今年のふりかえり…その2

 年末がぐんぐんと近づいて参ります。
堅苦しいネタが続いておりますがご容赦を!
『ジャッジフリー』について、最後にきちんと書いておきたかったのです。
本題に入る前に、You Tube動画を貼らせて下さい。
長男Hの編曲作品です。
ファーストペンギン』というドラマで使われた楽曲の編曲です。
歌詞もなく、画像も静止したままのものですので、音声のみ流し、記事をスクロールしていただければとのお願いです。
www.youtube.com


 話題を戻しましょう。

ジャッジフリーについて、最初に記事にしたのは一年前の夏のこと。
友人が紹介してくれた本
ティール時代の子育ての秘密』
に関する記事を書き連ねていた流れの中でこの言葉に出会ったのです。

本書の中でこの言葉がそのまま使用されているわけではありません。
この本の中ではティール時代の生き方の姿勢の一つとして

むやみに「いい・悪い」の判断をしない。
起きた出来事や結果、自分や他人の行為、 自分や他人そのものなどに対して、ありのままを受け取り、判断を保留する。

と書かれていました。

私はその言葉を、良きものとして受け取りました。
ジャッジされたくないという、つまり、「される側」に立っていた私は、
「これなら自分は断罪されない・・・」と、救われた気持ちになれたのです。
そして、「ジャッジフリー」という言葉を、自分にとって心地良い言葉として懐に忍ばせておりました。

先日の記事でも、この言葉を使い記事を書きました。
kyokoippoppo.hatenablog.com
『大変身チャンネル』を運営するお二人の姿勢が、生き辛い思いを抱え引きこもっていたり、自信のないままに前を向けない人に対して、そのこと自体にも価値があると言葉をかけ、そこから動き出せるようにと向き合う様子が印象に残ったため、記事にしました。

ただし、それを「ジャッジフリー」とか「ノージャッジ」という言葉だけで語ってしまうと
選択しないことが良いことです!!
のように伝わりがちです。


この記事に寄せられたA0153さんのコメントを読み、ハッとさせられました。
公開されているコメントですので、了承を得ずここにコピーいたします。

A0153
澁谷さんとクリスさんは、基本、やさしい人だと思いました。演じている面もあるかとも思いますが、人は皆演じているのじゃないかなあ。
ジャッジしないですか、それはとても難しいことと思います。ジャッジしないで生きていけるのかなあ。

(太字はkyokoによる)

そうだよな!
「ジャッジフリー」
「ノージャッジ」という言葉を、ムードだけて散りばめてはいかんなあ!
と思ったのです。
以下私の返信です。

A0153さん!
コメントありがとうございます。
そうですね!
ジャッジしないなんてことは、きっとできないし、ジャッジする必要は要所要所で生じます。
ジャッジフリーという言葉そのものを、きちんと捉える必要がありそうです。
この動画では澁谷さんが、この人にはこの髪型!この服装とジャッジしてその上で変身させていきますものね。
選挙の一票は国民による大事なジャッジですものね!
ジャッジの際、何を拠り所とするのか?それは自分の中身を通して判断されたのか?そういうことが大切で、世間の流行や、決めつけ、思い込みからフリーになることがをジャッジフリーと捉える…
このように考えを整理しました。
貴重なコメントに感謝!

そしてこれは、先日書いたこの記事と重なることですね。
kyokoippoppo.hatenablog.com


そんなことを、つらつら考えていたときに、出会ったのが、orionさんのこちらの記事です。


このタイミングで、この記事に出会うなんてね!
あはは!!
痛快なご指摘!!!

orion12.hatenablog.com

人様の記事を最後に表示する失礼お許し下さい。
最後にゆっくり堪能して下さいませ!!!

