという国民の声は強かったのです。

なぜ、同じことをした!
しかも首輪につないだまま。
犬は置き去り、人間はご帰還か!

日本人初の南極越冬成功という評価は霞み、犬の置き去りばかりがグロースアップされ、批判の嵐となったのでした。

それはそうなるでしょう。
結果をみればその通りです。
しかし、最もこのことで傷つき、苦しみを味わった隊員にこれは酷な仕打ちであるとも感じます。

犬と共に生き、褒めて、撫でて、その生きざまを目でみて、肌で感じてきた隊員たちなのです。

簡単にこんなことしたわけないだろうが!

置き去りに至るまでの過程を、私は書いておきたくなりました。
それがこの記事です。

北村は食堂を抜け出し、自分の船室に戻ると、壁にもたれ、力なくうずくまった。目の前にある自分の両手を見つめる。その手は、犬たちの首輪をきつく締めた。犬たちの生きる可能性を奪った手だ。
ポチ、クロ、ジャック、アカ、ぺス、タロ、ジロ、モク、デリー、アンコ、ゴロ、リキ、シロ、風連のクマ、紋別のクマ・・・・。
 あいつらは、人間たちが戻ってくると信じている。腹が減って、早く餌を持ってきてくれと思っているはずだ。しかし、もう誰も犬たちを助けには来ない。
─俺が、この手で殺したようなものだ。

『その犬の名を誰も知らない』からの抜粋です。

北村氏は翌年、第三次越冬隊に名乗りを挙げ、再び南極の地へと向かうことになります。

『熱源』がやって来た。

朝のチャイム

 今日はちょいと箸休め的な記事です。
お付き合いのほどを・・・・。

ブログ記事を書くに当たって再び『熱源』を手元に置こうと、図書館を訪ねました。
人気本のためどなたかが借りていて、書棚には残っていませんでした。
仕方なく予約をいれましたが、そうこうするうちに全国的な「緊急事態宣言」となり、図書館は閉鎖されてしまいました。

以上
前回の記事より抜粋しました。



「犬ものがたり」の連載を書くに当たり参考にしたかった本を、借りることができなかったと書いたのでした。
それを公開したのが 4月27日。
そして翌28日のこと。

朝チャイムが鳴りました。
バタバタと玄関に向かいますと、お隣のお宅、Yさんのご主人がドアを開け顔をのぞかせました。
「はい!」「どうぞ!!」
差し出してくれたのが『熱源』。

「借りていたのはボクでした。」
と。


 奥さんのTさんは、リーディング倶楽部「たんぽぽ」のメンバー。
我が勤務先の小学校に読み聞かせに来てくださるボランティアさんであり、庭で顔を合わせれば立ち話する友であり、私のブログを熱心に読んで下さる読者さんでもあります。
(こちらリーディング倶楽部たんぽぽについて・・)
kyokoippoppo.hatenablog.com

Tさんは、私の前回のブログ『犬ものがたり4』を読んでいた。
前述に貼った文章が目に入った。
顔を上げればそこに、夫君の借りた『熱源』があった。

そういう訳だったのです。
「Kyokoさんが借りたかった本。届けてやったら。」  
ということで、朝のチャイムとなったのです。

図書館が閉まっている間、しばし又借りさせてもらうことにしました。

前回話題にした、ヤヨマネクフとシシラトカの南極探検部分にすぐさま目を通しました。

おや?
この作品で描かれていたと思っていた
犬の置き去りに関すること・・・・描かれていませんでした。
ありゃあ・・・やっちまった。
きっと後から仕入れた知識が混入してしまったのでしよう。
すぐに、前回の記事の気になる部分数文字を削除し、数行を書き足しました。

早めの応急処置ができました。
Yさんご夫婦連携のおかげです。
ありがとうございました。

美装屋kyoko

 さてさて、

コロナ感染がなかなか終息の気配を見せず、小学校の休校もどこまで延期されるやらの状況です。
道の職員である教職員は、在宅勤務が可能になり職員室も空席多し!の状態です。

しかし、私は支援員という立場。
町のパート職員です。
在宅勤務は認められず、働くなら出勤するしかなく、出勤しなければ即欠勤という扱いになります。


(なんと!!今年度から働き方が変わり、年休がゼロの待遇。休めば即日給が消滅する身)

 日給欲しさに出勤して、庭の草取りやらお掃除ざんまいの日々です。
もちろん給食はありませんので、おべんと持ち。
また通常の勤務でしたら、給食時間は勤務時間に組み込まれますが、今は昼休みのカウントとなります。
よって退勤時間も45分後ろにずれ込みます。


