ワクチン終わった・・夏も終わった

ドキドキワクチン

 7日土曜日・・・朝からジリジリと暑かった日。
2回目のワクチンを接種しました。(学校に勤務しているための優先接種)
2回目接種後の体調異変に関しては、はてなブロガーさんの情報からもリアルに伝わっており、ドキドキしながら受けました。

 1回目は注射そのものが痛かったです。
「いっっってえええええ・・。」
針が刺さるときも薬剤が注入されるときも、かあっと焼けるような痛みを感じました。
その後は腕の痛みくらいで体調の変化無し。
そして2回目。
注射・・痛くありませんでした。
それだけでホッとした私。
夕方・・熱が出ましたよ。
7度程。
お酒飲んで、身体がほてっったような感じの熱でした。
体調がだるいとか、重いとかは全くなく、ただ熱い!!
そんな熱でした。
朝には平熱に下がっており、何とか無事に接種を終えました。
そして
翌日日曜日・・・夏も終わってしまいました。

気温急下降

f:id:kyokoippoppo:20210809070526j:plain:w340:left
(写真ぼけ気味でごめんなさい。)
ラソンが行われた札幌の最高気温は31度。
夏が居座っておりますが、当地紋別のあたりは22度です。
寒々とした空気の中霧雨が満ちていました。

こんな風に唐突に夏が終わってしまうのか??
もちろん暑い日は再び訪れることでしょうが、空気は、はや秋のものになってゆきそうです。

そんな中・・娘の車でおでかけしました。
友人のカフェ開店の日だということで、隣町の旧若里小学校まで行くことにしたのです。


f:id:kyokoippoppo:20210809070945j:plain:w400:left





ジャージー牛にこだわった乳製品を販売するのだそうです。右端にちょろりと見える道は佐呂間町を経て北見へ至るものです。
北見へ行くときは必ずここを通ります。
その道を左に折れる道・・看板が示す道が、わが町から佐呂間町市街へ向かう近道です。






看板矢印先の道をご覧下さい。
f:id:kyokoippoppo:20210809070956j:plain:w400:left








上り坂が山の方へと向かっております。

先に見える林の縁を一本道が続いているのです。
街灯は無し。
以前この道を使って佐呂間図書館に通った時期がありました。
夜の帰り道・・怖かったなあ。
見えるのは車のライトが照らすわずかな明かりのみ。
後部座席にいつの間にか誰か座っているようで・・・おおお!!

学校だけが残されて

 カフェに改装された旧若里小学校は、きれいたたずまいのまま残されておりました。
小さいながらも、立派な校舎です。
この中を子どもたちの声がひびいていたこともあったのに・・。
いつ閉校になってしまったのかしら?

その校舎を使って開店したカフェARVO。
残された教室の見学もできます。
f:id:kyokoippoppo:20210809070614j:plain:w600



f:id:kyokoippoppo:20210809070549j:plain:w400f:id:kyokoippoppo:20210809070629j:plain:w400


お買い上げ!!


他にはジェラードチョコレート味と、持ち帰り用の無水カレーも買いました。
牛乳は低温殺菌。ホモジナイス(脂肪均質化)されたものです。 
f:id:kyokoippoppo:20210809071006j:plain:w400



・・・・それにしても市街地から離れたところにあるこのカフェ。
周辺には何も無く、ついでに寄るという場所ではありません。
明らかにここを目指さなければたどりつかないような場所にあるカフェARVO。

 昨日は開店当日とあって賑わっておりましたが、今後息長く続けていくための工夫や努力は必要でしょうね。
検索をかけてみましたが、ネット販売の情報は見つかりませんでした。
いずれ実現したときは改めてお知らせいたしましょう。

扉をあけて・・・そこでウロウロ

扉を開けたものの

 前回の記事で、ティール時代」なるものを話題にいたしました。
何でも、ティーという時代の変容が始まっているらしく・・・。


私はその扉を開けたのです。

友人であるHさんが教えてくれた『ティール時代の子育ての秘密』を早速図書館にリクエストしましたが、まだ読んではおりません。
それに先立ち、本書を紹介した西原宏夫氏のこの記事に触れまして、すぐにいいなあ!心地好いなあと感じたのでした。


note.com

その理由・・・・
そうですね・・・・・。
私には、
「あれで良かったのか?」
とか
「これで良いのか?」
と未だに分からないこと、判断つきなねることがたくさんあるのですよ。
例えば、
我が子たちに対して私はあれで良かったのか?
とか、現在の仕事に携わりながらも、
私は児童の幸せにつながることをしているのか?
とか?
自分の中で答えが出せていないことがたくさんあるのです。