以前に「ノージャッジ=判断しない」というようなことがスピリチュアル界隈で流行っていたことがありました。
「あることをあるがままに受け止める!」みたいなココロの在り方を目指すって感じなんでしょうかねぇ、深くは知りませんが…

まあ、物事を判断しないってことは、当然選択もしないってことになります。
選択しなければ新たな出会いも生まれません。
自らの運命を紡げないのです。


例えば明日の昼食ひとつにしても「そば屋に行くかコンビニで弁当買ってくるか」みたいなことを人は選択しなければならないわけです。
そんな簡単なことでも選択は必要です。

そして、選択するためには必ずその物事を判断しなければいけません。
ということはジャッジしない人生なんて何処にもないということです。

私の胸にストレートに投げられた直球として受け止めました。
 
自分の考えを整理しておきましょう。
現段階のものとしてね。

●ジャッジの際、何を拠り所とするのか?それは自分の中身を通して判断されたのか?そういうことが大切で、世間の流行や、決めつけ、思い込みからフリーになることをジャッジフリーと捉える…
(世間的な基準が無意味なわけではありません!!)

●答えが容易に見つけられない事態に際しては、「ネガティブ・ケイパビリティ」の精神で、「答え」を急がず、持ちこたえてゆく精神を養っていく。


 この度も理屈っぽい読みづらい記事になったかと思います。
読んで下さってありがとうございます。

はてなブログ」での交流が私の楽しい学びになっていることをお伝えたかったのです。

(チョイ早ですが)年末のふりかえり・・・1

答えはどこに??

 北海道日本海側は、すでにかなりの降雪があり、すっかり根雪になっているようですが、オホーツク海沿いの我が町では、昨日ようやく10センチ程の積雪となりました。
シーズン初めの汚れの無い雪が屋根や木々の梢にふんわりと乗って美しいこと。
雪の始まりの季節です。

 この一年も様々な記事を書き連ねてきました。
9ヶ月前、ゆるんだ後に固まった春先の雪と格闘していたあたりから始まった私のスピリチュアルに関する記事は、夏終盤まで続きました。
kyokoippoppo.hatenablog.com


 執拗にスピリチュアル関連の情報を追いかけた時期があったということ。

こうすれば大丈夫!
安心はここにある!
というような答えを性急に欲した時期だったといえましょう。
そういう心理状態になった訳については、記事に残しませんでしたが、今年はどうあれ印象に残る1年だったのです。

 今でもスピリチュアルに関するメッセージは、私を慰めもしますし、未知のものを大いに含むという点で、興味の尽きないものでもあります。

しかし、そこから一直線に何らかの答えを得ようとしたり、救いの手立てにしようとすることは慎しまなければならないと感じています。
いいだけ、スピリチュアル関連の本を読み漁ったあと、結局私の慰めとなり、心を落ち着かせてくれたのは、様々な人の生き様が綴られた物語であり、ノンフィクションの書物たちでした。
kyokoippoppo.hatenablog.com

orionさんの記事

 折々に訪問しては読ませてもらうorionさんのブログ記事は、足を止めて、一息つく助けとなりました。
orionさんは、霊的なものを感知なさる方。(文章から察するに・・・)
波動についての言及もありますし、癒やしや浄化についても発信なさっています。
まるっとスピリチュアルの内容ではないか?と思わせるのですが、orionさんは、スピリチュアルに傾倒しすぎたり、グル的な存在に依存する危険性を繰り返し説いておられます。


所詮この世は不確実性に満ちており、その中で何とかバランスを取りながら生きていくのが人生であるというのです。
そしてそれこそが、人に与えられた自由であると。
orion12.hatenablog.com

不安定は不安を生み、不確実は恐怖を生みます。
往々にして人はその不安と恐怖から『永遠のおさらば』をしたいと願うものです。

だから、少なからぬ人々が神さまとかの『絶対に確実で安定したモノ』を求めたがるのです。
藁をもすがるような想いでね…

人のそういう心境は当然起こりうるものとした上で、そんな心の隙間に近づいてくるものは「良きもの」とは限らないとorionさんは警鐘を鳴らすのです。
文章は次のように続きます。