まあ、仕事は探せばいくらでもあるので、当分の間美装屋さんになってせっせと働こうと思います。

犬ものがたり④・・・・白瀬南極探検

3冊の本

 『その犬の名を誰も知らない』を紹介するブログ記事に触れたとき、すぐに連想したのが『極夜行』であり、もう一つは『熱源』でした。
それぞれに共有する世界があり、私はそれを拾って書き残したくなったのです。
前回は『その犬の名を誰も知らない』と『極夜行』を並べて、極地でそりを曳く犬の姿を書き残しました。
今回は連載4つ目。
『熱源』を並べてみます。

その犬の名を誰も知らない (ShoPro Books)

その犬の名を誰も知らない (ShoPro Books)

  • 作者:嘉悦 洋
  • 発売日: 2020/02/20
  • メディア: 単行本
極夜行

極夜行

【第162回 直木賞受賞作】熱源

【第162回 直木賞受賞作】熱源

もちろん『熱源』は探検物語ではありません。
主人公の一人であるヤヨマネクフが、白瀬矗(のぶ)と南極へ行ったことは記述されておりますが、それが物語の主題ではありません。


それでも、樺太犬の世話係として南極へ行ったヤヨマネクフのことは私の心に新鮮に残っており、『その犬の名を誰も知らない』から、即座に連想されたのです。
また、白瀬南極探検では南極撤退時に樺太犬を置き去りにしております。それも54年後の第一次南極越冬隊撤収時の痛ましい出来事と重なるのです。
(  )部分はリライトしました。
3冊の本は分かちがたく私の心に住みついてしまいました。f:id:kyokoippoppo:20200414192054j:plain:w500

ブログ記事を書くに当たって再び『熱源』を手元に置こうと、図書館を訪ねました。

人気本のためどなたかが借りていて、書棚には残っていませんでした。
仕方なく予約をいれましたが、そうこうするうちに全国的な「緊急事態宣言」となり、図書館は閉鎖されてしまいました。
(前回北海道独自の緊急事態宣言のときは開館していたのですけどね。)

白瀬南極探検

 
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情報を補うため、ネット検索を頼ることにしました。
「ヤヨマネクフ」と打てば日本名山辺安之助」がでてきます。
Wikipediaには、彼の南極行きのことや犬の置き去りについての記述もあります。








f:id:kyokoippoppo:20200426111106j:plain:w200:left当時隊長だった白瀬矗ついても調べてみました。
おおおお!!!!何かすごい写真ですね。
当時、極地へ赴くとなるとこのような装備だったのですね。

探検そのものをここに書き残したいわけではないので、白瀬南極探検については、極々簡単な説明で済ませましょう。












1910年
積載量がわずかに204トンという木造帆漁船に中古の蒸気機関を取り付けた船「海南丸」にて芝浦埠頭を出港。
極地での輸送力として連れて行かれた犬29頭は航海中に次々と死んでいった。


明治44年(1911年)2月8日に、ニュージーランドウェリントン港に入港。
物資を積み込み、2月11日、南極に向けて出港したが、すでに南極では夏が終わろうとしており、氷に阻まれて船が立往生する危険が増したため、5月1日、シドニーに入港。


その後、探検用の樺太犬を連れてシドニーに戻った多田恵一を加えた隊は、明治44年(1911年)11月19日に出港した。
明治45年(1912年)1月16日、南極大陸に上陸。

その後、クジラ湾より再上陸し、1912年 1月20日、極地に向け出発した。
この時点では南極点到達は断念し、南極の学術調査とともに領土を確保することを目的とした。
しかし、白瀬らの突進隊の前進は困難を極めた。

同年1月28日、帰路の食料を考え、南緯80度5分・西経156度37分の地点一帯を「大和雪原(やまとゆきはら・やまとせつげん)」と命名して、隊員全員で万歳三唱、同地に「南極探検同情者芳名簿」を埋め、日章旗を掲げて「日本の領土として占領する」と先占による領有を宣言した。
なお、この地点は棚氷であり、領有可能な陸地ではないことが後に判明した。

付近一帯を大和雪原と命名した白瀬隊は、明治45年(1912年)2月4日に南極を離れ、ウェリントン経由で日本に戻ることとなった。いざ南極を離れようとすると海は大荒れとなり、連れてきた樺太犬21頭を置き去りにせざるを得なくなった(6頭のみ収容。)

 6月19日に横浜へ回航、そして、6月20日に出発地である芝浦へ帰還した。
約5万人の市民が開南丸の帰還を歓迎し、夜には早大生を中核とした学生約5,000人が提灯行列を行った。


 この探検は、日本の国土と宣言したところが棚氷であったり、仲間うちの内紛ありで混乱続きだったようです。
また事後の金銭疑惑も持ち上がり、白瀬矗の晩年は苦労も多く淋しいものだったようです。
何より南極に犬を置き去りにせざるを得なかったという現実は、この探検の汚点であり、当時の人々に少なからぬ衝撃をもたらせました。