ですから、西原氏のNOTE記事の中で見つけた

むやみに「いい・悪い」の判断をしない。
起きた出来事や結果、自分や他人の行為、 自分や他人そのものなどに対して、ありのままを受け取り、判断を保留する。

などを目にしてほっとしたのです。
今決着をつけなくても良いことに安心感を見いだした・・それだけのことなのです。

このように、とても単純で気分的、分かりやすい理由なのですよ。

 その後、「ティール時代」とか「ティール組織」なるものを検索にかけて読んでおりますが、とくに経営の分野のティール組織の実際となると、おお・・・とてもとても感情的なもので向き合う代物ではありませんね。
開けた扉の入り口で私は早くも足踏みしております。

そこに留まる

 でもね、全く急ぎ旅ではないわけですよ。
⚫先日会った友達Hさんによってこの言葉を知った。
⚫大変に気分的な理由で、私は良いなあと思った。

この自分の偽らざる現実に、しばし留まろうと思います。

だから、これを目にしている皆様もそのおつもりでお付き合いいただけましたら幸いです。
前回の記事へのコメントで次のようなものがありました。

botiboti (id:inuwan33)からのものです。

25の文章から老子の教えが基本になっているのかなと感じます。

ん???老子とな??

西原氏のNOTE別記事に、老子の言葉について書かれたものもありました。
別記事ですので「ティール」についてを語ったものではありませんが、似た価値観をそこに見出しました。
note.com

ダイヤモンドと石ころに優劣をつけて、ジャッジしたりはしないよ、というスタンスを老子は説いています。 老子に言わせれば、世の中にある物事について、いちいち「よい、悪い」「偉い、 偉くない」「すごい、すごくない」というジャッジをすること自体がおかしい。 これを老子は「無為」という概念で説明していますが、どんな存在でも、自然のままにいれば、ただそれだけでいい、わざとらしいことをせず、自然に振る舞え、ということなのです。 これこそ「ジャッジフリー」の思想です。

そして、私は西原氏のジャッジフリーという言葉にも惹かれたのです。
先の引用

むやみに「いい・悪い」の判断をしない。
起きた出来事や結果、自分や他人の行為、 自分や他人そのものなどに対して、ありのままを受け取り、判断を保留する。

と、きれいに重なりますね。

ドラマ『すいか』

 さて、突拍子もない飛躍のようですが、ここで私はよんばばさんがいたく気に入っていらっしゃるというドラマ🍉『すいか』について書いてゆきます。
hikikomoriobaba.hatenadiary.com

ティール」と繋げて良いか悪いかはさておき、
ティール時代という言葉→西原氏のnote記事→ジャッジフリーという言葉→ドラマ『すいか』と繋がってしまったのだから仕方ない。

よんばばさんのこの記事を読みまして・・・まずは興味がふつふつと湧いたのですよ。
YouTubeで視聴できることを知ったのですよ。
わがP・Cは、音声がいかれてしまっているので、スマホの小さな画面で観ることにしましたよ。
画面は小さいけれどね、夏休みの午後に、一日の終わりに・・気ままな時間に気ままな体勢で観る楽しさがありました。

(何故か第4話だけ視聴できず、抜けてしまいましたがね。)

夏休みのブレイクタイム!ルンルン😆🎶✨
「さあて、今からハピネス三茶に参ろうか?」
って気分でね。
ハピネス三茶とは、レトロな雰囲気のアパートですの。賄い付きのね。
f:id:kyokoippoppo:20210808072007j:plain
画像はこちらから。気になる間取り|ドラマ「すいか」編 | 天然住宅 | 自然素材の家
Wikipediaによるあらすじは以下のとおり。

早川基子は信用金庫に勤めるOL。34歳になった今でも結婚もせず、親離れも出来ずに平凡な日々を送っていた。
そんなある日、数少ない同期であった馬場ちゃんが3億円を横領していたことが発覚し、逃走したことから物語は展開する。
逃走を続ける中、日常の何気ない幸せに気付く馬場ちゃん。


一方、「ハピネス三茶」という下宿屋で、エロ漫画家の亀山絆、大学教授の崎谷夏子、大家の芝本ゆかなどの同居人との交流を通して変化していく基子を対照的に描いている。

ドラマの内容を詳しく書くことは省きましょう。

私が魅せられたのは、「ハピネス三茶」のたたずまい。


このたたたずまいも、ストーリーそのものもかなり作られた感じが強いです。
それでもそれぞれの住人の「生活」という基調がしっかりあるので、この”作られた感じ”は、全く邪魔にならず、むしろコミカルで楽しめる要素となっています。
『すいか』を見終わり、
このドラマの心地よさは何だったのだろうと改めて思ったとき、それはまさしくジャッジフリーの精神なのだと思いました。