簡単に言えば、不安定な状態の自由人より安定した立場の『心の奴隷』になろうとするのです。

ネガティブ・ケイパビリティ

 ああ、そうだったな!
私のブログの出発点は
ネガティブ・ケイパビリティ
だったはずなのです。
そう!
答えの出ない事態をやり過ごし、持ちこたえてゆくその姿勢であったはずなのです。
そのことを、忘れていたな。


kyokoippoppo.hatenablog.com
kyokoippoppo.hatenablog.com
kyokoippoppo.hatenablog.com
(過去記事を連ねて貼り付けました。自分の時々の思いを私自身が確認したいがための貼り付けです。ご容赦下さいませ。)
こうやって、再び三度とこのことに立ち返る。
私の手元にきてくれた本たち、ありがとう!!
orionさん、ありがとう!!
はてなブログ、ありがとう!!
ブログを通して交流して下さった皆さん、ありがとう!!
頑張って仕事に向かった私の身体、ありがとう!!
私を見守って下さる霊的な存在の方々、ありがとう!!

実は続けて「ジャッジ・フリー」についても書くつもりでした。
でも記事が長くなりそう!!
次回の話題といたします。

そんなわけで、もう一つ紹介したかったorionさんの記事も次回送りです。

何を目指したいのか??『年収90万円でハッピーライフ』

『年収90万円でハッピーライフ』

 どなたかのブログで紹介されていたこの本を読みました。
タイトルだけで一気に興味をそそられますよね。

軽いエッセイ風の文章ながら、その内容は私にとって、立ち止まって考える価値のあるものでした。

年間90万円で暮らすためには相応の節約が必要ですが、この本は、節約術だけを披露した本ではありません。

自分にとって価値のあるものは何か?を自分で定めていくことの大切さや心地良さが語られています。

上って何だ?! 

 話は変わりますが、先日勤務校の図書室で見つけた本『あずかりやさん』を紹介しました。
kyokoippoppo.hatenablog.com

主人公の青年桐島透は、大変優秀で、盲目ながら東京大学を受験するつもりでおりました。
学校の同級生からは「ソーリ」というあだ名で呼ばれてもいたのです。
生徒たちからの信頼厚く、彼も尊敬する先生に、
「君はもっと上を目指せるよ!」
と励まされて決めた進路だったのです。
好きな先生の言葉ではありましたが、彼の心には
「上って何だ?」
という疑問が湧くのでした。

 彼の心に湧いたこの言葉は、私の心にくっきりと残りました。
なるほど、あずかりや店主の人や物に対する真摯な態度、慈しみの姿勢はこの思いが起点となっているのだな。
青年は「上」を目指すことから降りて、あずかりや店主となったのです。
だからといって青年の目指すところが無くなったわけではありません。
別のものを目指すことにしたということね。
彼にとっての価値はそちらにあったということね!


『年収90万円〜』にも、これと同じ問いかけが一貫して発せられていると感じます。

そう!
「上」って何なのか?
ということです。

「上」を目指すことそのものを否定しているわけではないのです。
目指す先を何によって決めているのか?
と大原氏は問いかけているのです。
大原氏は人生の目標を
「嫌なことで死なない」
という地点に定めました。

わたしのこれまでの人生は、やったことより、やらなかったことばかりで出来ています。

やりたくないことを、削いでいき、仕事量も極力減らしていった結果年収90万円程で暮らせたよ。
ということなのです。

だってこの人本出してるじゃん?
印税入ってくるじゃない!
社会的成功に乗り遅れまくったといっても、本を世に出しているのだから、そこそこの成功してるといえるじゃない!?

