自分の歩みとして…③

 このタイトルでの記事も三つ目となります。
一年以上前の記事に残した文章の紹介からスタートさせましょう。

目の前でとびっきりの奇跡が展開しなくても、引き寄せとやらで願望通りの富が転がりこまなくても、自分が、「大いなる源」と繫がる存在であることを受け取ることができるのか?
スピリチュアルを知るとは、それに尽きるのだろうな!
そう気づいた次第。


kyokoippoppo.hatenablog.com

スピリチュアルを知るということはここへとベクトルを向け進んでゆくこと。
そのように捉えたのです。
もちろん当時も今も、この道の途上にあります。
「神」というイメージも定まっていませんしね。

で、ですね、その「大いなる存在」(神とも呼ばれる存在)はどちらにいらっしゃるのか?
ということなのですが、どうもその存在は遠いお空の彼方にいらっしゃるのではなく、人の中に内包されている、そのような言説に触れるのことが多いのです。
人間ひとりひとりが神様の分け御霊であると。

これに関しても私は、それを確かだ!と受け取る感覚など持ってはおりません。
しかしながら、私たちは地球という環境にたまたま生まれ落ちた「人間」という名の哺乳動物なのではなく、地球という星を選び、何らかの意思(思い)を持って生まれてきた存在であるということを、実感として捉えきれないながらも受け入れてはおります。
そりゃそうです。
せめてこれくらいの思いがなければ、気持ちがスピリチュアルに向かうわけありませんものね。

 では私たちは、この地球にいったい何をしにきたのでしょうか?

で、これもスピリチュアル界で目にし、耳にした情報によると、肉体的、物質的、精神的…様々な制約のある世界を体験するためにやって来ているというのです。
ですから、その人生模様がいかなるものであろうとも、生きて「体験」をしていさえすれば、それはもう素晴らしいのだそうですよ。その素晴らしさの価値は同じなのだそうですよ。
そうかあ。
そうなのかあ?

とはいえ自我を携えてここにいる私は、自分にとってのより良い生活を当然目指すのですし、安心を手に入れたいし、どんな体験も価値があると言われても辛い体験はまっぴらごめんなのですよ。
で、「引き寄せ」などという言葉にまさしく引き寄せられたりしたものです。

一方で、現実面での渇望や欲望というご利益的なものが、「精神世界」と安直に結び付くということに対して、疑念も湧いたりもするのです。

このような疑念を抱きつつも、
私自身がスピリチュアルに寄せる思いの中に、心配事から開放されたいというご利益的な願望を持っていることは確か。
そこは、正直に認めましょう。

しかしそれだけではなくスピリチュアル界の未知なるものを知り、自分なりの手応えをつかみたいという探究心のようなものも共に抱いていることも確かなのです。

その探究心のもと、現在実践しているものが、『ホ・オポノポノ』のクリーニングです。
『ホ・オポノポノ』の詳しい説明は省きますが、骨子となるのが言葉によって自分の潜在意識をクリーニングし整えてゆくという行為です。
「ごめんなさい」
「許して下さい」
「愛しています」
「ありがとう」

この4つの言葉を言葉にするも良し、心の中で唱えるも良しというもの。
一定の言葉を唱えるというという点では「ありがとう」の実践と大変似ています。
働き方としては同じものと捉えて良いのではないでしょうか?
一定の言葉を日常的に口にし、心で呟くことで、言葉(言霊)が点滴のように潜在意識に浸透してゆく。
それにより潜在意識がゆっくりと変化してき、それが現実面での変化を生む。
そのような仕組みなのだと理解しています。

「ありがとう」実践から
「ホ・オポノポノ」の実践へと興味が移ったきっかけが何だったのか?
覚えていないのですが、何か惹かれるものがあったのでしょうね。
(「ホ・オポノポノ」の本はかなり前に読んだことはありましたが当時はそれっきり。)

とにかくこの言葉は、外へ向けてではなく、自分の内側(内なる子ども)へ向けて発信します。
また、自分の目の前の現実は全て自分の内側(記憶)から生まれていると考えるのが大きな特徴です。

自分の記憶が現実を生む?
何故?さっぱり分かりません。
分からないながら実践中の私です。

この実践を始めていることは、今までの記事で少々匂わしておりましたが、ようやくここで『ホ・オポノポノ』という言葉を明かすことができました。

ある特定のメソッドを採用することで、スピリチュアル界をしっかり俯瞰することなく狭いハウツーへなだれ込むのではないか?
そのような印象を持たれるかたもおられるかもしれませんね。
仕方ないことかもしれません。

 しかし、私はスピリチュアルを広く知るための手がかりとしてここを選んでみました。
当たり前のことですが、スピリチュアルを知り、自分の人生を豊かにするために「ホ・オポノポノ」が唯一の方法なわけではありません。
また、それとの付き合い方も間違えば道に迷うことでしょう。

まずは、「言葉」を自分に向けて発信する…この行為の行方を確かめてみることに絞っての実践です。
ホ・オポノポノでは、4つの言葉の他にも様々なクリーニングツールがあるようですが、それにも今は手を出さず。


最後に先週末22日の夕日の写真を貼り付けておきますね。

関連の記事、もう1回くらい書く予定でおります。