狭い生活圏内で、毎日変わりばえのしない毎日を送っているような彼女たちですが、その時々に選択をしています。

そこから、特別大きな変革が起きるわけではありません。

その選択が大きな成功や、確かな幸福にたどり着く訳でもないのです。
でもその都度その都度、迷いながら、まごつきながら自分で考えて選択をしていく彼女たち。
長年のハピネス住人である「教授」(浅丘ルリ子)は、そんな彼女たちの価値を認め、心からのエールを送ります。
「自分で考えなさい。間違えてもよいから」・・ということが「教授」の信条なのです。

そのようにして何かを決めたらもうそれで良し!!
その先の「良し」「悪し」のジャッジは無いのです。

住人たちの変わらぬ暮らしぶりが続いてゆきそうな・・そんな景色の中、ハピネス三茶の庭にはコスモスが咲き秋の到来を告げます。
唯一の変化は、学生時代からの住人であった「教授」がここを出てゆくということ。
そんなエピローグにじんわりと淋しさを感じた私でした。

 そして・・・すいかや飲み物を冷やすために使われたこの水路。
f:id:kyokoippoppo:20210808074717j:plain:w400:left
画像はこちらから。ドラマ『すいか』ロケ地(写真追加しました) : いつの間にやら、50代〜近所で二拠点生活はじめました〜

ロケ地は南武線宿河原駅から程近い、二ヶ領用水だそうです。
二ヶ領用水沿いの景色は、私にとってはとても懐かしいものです。
(両親が最後に住んだのは、南武線の「中の島駅」近く。二ヶ領用水のそばに建つマンションでした。)

次男よ!!!

 さて、私の前回の記事を読んで、何と次男からラインが来ました。
かなり長文の。

「お母さんからティール組織というワードが出て来るなんて思わなかったよ!」
と書かれてあり、息子にとっての関心事でもあるティール組織について、息子の説明と、解りやすいWebページが貼られていました。

息子よ!ありがとう。
提示されたWebページには、「大人になってもまだ人間は成長できる。
と書かれてありました。

そのためには、自分に固執しない。
常に自分の常識を明け渡し、新しい風を入れることが大切だということがわかりました。

生きている限り、自分を新しくできるということは楽しいですね。
「ハピネス三茶」の住人たちのように、私の生活圏内はとても狭いし、変わりばえしない生活ですが、そこにありながら
自分で考えて、自分をつくりかえてゆくことは可能なのですね。

ゆっくり、一歩ずつ。

扉をあけて・・・1

友に会いに・・・

f:id:kyokoippoppo:20210803161722j:plain:w600
 
 気温がストンと下がった8月1日。
朝から霧雨が降り、寒いくらいの陽気となりました。

気持ち良いミストに包まれ、連日の猛暑から解放された日。
その日は待ちに待った日でもありました。

3年ぶりに友達と会うことになったのです。

f:id:kyokoippoppo:20190519074302g:plain:w550:left
待ち合わせ場所は、サロマ湖の対岸のあたり。

さあ!出発!
湖沿いに1時間ほど車を走らせました。




  
 会うのは元同僚のHさん。
同僚といっても彼女は当時小学校教諭であり、私は支援員。
職種は違いましたが、同じ職員室で3年余を過ごしました。
会っては数年で別れることが宿命の職場です。
別れた後は、大抵交流が途絶えてしまいがちですが、彼女とは縁が続いております。

初めて会った印象は、決して良いものとはいえませんでした。
彼女は若く、美しく、颯爽としており、思った意見はバチッと言葉にするタイプ。
私は勝手に気後れを感じたのでした。

そのHさんと、ひょんなことから親しくなり、その後大事な友としてつながっております。

普段の交流は無いに等しいものの、ここぞというときには、真っ先に会いたい人なのです。
彼女にとっての「私」もきっとそういう存在なのだと思うよ!!だよね???
だから、この日、私も彼女もサロマ湖畔のその場所にワクワクしながらやってきたというわけ。


たくさんたくさん語らいました。たくさんたくさん笑いました。
私が、ポイントお片付けの話をしましたら、
「それで、その貯まったポイントはどうなるの?
と彼女2回も聞きました。

だからあ!何にもならないよお!
と私。
それだけで面白い!

Hさんは、天職とも思えたという教職をすでに辞しておられます。
お子さんを3人もうけ、今はスターバックスコーヒー店のパート店員として働いています。

会社の理念やコーヒーの知識など、新しく学べる機会を得たことを喜ぶ彼女!
いいね🎵
とても素敵だ❗

ティール時代

 そして、私は彼女からとても興味深い話を聞きました。
皆さん
ティール時代という言葉をご存知でしょうか?