本書を図書館にリクエストした時点で、私はそんなひがんだ気持ちを抱いておりました。


しかし、そんなひがみ根性は、本書を読むうち消えました。

タイトルは『90万円~』ですが、その数字が大事なのではない。

本を世に出したから成功!価値がある!!
と思う必要も無いのです。

大原氏の生活を、過度に讃える必要も無い代わりに、蔑む必要も無い!

簡単ではない!

 私は自分に必要なことを、知ろうとすれば良いだけ。
私にとって価値のあることが何なのか、自分で決められるようになれば良い!

簡単そうでとても難しい!
自分の命を閉じるまで追い続けるテーマになるかもしれません。

生き方に限らずですけれど、何がベストかっていうのはただの幻という気がする。

(『年収90万円でハッピーライフ』より。以下の引用文も同様)
あると思えばあるし、無いと思えば無いような、そんなもの。
人に決めてもらうものでは無いのです。
おお!
そうか!
と思いつつも、私にとってこれはとても難しい。
自分というものを、相手という鏡に映して眺めるクセが染み付いているのです。

自分のことを自分で知ろうとする。
自分のことを自分で判断できるように努める。

なるほど・・。

「上」とか「下」とか・・
「できる」とか「できない」とか・・・
私はまだまだこういうものに縛られて生きています。

それが私なら、まずはそうと認めて、
この先も生きてゆきましょう。
本や人との出会いを糧にしながら・・。

個性は外に求めるものでなく…
毎日コツコツ「自分」をやっていくこと。それをすっ飛ばして個性が形成されることはない。
そして人は年をとれば、イヤでもその人になっていく。
個性を大切にするためにできることはその人がその人であることを邪魔しないこと。

『年収90万円でハッピーライフ』はとても新鮮で素敵な一冊でした。


次回は、今年の自分をふり返ってみる予定です。

お金持ちになるための指南・・・『老人ホテル』

 原田ひ香さんを知ってからというもの、彼女の作品を図書館の書棚で見つけるや、借りて読むようになった私です。
どれも面白かった!
うん、面白かったのですがね、実はそればかりとは言い切れない気持ちも味わいました。

話題作の一つ、『三千円の使い方』は、タイトルからも伺えるように、お金がテーマとなっております。
『財布は踊る』もそうでした。
先日読んだ『老人ホテル』も…。

『老人ホテル』

 彼女の作品は、「お金」をテーマにしたものが多いと感じます。
登場人物たちのお金との付き合い方…生き方そのものと言い替えることができる物語が展開するのです。

『老人ホテル』は、親からまともな愛情や教育を受けることなく育った若い女性「天使」をめぐる物語です。
天使は、何と!エンジェルと読ませます。
この名付けからして親の有り様が伺えるというもの。


 その天使が、資産家の老人から、お金持ちになるノウハウを学ぶお話です。
貯金もなければ、年金も支払わない、そもそも年金の何たるかも知らない天使。
彼女は、裕福なご老人数名が住まいとして利用しているホテルの清掃員として働いています。
居住者である一人の老人、綾小路光子に近づき、教えを請うのです。
天使と光子の関係や、教えを請うまでの曲折など、作品の内容には触れません。
とにかく光子は、天使に、健全に生きる方法を一から仕込んでゆくことになります。
どのようにして自分の持つ財力を揺るぎないものにしていくのかを!

その老人の指南は、天使を通り越して私にまで向けられているように感じます。
そうなると、私はただフムフムと傍観的にその教えを受け取ることができなくなります。
苦しくなる。

それが、冒頭で書いた楽しいばかりではない心境なのです。

 私の知らないこと、知ろうとしないことがあることに怯えてしまうのです。
投資のこととか、株のことやら。
自分のお金の管理があまりにずさんであったことにも気付かされるのです。
お金の管理だけではない。
我が子への教育態度や、
人生への向き合い方が、
ああ!あまりにも甘かったのではないか!
もはや手遅れなのではないか?

