夏の思い出

 とても印象に残る夢をみたのです。残しておこうと思うのです。
書いて下書きのまま保存する方法も有りだよなあ!
そんなことも思いつきました。
そうすれば、日記の中でも鍵のかかった特別な「私だけの備忘録」になるよなあ。

でも、結局公開することにします。
自己顕示欲がなせる行為か?
書いたからには、公開して陳列しておきたくなるのです。

父の姿

 今朝方見た夢…父が出できたのです。
印象に強く残り、それを反芻するうちに、学童期の夏の思い出までが芋づる式に湧き上がってきました。  
それも含めて綴ります。


私はバスに乗っている。
(これは、こちらの本の影響かと思われます。この方が長く勤務したのは横浜の営業所。懐かしい地名がチラリホラリと出てきました。)

私はバスに乗っていて、すでに夜。
メイン通りに交差する横道に目をやれば、薄明かりの下に父の姿が影のように見えた。
別の路線のバス待ちをしているのだ。
父のそばにいるのは孫のK。父からみればひ孫になる。
(父は娘Aの結婚以前に亡くなっており、よってKのことも知らぬまに世を去っている。)
その子を連れて立っている父。
私は窓に走り寄り、激しく手を振り存在を知らせる。
父は、「大丈夫!分かっているよ。」というように頷いた。
そして、少し屈んでKに言葉をかける。
Kも顔を上げ私に気づき手を振る。
手を振る2つのシルエット。
遠ざかるバスの中から手を振り続けたのでした。


バス停を照らす街灯の灯りと、手を振る2人のシルエットが印象的でした。


目が覚めて、何で父が夢にも出てきたのかなぁ?お盆が近いからかなあと考えた私。

そんなことを思っていたら、自分の子ども時代の夏の思い出までが、懐かしく想起されて来たのでした。

懐かしい夏の思い出

  私の学童~中学生時代頃、我が家は毎年夏休みになると千葉の田舎へ遊びに行きました。
川崎からフェリーに乗って、木更津へ。
そこから小湊鉄道始発駅の五井へ。
気動車に揺られコトコト。
夏の日差しの中、電車は畑や稲の穂を車窓に映しながら走ります。
上総〜という駅をいくつも過ぎで終点手前の養老渓谷へ到着。

画像はこちらからお借りしました。
ジョルダン 乗換案内・路線情報・時刻表・運行情報サービス

そこからバスに乗り、葛藤(くずふじ)という集落まで。

父の姓のルーツはこのあたり。
とはいえ、父はここで育ったのではないそうです。
父の父、私の祖父の故郷ではあるようです。
祖父は私が6〜7歳のころ亡くなっていますが、訪ねる家には祖父の兄弟(兄だったと思う)が健在でした。

腰が曲がり畳を舐めるように移動していたその妻も健在で、しかし、その息子である父の従弟は若くに亡くなっていました。

その妻であるT子さんが、夫亡きあとも義父母と共に暮らし、私たち一家が遊びにゆく頃にはすっかり年老いていた老夫婦の面倒をみながら暮らしていたのでした。
つまりその家に押しかける我々とT子さんには、血縁の関係はないのです。
T子さんにしてみれば、亡き夫の従弟家族にしか過ぎない間柄でしたが、毎年快く夏の滞在を受け入れてくれるのでした。

 父も含めた家族のお出かけは、非日常そのもので、ワクワクしたものです。
父は仕事の都合で早くそこを去りますが、その後も数日母子が残り、夏を満喫したのです。

廊下の突き当りのお便所には、黒い羽虫が飛びまわり、おっかなかったし、T子さんが出してくれる野菜満載のおかずは苦手でしたが、それを上回る楽しみがたくさんありました。
採れたての西瓜やとうもろこし。
井戸の側で顔を洗い、ぷんと苔臭い井戸水で歯を磨く。
外にあるお風呂場。
養老川での川遊び。
その川へ行くためには、暗く涼しい隧道(すいどう)を抜けていかなければなりません。


そこを抜けると、左につげ義春の本にも紹介されていた「川の家」が見える。(写真背景)
川面には羽黒トンボが乱舞し、私たちは流れの中に入り、苔むしたした岩の滑り台に興じました。
(Wikipediaのページをスクショ)

朝、布団の中で聞いた有線放送のメロディは今でも覚えています。


隧道の記事見つけました。
今や2階建てのトンネルとして観光名所的な扱いのようです。

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www.yomiuri.co.jp

ここに出てくるS氏の名に、ほうっとため息。
この土地が父方のルーツであることを改めて知るのです。
私の旧姓でもあるのです。
 

 私は今、そこから遠く離れた北海道のオホーツク海沿いの町に住んでいます。
すっかり根を生やし、「ここの人」として暮らしています。
でも、毎年夏になると千葉の田舎で過ごしたひとときを懐かしく思い出すのです。

お父さん
お父さん
お父さん。
懐かしいな。

父は一人っ子。
母親を早くに亡くし(10代の頃)父親と暮らす日々だったとのこと。
その暮らしぶりについてほとんど語らなかったし、私は聞きもしなかった。
幼少期の写真などもほとんど残されていませんでした。
東京の空襲で焼けたと聞きましたが、その体験についてもそれ以上のことは聞きませんでした。
一人っ子の父は、9人きょうだいで育った母と結婚しました。
その妻が先だった後、一年もしないで後を追うように急死しました。
T子さんも不帰の客となっております。


夢に出てきたお父さん。
なんともいえない余韻が残っています。

お付き合いありがとうございました。
きっと、後から時々読み返す大切な記事になるだろうと思います。