私は初めて聞きました。

初めは経営のあり方としての「ティー」がまず導入されたようです。

ティール組織とは何か
 ティール組織とは、社長や上司がマイクロマネジメントをしなくても、目的のために進化を続ける組織のことだ。そのため指示系統がなく、メンバー一人一人が自分たちのルールや仕組みを理解して独自に工夫し、意思決定していくという特徴が見られる。

(ビジネス+ITのウェブページより)

この考え方を子育てや教育にも応用した一冊の本『ティール時代の子育ての秘密』を紹介されました。

聞いた説明で・・・・
まずは食いつきましたよ。
私!

家に帰ってからすぐに検索!

好きだわ!
この理念。
少しずつ学んでいきましよう。

むやみに◯◯しない

 世の中はもうすでに、ティーの流れが始まっているそうですよ。
それが実際にどのような変容なのか?を分かりやすく説明しているものを見つけました。

西原宏夫 Nishihara Hiroo|note
note.com
1.「戦い」を仕掛けない。 
2. むやみに「目標」や「夢」を設定して、それを追いかけない。 
3.むやみに「聖人」にあこがれない。  
4. むやみに「いい人」、「強い人」、「立派な社会人」のふりをしない。装わない。格 好つけない。 
5.自分の弱さや欠点をさらすことに抵抗感がない。 
6. むやみに人を批判しない。  
7. むやみに「美しい物語」にあこがれない。むやみに理想を追わない。  
8. 秩序のない混沌(カオス)の中にいても居心地の悪さを感じない。

これに続いて25まで列記されております。
興味を持たれた方のために下記に添えておきますね。

このね、むやみにって大切なワードだと思うわ。
それそのものを否定しない、ただむやみにそれにこだわることから脱却しようとする考え方のようですね。

新しい扉の前に立っている自分を感じます。
そっと開けて中へ踏み出すのはきっとワクワすることでしょう🎵

これを学んで、このような考え方やあり方をしっかり取り入れるに至ったら、私は今の仕事を続けることが難しくなるかもしれませんね。

教育現場は、まさに従来の価値観によって運営されているからです。
とくに8番
「秩序のない混沌(カオス)の中にいても居心地の悪さを感じない。」
を心から受け入れるのは難しいでしょうね。


私そのものが従来の価値観によって育てられ、出来上がった代物ですから。

まずは惹かれたこの価値観ですが、むやみに、このティールなるものに飛び付かず、静かにゆっくり学んでいきたいです。

Hさんによれば、従来の考え方=昭和的な価値観をことさらに批判しなくても、自ずと矛盾として、何らかしらの問題として立ち行かない事態が出現するそうなので、戦う必要は無いとのこと。

そのように言っていたと思います。
そうでしたよね!!??

ここまで綴ってきた私は、今シュタイナーの次のような言葉を思い出しています。

誰かが何かをいうとき、別の考えをもつ人は、「違う」と言います。私たちはどこかで相手と違った判断を下します。その場合、その誰かが間違っていたのかもしれませんし、私たちが間違っていたのかもしれません。ある点では、誰かが正しく、別の点では、私たちが正しいのです。ですから一方が他方と違う判断をするとき、自分の判断を基準にするわけにはいきません。そうしても意味がありません。
 
賢くなった人は、常に自分の判断を引っ込めます。自分の判断に執着しないために、自分が正しいと思ったときでも、意見を引っ込めます。

kyokoippoppo.hatenablog.com

過去記事はこのように続いております。

文章を続けて読みますと、物事の判断には自分を無にすることが大事であると述べられております。

自分を無にして、二つの物言いをまず受け取れ、と。
自分自身が二つのものごとと対立する必要はないのだと。
すると、二つのものごとそれ自身が矛盾し合う。
このようにして物事の判断は、自分によってではなく、外から下される。

 そのようにして、賢者は判断するのです。

Wさん!!
素敵な時間をありがとう。
新しい扉の前に立たせてくれてありがとう!!!f:id:kyokoippoppo:20210803122702j:plain:w700

おそらく、この記事続きますことよ!!

西原宏夫 Nishihara Hiroo|noteより、9番~25番まで。


9.発生した出来事や世の中の現象などに対して、論理的で美しい説明や理由付けを むやみに求めない。出来事や現象が、ただ「ある」ことを認める。  
10.むやみに「いい・悪い」の判断をしない。起きた出来事や結果、自分や他人の行為、 自分や他人そのものなどに対して、ありのままを受け取り、判断を保留する。  
11.いかなる結果が出ようとも、それを淡々と受け入れる。  
12.物事を「正義 vs悪」のパターンで読み解こうとはしない。「正義」を振りかざし て「悪」を糾弾しようとはしない。自分や他人やお互いに対立をする人たち、あ るいは組織、国家などに対して...。 