若い天使は今スタートしても遅くない。
でも私は…
等と気後れするような気持ちになったのです。

ただし!
です。

ひ香氏の作品は、お金を蓄える方法を披露するハウツー本ではありません。
もちろん!お金に関してぼんやり無自覚に暮らす読者を断罪する本でもありません。

人の幸せに直結すると言っても過言ではないお金は、必ずしもその額に応じて幸せも連動減増するものではないのです。

お金は知らず知らずのうちに負のもの、良からぬものも引き寄せます。
引き寄せるばかりか、人の内面に悪しきものが生まれ増殖する可能性も秘めています。

『老人ホテル』の結末部分は、それを伝えているのではないかしら?
と思いました。
著者の意図と違うかもしれませんが、私はそのように感じました。

『年収90万円でハッピーライフ』

 本の内容にはこれ以上触れず、次なる一冊をちょろりと紹介します。
これは、はてなでブログを書くある方の記事で知った作品です。
通りすがりの訪問でして、その記事を紹介することはできませんが、作品名だけはメモを残しました。
図書館にリクエストしたところ隣の地区の図書館が持っていました。
タイトルは
『年収90万でハッピーライフ』
こちらはフィクションではなく、大原扁理という方の実践書。
このタイトルを読み、『老人ホテル』を読みながら感じた気おくれを払拭できるかな?と思ったことは確か。
で、払拭できたのか?
どうでしょうねえ?
でもね、払拭するとか、そういうことを越えた大切なものをこの小さな本から得る事ができそうです。
「得ることができた」ではなくて、
「得ることができそう」
と書いたのは、まさしく言葉通りだからで、これを自分のものにするのは大変難しいと感じたからです。


 小さな一冊『年収90万円でハッピーライフ』については次回の話題にしようと思います。

本の紹介・・・おもしろかった!!!

タイトルの通り!最近読んでおもしろかった本を紹介します。

ふっと、良い風が入ってきました。わたしはふわりと揺れ、相沢さんの髪も揺れました。店主は風を見るように、一瞬、外に顔を向けました。もちろん風は見えません。相沢さんにだって見えません。風は平等ですね。

この文章は大山淳子著『あずかりやさん』の中で見つけ、印象に残ったものです。

シリーズでたくさん出ている本のうちの一冊を貼り付けました。

今回の読書記録は、あまり多くを書く気はないのです。

この文章の中に出てくる「わたし」はいったい何者?
相沢さんとは?
風に髪を揺らす相沢さん…皆さんはどのような人物を想像するのかしら?
そして店主の人となりは?
ふふふ、教えてやーらない!

 この本は勤務する小学校の、第二図書室にありました。
児童書のジャンルなのでしょうか?
なるほど文章は平易で読みやすい。
でも、そこで繰り広げられる人間模様は実に奥深く、慈愛に溢れております。
シリーズがたくさん出ていますが、飽きることなく楽しめます。
とある商店街のお店「あずかりやさん」を中心軸にして繰り広げられるお話です。
収められている全てが・・というわけではありませんが、狭いエリアの中で多彩に繰り広げられる物語といえましょう。




 狭いエリアの中で繰り広げられるという共通点を持つもう一つのお話。
そうそう、主語が(語り手が)一定でないところも『あずかりやさん』との共通項だな。
津村記久子
『つまらない住宅地のすべての家』

これも面白かったなあ!
とある住宅地の一角に住む住人たちの話です。
物語が始まる前のページに、家の並びと住人の家族構成が図解で示されています。
が、そこは◯◯家という表示のみ。
読み始めるや、ワラワラと登場する人物の名前に面食らい、
「え?どこに住むどなただっけ?」
と混乱した私は、自分のためのメモを作り対応しました。


路地に整然と並ぶ家の中に住まう人々。
その人たちの心。
心配あり、
後ろ暗い過去があり、
小さなキズもあり、
今や犯罪に着手せんとする企みもあり。
でも、それは住まいの外には漏れてはきません。
よってその住宅地の佇まいは、それぞれの人たちにとってただただ何の変哲もない、面白みのないものだったのです。
そこに、波紋が生じます。
長年に渡る職場での横領がバレて、有罪となった「女」が刑務所から逃げたし、この住宅地のあたりに近づいてくるのです。
さあ、どうなる?
これもね、読んでお楽しみ下さい!