二度とあのようなことをしてはいけない

時が流れ終戦後。
『その犬の名を誰も知らない』に舞台を移しましょう。
 第一次南極越冬隊が樺太犬を連れていくことを知った人々が、これに対して大きな不安を感じたとしても不思議はありません。
白瀬南極探検時の悲劇を知る人はまだ多く残っていたのです。
反対運動が組織化されるまでにもなりました。
 

 埼玉県在住の成瀬幸子さんを中心に「樺太犬を見守る会」が発足した。
犬たちを南極から絶対に帰還させてください」
 成瀬さんたちは熱心に嘆願運動を展開した。運動に賛同する波は愛犬家の枠を超えて、日本中に広がりつつあった。
 理由があった。かつて日本陸軍の軍人、白瀬矗が率いた南極探検隊は、南極から撤収する際に多数のカラフト犬を南極に置き去りにした。この「白瀬事件」は多くの日本人に衝撃を与え、苦い記憶となっていたからだ。
 その事件が起きたのは1912年2月4日。白瀬は犬たちを南極に残したまま突然出航命令を発した。
 何が起きたのか、犬たちにはわかるはずもなかった。
置き去りにされた21頭のカラフト犬たちは、無邪気に尻尾を振った。やがて、乗せてもらえないのだと悟ったのか、犬たちは氷雪に立ち尽くし、咆哮した。人間に尽くした末に、犬たちは南極で見捨てられたのだ。

  『その犬の名を誰も知らない』より(漢数字はアラビア数字に変換いたしました。)

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1965年11月8日。
22頭の犬を乗せた「宗谷」は晴海埠頭を出港しました。
(22頭のうち3頭は体調不良のため日本に送り返されている。うち一頭は帰国途中で死亡)

それを見送る人々の中にいたのが白瀬隊の一員であった多田恵一氏です。
彼は白瀬南極探検時、樺太犬を連れてシドニーへ戻り隊に再び合流した人物です。
(上記青色部分)
(写真は探検当時のもの)




再び『その犬の名を誰も知らない』から抜粋します。

多田恵一。七四歳になった多田は白瀬南極探検隊の一人だった。白瀬の命令だったとはいえ、多数のカラフト犬を見殺しにしたことに苦しんできた。
「あんなこと、二度とやってはいかんぞ」
 遠ざかる宗谷を見つめる多田の目は、そう語っているようだった。

やまとゆきはら

 ネットの海を漂っておりましたら、
「おおおお!!!!」
いいものを見つけました。
「やまとゆきはら」という絵本です。

流氷群、猛吹雪、不足する食糧。アイヌ人隊員の懇願もむなしく、犬を南極に置き去りにして出航を命じた隊長白瀬。明治時代の日本人を描いた壮絶なノンフィクション絵本。

以下、絵本ナビによるあらすじです。

 100年ほど前の明治43年夏。当時日本の領土だったカラフトの小さな村に、カラフト犬がほしいとの依頼が届いた。南極探検のためのそり犬を求めてのことだった。応えて二人のアイヌ人が、犬をつれて白瀬南極探検隊に参加した。
 世界探検史上に名をとどめるアムンセンとスコット。同時期に南極を探検した日本人白瀬。そして白瀬をささえて犬ぞりを走らせたアイヌ人隊員。
 長い船旅の途中でのあいつぐ犬の死。流氷群に取り囲まれてのやむなき撤退。再挑戦と、上陸してからの猛吹雪との遭遇。不足する食糧。せまりくる遭難の危機。犬と人とが体力を使い果たした最終地点「やまとゆきはら」。探検への熱い意志と冷徹な判断。撤退の時、白瀬はアイヌ人隊員の懇願もむなしく、20頭の犬を南極に置き去りにして出航を命じた。
 生身の人間の探検も冒険も、現実感を失いつつある今、読んでいただきたい、ひいおじいさんの時代の日本人を描いた壮絶なノンフィクション絵本。

(太字はkyokoによる)
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二人のアイヌ人・・・・
ああヤヨマネクフシシラトカではありませんか!!!!

この本読みたい!!
しかし図書館は閉まっている。
在庫にある確信も無い。

私買いました!!
なんとヤフーオークション初参戦で!!
いつどのように使ってよいものやらわからずにいたpeypeyでの支払いも出来てうれしかったあ!!


”心に残った3冊の本”などと言いながらも、私はもう本を買うことはしないでおります。
全てを図書館で済ませます。
もう、人生のお片づけ態勢に入らなくてはならないからです。

でも、この本は手に入れたいと思いました。
『熱源』によって知った二人、ヤヨマネクフシシラトカを私は素通りできないのです。

ヤヨマネクフ(左)とシシラトカ(右)の写真はこちらからお借りしました。
ヤヨマネフク | 帝國ノ犬達



次回はいよいよ「置き去りにされた犬」を書こうと思います。
絵本も手元に届いているかもしれません。