13. むやみに「善人」と「悪人」を切り分けない。 
14. むやみに「正・誤」を判別しない。 
15.むやみに自分と人、あるいは他人同士を比較しようとはしない。存在しているだけで十分に価値があることを実感として把握している。  
16. むやみに「コントロールしよう」とはしない。他人も自分も組織も世論も...。説 得して他人の意見を変えようとはしない。したがって「社会を変えよう」という インテンションはなくなる。

17. 恋愛は、激しく燃え上がらず、静かな感じになる。パートナーに対して、独占欲 や嫉妬心が希薄になる。
18.あらゆる場面で「無条件の愛」が発揮される。  
19.自分とは異なる意見、思想、価値観、文化の人と一緒にいても居心地の悪さを感 じない。 
20.他人の問題行為、わがままな行為、エゴむき出しの行為に対して、むやみに嫌悪 感を抱かない。  
21. むやみに「自己顕示欲」むきだしの言動に走らない。 

22. 自分自身、起きている出来事、他人との関係などを、客観的に遠くから見る視点を確保している。 
23.他人や社会が、自分や自分の言動をどう見るかを、むやみに気にしない。
24. むやみに過去を悔やまず、未来を思い煩わない。  
25. 自らをあけわたし、宇宙の流れに乗ることができる。傍から見ると、やたらに運 が良いように見える。

この25の変容を見ると、非常に禅的であり、哲学的です。
昨今の世の中の変化の多くはAIというデジタルシフトによってもたらされるという論調が多いのですが、この「人類の意識レベルの変化」という視点からながめてみると、さらに現在私たちが置かれている状況がよく見えてきます。

夏休み!!

勤務を要さない日

 夏休みに入っております。
昨年までは一旦雇用が切れましたが、今年からは雇用が継続したまま、夏休み期間は「勤務を要さない日」として処理されます。
健康保険も継続されます。

とにかく・・毎日が日曜日のような日々が8月半ばまで続くのです!!
やっほ~~!!!!
しかも夫は猛暑の中遺跡発掘アルバイトに出かけますのでね。
ほほほ・・おうちに一人!!!

居間のカーテンを取り外し洗って、ほこりまみれだったカーテンレールの汚れをぬぐって、脚立に乗って黄ばんだ壁も拭いて、
布を広げて・・・メルカリにばんばん出品して・・・あれもこれも・・と胸踊ります。
が、実際には半日もすれば気持ちも身体も減速し、午後には「のんびりモード」になってゆきます。

夏も涼しい北海道!!など過去のこととなり連日の猛暑!
エアコンなどありません。
日差しをさけるべくカーテンをしめて、保冷剤をタオルにくるんで首に巻き、しのぐ毎日。

半端仕事

 


娘から頼まれていたベッドカバーも作りましたよ。

カバーと言っても、下敷きカバーですので我が家のボロ布で調達。

ぼろぼろに擦り切れた不織布が気になるのでこの上に一枚ラフなカバーが欲しいというのが娘の要望でした。






いかがかね??




















ところが・・・ああ・・やっぱり私・・半端仕事になってしまった。

これの上にしっかりしたカバーがかかりますので、そのまま使用。
西日が当たり風の抜けない娘の住宅の寝室で、ベッドカバーを外したりつけたり・・・もう汗みどろですよ。

こんなときは浴槽にぬる湯をはって水風呂!!
孫は大はしゃぎでした。

気ままなときを楽しんで


 こんなものも作りました。
針金に糸を巻いて巻いて巻いて巻いて・・・。
中央部分が荒いのでビーズでも貼ろうかな??
いや・・いらんかな?




 子どもの育て直しは不可能ですが、ミョウバンはいけます!!
前回いくつかを煮とかし、新しく生まれた赤ちゃんを育て直しております。
極 小さいうちから、形が偏らないように様々な面が底になるように手返しながら溶液の中に浸し、見守っております。





kyokoippoppo.hatenablog.com


庭だけが手つかずです。
蚊と暑さに尻込みしてしまって・・。
早起きは続けているのですがね!!

明日は気温が下がります。
21度だそうです。

家庭学校

『光の犬』の舞台が、我が町の隣に位置する遠軽町であることを知り、それにまつわる記事を書いております。

今回はその第3弾!
貼り付けの多いものになります。


今回は遠軽家庭学校についてです。

私はそこを訪れたことはありません。
観光のための施設ではないからです。

様々な困難を抱えた子どもたちが、様々な事情により家庭を離れ、ここで暮らし学んでおります。(写真はWikipediaより、礼拝堂)

ぷらりと訪れ見て歩く場所ではないだろうと思うのです。



北海道家庭学校(ほっかいどうかていがっこう)は、北海道紋別郡遠軽町留岡にある男子児童自立支援施設(旧教護院)である。日本国内の児童自立支援施設としては珍しい民間運営の施設で、施設や敷地を鉄格子や塀、柵などで閉鎖隔離しない「開放処遇」形態をとっていることでも知られる。