チャンチャン♪

私の記事はここまでにしておきましょう。


あっ最後に冬の漬物。
夫がすごい勢いで平らげておりますよ!

今日から12月。
雪が積もりました。

といっても、数センチ。
今季初めての雪。
汚れのないまっさらな雪、きれいです。
日本海側はどっさりと積もったようです。
「きれい」と眺めるいとまもなく除雪に追われていることでしょう。

土曜日色々

 
 先日話題にした大量のホッケ。何とか干し上がりました。
少々塩があまかったな。
それでも醬油をかけて食べれば程よく、美味しく、職場同僚、ご近所さん、友人、義母にも分けて残りは冷凍庫に仕舞いました。
 

起床 

 さて、本日土曜日。
祝日後2日の勤務で訪れた週末です。
4時頃目覚めました。

起きても良し、そのまま布団の温みの中に漂うも良し!
この自由がたまらない。
とはいえ、トイレが私を呼んでいる。
もそもそと起きてトイレに行き、ついでにストーブを点火しました。
そして再びお布団の中へと身を滑らせました。
懐に寄ってきた愛犬ブータロウの優しい体温を感じながら休日の朝の時間を味わうことしばし。

 そのうち、昨晩荒漬けをしたキャベツの事を思い出しました。
冬中蓄える程の漬物は作りませんが、この時期になると麹を入れた「冬の漬物」を作るのです。
記事にはしませんでしたが、先日も作りました。
上出来であっという間に食べ終えてしまったのです。
もう一回漬けようかどうしようか?とグズグズしているうちに、漬物用のキャベツは店舗から姿を消してしまいました。
そんな折、友人からの
「漬物用キャベツいらんか?」
の声。何と素晴らしいタイミング!
「欲しい!」
と即答し、昨日円盤状の大きなキャベツをもらってきたのです。
帰宅後すぐにざくざく切って塩をして(アバウト感覚)一晩置くことに。
それを思い出しました。
どんな様子でしょうか?
気になります。
続きの材料も投入せねばなりません。

 やりっぱなしのものがもう一つ。
一部屋に散らかしたままになっているCDたちです。
先日の祝日に整理しようとしたものの途中で放置したのです。
ケースはあるものの中身が見つからないもの、逆に中身はあるもののケースが見当たらないものがたくさんあるのです。
折々に組み合わせを見つけては片付けたのですが、それでも迷子のままのものが残っています。
長男の残したクラッシック。
次男の残したロックやら、メタル系の洋楽。
これも今日のうちに片付けたい。

そして更には、読書の記録を記事に残そうという思いも湧きまして。
こうしちゃおれない!
と起きあがりました。

南の島々

 まずは漬物。
麹、ザラメ、鱈の干物、人参を投入。
生姜を切らしてしまったのでこれは後から入れましょう。
そして朝食。
トーストをかじり終えるや、スマホで日本の島々について検索を始めました。
今回紹介する本は
村田喜代著の『飛族』

過日読み終え、記事に残そうか迷いながらも図書館に返してしまった『飛族』ですが、やはり読書の記録として残すことにします。

南の島が物語の舞台となる物語。

日本の形…私たちにとってはすっかり馴染んでいる列島の姿ですが、よその国からしたらとても特殊なものなのだろうなと思います。
私が住む北海道は、
「でっかいどう!北海道!」
などと呼ばれますが、世界地図の中にあっては、小さな小さな島の一つに過ぎません。
一番大きな島である本州も、痩せっぽちの頼りない姿に見えますよ。
そして、周りに抱えるたくさんの島々。
改めて調べてみましたら、有人無人合わせて6000以上もの島で成り立つ国なのです。
(平成27年の国勢調査によると有人島416・無人島6432島)
 
 小説の舞台となっている「養生島」は南の島ではありますが、沖縄本島よりは北に位置しています。
私は紙と鉛筆まで用意して、まずは
「日本最南端の島」
と打ち込みました。
物語には関係ないのですがね。
有人の島の最南端は、沖縄県波照間島
無人の島なら?