Wikipediaより)

『光の犬』では、「農場学校」という名称でこの学校が登場します。

工藤牧師は、農場学校のなかにある礼拝堂の運営と、農場学校の柱であるキリスト教教育に協力者として携わっていた。

『光の犬』より



牧師の息子である一惟(いちい)。
※この名は北海道ではオンコと呼ばれる赤い実をつける樹、イチイから付けられました。
彼は、父を手伝うために農場学校に通います。
讃美歌の伴奏をパイプオルガンで弾くのです。

一惟はここでの礼拝に、教会とは違う特別な空気を感じるのでした。

工藤牧師が赴任している”物語中の「枝留教会」”(えだる教会)は、現存する「遠軽教会」であることを前回の記事で書きましたね。

今の話題にリンクした!

 今回話題にする家庭学校について・・・・頼るはまずはネット記事!ということで関連のページやYouTubeを当たりました。



そうしましたらなんと!
まさしく今、色んな意味で話題になっている東京オリンピックと関係するものを見つけたのです。
昨晩ニュース(ローカル放送だったかしら?)でも放映されましたので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。
こちらです。
www.youtube.com

⚫よんばばさんのブログで本書を知る。
⚫本の舞台がとなり町であることに驚く。
⚫記事を書く過程で、家庭学校と、東京2020オリンピックとのつながりを知る。

しかも、このようなドンピシャリ!のタイミングで・・・


オリンピックに対しては様々な意見があり、皆様それぞれの姿勢で向き合っていることでしょう。

私は関連番組を追いかけてはおらず、目に入る切れ切れのニュースで関連のことを淡々と知るばかりです。
遠軽家庭学校で大きく育った樹木は、その命を差し出して、丁寧な加工と、施工を経てオリンピック会場での役立ちとなりました。
それだけに、今回のオリンピックに付きまとうネガティブな影が残念です。

遭難

 さてさて、『光の犬』に戻りましよう。
 家庭学校には、卒業生の方から贈られたロジャースオルガンという荘厳な音色を奏でる大がかりな楽器があったそうです。

著者松家氏は、「農場学校」にロジャースオルガンならぬパイプオルガンを配し、牧師の息子一惟にそれを弾かせます。

礼拝の手伝いをつづけていても、農場学校の生徒との直接のやりとりはほとんとなかった。異なる環境で育ち、それぞれにどこか似たような罪を犯した少年たちが故郷を遠く離れ、ここでの共同生活をしていることへの十代なりのあやうい義侠心もはたらいていたかもしれない。

『光の犬』より

 そんな一惟は、ここでバターの製造に励む石井毅少年と徐々に打ち解けてゆくことになります。
農場学校の生徒が作る業務用のバターは、品質の高さで知られておりました。
一惟はこのバターを枝留に住む人にも日常的に使って欲しいと思うようになります。
教会で販売してはどうか?と考えました。
顔面を傷におおわれた、との対面。
これが二人出会いであり、その後の交流の始まりでした。

 しかし、ある晩、毅はバターの売上金を手にすると学校を抜け出してしまいます。
病床にあり、回復の見込みがないことを母からの手紙で知った彼は、幼い頃生き別れた母に己れの姿をひと目見せたい一心でこの行為に及んだのでした。
「お金は必ず返します」という置き手紙を残して・・・・。

しかし、決行の日はあいにくの悪天候
降り始めた雪は、やがて激しい吹雪となって行く手を阻みました。
枝留の駅にさえたどり着けば・・・少年は足を進めますが、もう方向も分からないほどの風雪となり、彼は翌日凍死体となって発見されるのです。



 Wikipediaからの抜粋からも分かる通り、家庭学校は、日本各地の非行少年と呼ばれる子どもたちを集める学校です。
当然脱走する子どもがいることは想定されます。
しかし、ここでは、閉鎖隔離という対策はあえてしておりません。
学校が掲げる理念の一つといえましょう。


毅のモデルともいえる少年が過去に存在しておりました。
an-accused.hatenadiary.org


高い理念を貫き、継続させてゆくのは並大抵のことではないでしょう。
この事件のような、痛ましい現実にも向き合わなければなりません。
それでも脈々と続く家庭学校!
このような学校がこの土地にあり、その理念が人々と少年たちの努力によって今も息づいている・・・・そのことを大事に思いたいです。

こちら、家庭学校の創設者「留岡幸助」についてを伝える映画予告版です。
地元の撮影とあって、見知った顔がエキストラとして登場しました。

www.youtube.com




さらにこちらも・・。
これも私にとってはタイムリーなものでした。

『光の犬』を読み終えた直後に目にした道新記事です。


教会学校の一致だけで、枝留を遠軽と断定することに、疑問も持たれる方もいらっしゃるかもしれませんね。
実は、この3点の他に、まぎれもない証拠がございます。

唯一、変換無しで書かれたもの。
それは、湧別川です。
枝留にある智脚岩から見える川。
添島が釣りのために足を運ぶ川は、天狗岳の源流から湧別平野を渡りオホーツク海へと注ぐ湧別川なのです。
kyokoippoppo.hatenablog.com

皆様!!!!!