東京都の沖ノ鳥島です。
ご存知でしたか?
東京都心から約1700キロ南。
船で片道4日もかかる熱帯の地域にこの島があります。

南の島といって頭に浮かぶのが「シカリ」さんの存在です。

江戸っ子でぃ
長崎県五島市に住む老人が、政治に関する愚痴などを書いています。

gotoshikari.hatenablog.com
五島列島から、日本の政治について的を射た意見を発信して下さるブロガーさん。
五島列島長崎県の島ですね。
でもなんで「江戸っ子」なんだ????
荒いメモのままここに貼り付けます。

そしていよいよ、『飛族』の「養生島」
この島は何処?





こちらは、架空の島であることが分かりました。
ただし、

なんと!!シカリさん!!
五島列島をモデルとしているのだそうです!!
gotofan.net

 
海女という仕事。
人がいなくなった島での老女たちの暮らし。
荒れて多くの漁師の命を飲み込んできた海。
暮らしの中で形作られた祈りの言葉。
キリスト教の影響を匂わしたのは長崎県の島だからかしら?
老人が口にする「はらいそ」。
※パライゾ(〈ポルトガル〉paraiso)
 キリシタン用語で、天国。楽園。パラダイス。ハライソ。
 デジタル大辞泉より

海に飲み込まれるのではない、ここの人々は死ぬ間際に鳥になって羽ばたくのだという言い伝え・・・・これが本書のタイトルになっています。

どこまでも透明な海。

 沖根島の入り江に入ると、船は速度をだんだん落としていく。潮の流れ込みが少なくて海は薄いブルーに透き通っている。波が立たないので、いちめん水がかき消えたように見えて、船は音もなく空中に浮かんでいるようだ。

ああ、なんと美しい。
(印象に残っていたこの文章を残したく夕方再び本書を借りてきました。)

国境

 神奈川からここ北海道に嫁いできた私です。
今はまだ雪こそ積もっておりませんが、朝はマイナス度になる日もあり、冬の様相を現すこの地において触れた南の島の風景。
それがとても新鮮でした。
「この南国も日本なのだ!」
という感慨を味わいました。

 しかし、
「ここは日本だ!」
と思うのは簡単ですが、国境近くの小さな島を日本のものにしておくためには、それなりの働きかけが必要なのです。
島が無人となった上に、そのまま置き去りにされれば、そこに他国の人がひょいと上陸するかもしれません。
住み着く可能性もあるのです。
平和的にその境界線を守ろうとするなら、定期的にパトロールをすること。
本書では役場の人や近隣の島民によって、そこに人が住みついているかのように細工をする場面がありました。
港として現役であるかのように見せかける旗や、子どもがいるかのようにみせかける手作りのブランコ。
人が島に通っては定期的に流される『君が代』。
島に居残る老女二人のために物資を運ぶ定期船の運航に年間二千万の経費が充てられる。それでもそこが無人でないということは大きな意味を持つ・・物語に登場する役場の青年はそう語るのです。


 陸に引かれた境界線を持たない日本という国。
海の境界線はなるぼど、目には見えないのだわ。
そこをどのように守るか!
ただし平和に!
この本は国防を語った物語ではありません。
しかし南の島を語るとき、それはすでに織り込まれているのだなあ。
そう思った私でした。
  *  *  *
 盛りだくさんの記事になりました。
おつきあいいただきありがとうございます。
シカリさん!勝手に言及してしまいました。お許しを!!
最後に・・・
迷子CDはほとんど収まるところを見つけられず。
重ねて積んで片付けたことにいたしました。

手をいっぱい動かして・・・

どどーーーん 

 週の始まり月曜日!
(公開は本日火曜日ですが下書き記述は昨日の晩にしておりました。)

それでも祝日が半ばにあると思えば、気持ちは楽ですね。

ざあざあ雨降り。
気温は高め。
車で行くか?
徒歩で行くか?
としばし迷ったものの徒歩で出勤しました。
車に乗り込んだところで、少々走って即駐車!
そこから職員玄関まで、結局歩かなければなりません。
それならてくてくと、一直線に歩いていった方が良いのです。

 帰りは友達宅の倉庫へ寄って、トドックの荷物を取りにゆかねばなりませんが、わずかな量しか注文をしていないので何とかなるでしょう。

勤務後、荷物と次週の注文書を布袋に放り込み、その後コンビニ2軒寄って戻ってきました。
なんだかんだで そこそこの荷物になってしまいました。
雨こそ落ちていませんでしたが、傘までぶら下げてようやく玄関にたどり着いたら…。

!!!!

あったのです!
大量の…

魚が!

春先、夫がアルバイトでお世話になった漁師さんからのお届け物です。

おお!

ありがたいと思わなくてはなりません。

が、しかし!
魚というものは、後で始末・・・なんてことにはなりません。

逃げることのできない作業が、仕事帰りの私を待っていたということ。
上着を脱ぎ、エプロンを付けるや、座る暇もなく魚を台所へ運び入れ、作業開始!!!!

大量の魚はホッケです。
煮付けにしていただくこともできるのですが、ホッケは干して食べるのが一般的ですし、好みです。

頭を落とし、腹出してして捌いてゆきます。
生臭〜い写真が現れますよ!
見たくない方は、ここでさよならしてくださいね!






流しは魚でいっぱい!
床に置いた容器の中にまだ入っているのですよ。
黄色いゴム手は夫のものです。
私が頭を落とし腹を出しては流しへ、それを夫が拾い上げ3枚におろしてゆきます。

まあね!
夫が私の帰宅を待たずにやってくれていても良いのですがね!
二人がかりの方が効率良いですから・・・。
ありがとさん!
という気持ちで、手を借りました。

数匹腹をだせばまな板はご覧の通り。



頭と腹の処理を終えたあとは、3枚おろしに私も参戦!



ようやく捌き終わりました。


ここで小休止。
超簡単晩御飯(サンマの塩焼きと枝豆💦)をまずは食べ終えてしまいましょう。



ご飯のあとは、塩水で何度も洗ってようやくきれいな身になりました。



明日の朝まで、置いておきます。
気温も低いので猫やカラスにいたずらされないようににして、窓の外に出しました。

一夜明け・・・

(ここから、火曜日出勤前の記述)
 パソコンに向かう今は火曜日朝。
気温はぐっと下がりました。
最低気温マイナス3度
最高気温も5~6度のようです。
雨もあがり風もあり、魚を干すにはよい日和といえましょう。
数日干したら出来上りです。

生臭いお魚ネタでしたが、最後にこちらをご覧下さい。

ツリーの壁掛け

 2つ目の壁掛け!できました。

kyokoippoppo.hatenablog.com
地がキラキラした黒の糸。
輪郭もキラキラビーズ!
幹もビーズ!
中身の飾りはどうしましょ!

こうしました。




あはは。
もう、こうしかなりようがなかったのです。
地の部分がひしゃげているのも気になりますが・・。



札幌の娘の部屋も飾ったようです。
これも壁掛け仕様。
子どもたちが幼い頃。
私が作ったもの。
カラフルボタンを縫い付けて、それに飾りを下げるのです。
可愛いでしょ!

お仕事に行ってまいります!!