3話に渡るこの記事をお読み下さり、誠にありがとうございました!

遠軽散歩

「枝留」は「遠軽


間にひとつ記事を入れてしまい、勢いが削がれてしまった感がありますが、第2弾を書きましょう。
こちらの続きになります。

kyokoippoppo.hatenablog.com

いくらか、前回の記事を重複して書きますね。
hikikomoriobaba.hatenadiary.com

『光る犬』・・・松家仁之著に寄せるよんばばさんの感想が発端です。

これほど引き付けられ、心を揺さぶられるのはなぜなのだろう。取り立てて感情移入する人物がいるわけではない。
しかし、どの人物も自分である、とも思う。そうして読み終えると自分の生き方について、考えないではいられない。

これを読み、迷わず図書館に向かいました。
司書のTさんは、本を手渡しながら驚くことをおっしゃった。

「これ・・・遠軽が舞台だとしか思えないですよ!」
「えええ???!!!!!」
そうなのですか??
読み始めるや、作中の「とある町」「枝留」は隣り町の「遠軽」であることがはっきりと分かりました。


 この記事は、本書の感想ではありません。
『光の犬』に登場した場所やものを紹介するものです。

 物語の冒頭に登場する智脚岩は、瞰望岩(がんぼういわ)。
第1弾では、瞰望岩やふもとの駅についてを綴りました。
落下防止柵が一切付いておらず、初めてここを訪れたときには、まずそのことに驚きました。
遠軽で他の記事を当たったところ、

free-json.hatenablog.com
このような記事もございました。
かつてここから飛び降りて自死された方がおられたことは事実です。
瞰望岩の写真がクローズアップされた信金のカレンダーに、多くの亡霊が写っていた話も聞いたことがあります。
自殺の名所になりそうな様相は確かにありますが、私が嫁いできてからそのような事例に接したことはございません。
🔵追記(私の耳には入らぬものの、実は自殺の場所として選ばれ、飛び降りてしまう事例が少なからずあるとのことです。)



それにしても危険な場所であることは確か。
柵が無いのは何故なのかしら??
この岩の大きさ、高さが強く迫ってくる動画をどうそ!!
www.youtube.com

追記貼り付け

 記事アップのあと、北海道新聞オホーツク版で素敵な写真見つけました。
読者の方の投稿写真です。
割り込み貼り付けします。
f:id:kyokoippoppo:20211020183949j:plain:w500

遠軽教会

最初に枝留教会に行ったのは、三年生のときのクリスマス礼拝だった。二日間ふりつづいた雪がやみ、分厚い雲がすっかり東に流れ去って、嘘のように晴れわたった日だった。

木は本物のエゾマツで、つんと青い匂いが漂っていた。いちばんてっぺんにある金色の星、あちこちにぶらさがっている赤い球、白いドレスに銀色の粉をちらした天使、電気の炎が灯されたロウソク、ツリーをらせん状にまわる色とりどりの電球・・・・・すべてここではないどこか別の世界からやってきたもののようだった。

『光の犬』より
この教会もございます。
まちがいなくこちらがモデルでしょう。


www.ok21.or.jp

焼失により昭和6年に再建された大通南2丁目にある現在の教会堂。
北の王鉱山や家庭学校など遠軽にもゆかりのある建築家 田上義也の設計した札幌北1条教会を模して設計された。

遠軽歴史物語より)太字はkyokoによる)



市街地に今も、美しくたたずむ教会です。
ここのお掃除のお仕事しませんか??
と知り合いから声をかけられたことがあります。
忘れていた記憶・・たった今蘇ってきました。

引用部分に
家庭学校など遠軽にもゆかりのある建築家 田上義也

とあります。この家庭学校は本のなかでは「農場学校」という名称で登場します。

kateigakko.org

私はまだ訪れたことがございません。

素晴らしい理念のもと創設されたこの学校の今についても、よくは知りません。
ですから家庭学校について何か書こうにも、これから先は貼り付けばかりになるのです。

続きにベタベタ貼って、この記事を強引に仕上げてしまうこともできるのですが、あえてここで区切りをつけることにいたします。
続きは第3弾で・・。

「とある町」はとなり町

これ!!読む!!!

 まずは、よんばばさんのブログ記事を貼り付けましょう!!
hikikomoriobaba.hatenadiary.com
『光る犬』・・・松家仁之著の感想と紹介です。

これほど引き付けられ、心を揺さぶられるのはなぜなのだろう。取り立てて感情移入する人物がいるわけではない。
しかし、どの人物も自分である、とも思う。そうして読み終えると自分の生き方について、考えないではいられない。

この感想に触れ、
「これ!!!読む!!!」
と即決した私。

さっそく図書館へと向かいました。
「在庫でありますよ~。」
と言いながら書庫へと向かった司書のTさんは、2冊の本を手に戻ってきました。
同じ松家氏の作品である『沈むフランシス』も加えて、私に手渡して下さいました。

そして驚くことをおっしゃった!!
「これ・・・遠軽が舞台だとしか思えないですよ!」
「えええ???!!!!!」
そうなのですか??
では、謎解きする気持ちで読んでみましょう。

「えだる」は「えんがる」

 もう・・・謎解きするまでもない・・「枝留」は「遠軽」なのでした。
これは、「道東のとある町」を越え、遠軽っぽい町」であることも越え、遠軽でした。
私の住む町の隣町です。
ただし、お話の舞台となっている時代は町村合併以前ですので、その時は、「隣のそのまた隣の町」ですがね・・。

 はてなブロガーさんの記事で知り、心惹かれ手に取った作品の舞台が極身近な町であった驚きを、記事にしたくなりました。

その前に、よんばばさんにちょいと問い合わせました。
著者である松家氏があくまで「とある町」とし、あえて「枝留」と名を変えた舞台。
よんばばさんも「とある町」として受け止め、読み終え心に残したこのお話の舞台。

私が知っている場所だったからって、よんばばさんの記事を貼り付けまでして関連付け、自分の記事を書き進めてしまって良いものか???
とある町の実像を書き立てることで、損なわれてしまうことがありはしないか??と思ったのです。

うふふ、快諾いただきましたの・・。
ですから書くことにいたしました。

これは、感想文ではなく枝留紀行文よ!!

自分の趣味と満足のためだけの記事です。

私の記事は毎度そんな風ですが・・・
連載になる可能性も・・。

智脚岩

 添島始添島家3代に渡る物語において、プロローグとエピローグを飾る男性。
その中学生時代・・彼女とのデートで智脚岩(ちきゃく岩)に登る場面。

頂上に着くと枝留の町をしばらく見渡して、とりとめのない話をした。
玩具のように小さいディーゼル車が駅に入って止まり、また出ていくのを見た。
湧別川の光る水面は流れているようには見えなかった。
音も聞こえなかった。


この智脚岩は瞰望岩(がんぼういわ)です。
以下過去記事より抜粋

インカルシの象徴となった瞰望岩は、駅の裏手に堂々と姿を見せております。
いつも目にする景色なので、当たり前のように受け止めておりますが、なんとも不思議な場所にある奇石といえましょう。

(画像は地質情報ポータルサイト内の日本の奇石百景十より)


よんばばさん!!
天文台も見えますでしょ!!

こちらも過去記事から。

ワタシはすっかり「ここの人」になりました。


 ですから、町の図書館に所蔵してある『王道の狗』にこれらのページを認めるや、私は先に述べたような反応をし、さっそく借りて読み始めたのでした。

『王道の狗』の作者は安彦良和
安彦 良和(やすひこ よしかず、1947年12月9日 - )は、日本の漫画家、アニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ監督、イラストレーター、小説家。 北海道紋別郡遠軽町出身。埼玉県所沢市在住。

結婚してすぐのころ、訪ねてきた弟を連れてここを訪れ、岩の突先に張り付いて撮った写真がありました。
それも紹介しようと思い探したのですが残念・・見つかりませんでした。



そうだわ!ならば・・以前写真に収めておいた遠軽駅の新聞記事を貼り付けましょう


えいや!!!!冬の遠軽駅です。

こちらはどなたかの水性ペンによるもの。

遠軽駅に寄せる私の思いを綴った過去記事の文章を添えて・・。

 
 この遠軽駅の絵は、ある方が水性ボールペンで描いたものです。
北海道新聞に掲載されたものをコピーし、これも子どもたちのアルバムに使いました。
今は高速バスという交通手段もありますが、JR遠軽駅は長らくここと札幌をつなぐ玄関口でした。
故郷を離れるとき・・・我が子たちはこの階段を上がって旅立っていったのです。
駅までの送迎をする私は、この階段を昇って姿を消す子どもの後ろ姿を様々な思いで見送ったものです。

子どもたちがここに戻るとき・・私はここの階段を昇って改札口に立ち、我が子の姿が現れるのを待つのです。

大きな岩・・そしてその下にたたずむ駅。
私にとっても、しみじみとした思いとともに有る存在なのです。




遠軽紀行・・続けるか?どうするか??
ちょいと考え中です!!