これもポイント!5ポイント!!!

何しよう??

 5月のゴールデンウィークの頃から、ずっとそう!!!!!
雨なの!!
休みのたびに!!
「コロナの感染状況がひどい北海道!だから出歩くなよ!!」
とお天気の神様がしっかり調整しているかのようなお天気サイクルです。
寒くて毎日ストーブのお世話になる日々。
長い冬を脱したあとに、このようなお天気が続くとなんだかね・・やるせないのよ。

さて、そんなわけで、孫は退屈しきっております。

人の多いお店にわざわざ行くことは避けたいものの、この天気では広々屋外にも行けず。
お散歩もできず。

娘の住宅にばあさんが出動するも、ドローンとした気分のまま「何する????」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ふかざわにでも行くか??」
そう。
困ったときのふかざわ頼み!!
町の駄菓子屋さんです。
そこまで連れて行きました。
r.goope.jp

午後はどうする??

 ああ・・私の土曜日・・・
午前中は草取り(雨の降り出す前でした)、そして義母の用足しにつきあいました。
さらには娘のところ・・・そして「ふかざわ」。

私の自由時間はどうなる??
ナッシングなのか???
「ふかざわ」の後は放免されたい!!
そんな気持ちもありながら、なんだかねかわいそうでね・・
ばあちゃんちに誘いました。

誘ったからって何をする????

すると孫がいつかの工作を思い出したのでしょうね。


kyokoippoppo.hatenablog.com


「ケーキを作る。」
とつぶやきました。
そうだね!!
それもいいね!
ということで私の秘蔵アイテムを出してやりました。
こんな時のためにと取っておいたスポンジとビーズ、そしてフェルト。


貼り付けた過去ブログは一年以上前のもの。
孫の作品に進化が見られます。
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手前・・前作のものも混ざり込んでいます。
ロールケーキと三角ケーキが娘。
左・・大きくて平たいもの綿の縁飾りがついているのが私。
その他4つは孫が作りました。

5ポイント!!

 そしてですね・・わずかながらでも在庫整理になりましたので29日土曜日のお片づけポイントとなりました。
空いたスペースなど微々たるものです。
しかし、
kyokoippoppo.hatenablog.com
わがお片づけポイントルールに基づけば、これは5ポイントですぞ!!
利用可能なものとは言えないかもしれませんが、今後孫の遊び道具になる余地は残しております。
何といっても、これらの在庫が孫と娘にとっての「楽しい時間」に変換されたことはまちがいありません。
私はそれがうれしいのです。

5ポイント
●捨てた結果スペースが生まれる。
●整理した結果スペースが生まれる。
●放置されていたもので、利用可能なものを作り出す。(リメイク)
●紙類写真類をウェブの中に移し変え、現物の容量を減らす。

 本日日曜日。
曇天です。
悪天候のために長引いた「稚貝放流作業」も、本日で終わるのではないかしら??
毎朝午前2時に起きては、サロマ湖に出動していた夫のアルバイトも終了です。
お疲れさまでした!!
午後は山ほどのお土産稚貝の処理に明け暮れることでしょう。

P・S
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稚貝来ました。
洗浄されておりきれい!
ありがたや!
今晩は酒蒸しだ!!
あとは、ご近所に分けて、むき身にします。

お目覚め

 朝のハプニングを記録するためのミニ記事です。

 日差しが降りそそいだ本日5月26日の朝・・。
出勤前の少しの時間に庭に出て、草取りをしました。
頭を出したスギナを見つけては移植ごてをぐぐっと土に差し込んで、抜き取ります。
なるべく長い根っこごと・・とは思いますが、スギナの地下組織は縦横無尽!!
毎朝新しいスギナが頭を伸ばしてくるのです。
しかも我が家の庭は、球根と、宿根草と、こぼれたねで成り立つ安上がりガーデンです。
これから成長する植物の根を痛めないように、こぼれ種を攪拌してしまわないように作業をしますので、大きくざっくりと掘り返せないのです。

 

スカピオサの根っこ付近にも、除去したい草を見つけました。 f:id:kyokoippoppo:20190720090714j:plain:w230:left
まだ花の時期ではありませんが、咲けばこんな花です。

根の付近に移植ごてを差し入れ、土を掘りあげたところ不思議なものが目に入りました。











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おわかりか??





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おわかりですね!!


どこからやってきたものか???
近くに水場などないのに、冬眠している蛙くんがいたのです。

私の移植ごての差しあんばいによっては、あわや体が分断されるところでしたわ。

このようなことは初めてのことではありません。
前にも一度、冬眠中の蛙の背中を発見し、そっと土をかぶせてやったことがあります。

このたびは、蛙くんのお布団をそっくりひっペ返してしまいました。


おやおや起こしてしまったな。
「おいで。」
蛙はしがみつくようにして私の手のひらに乗りました。


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君はまだ眠っていたかったのかな??
そう思い、地面に戻し土をかけてやろうとしましたが、蛙君はすっかりお目覚め!!

ピョコンと草をかき分けて、動きだしました。




分かるかな~???
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こやつはこれからどこまでゆくのか??
道路の方には行くなよ。
私の庭を住処として、元気に暮らせよ!!!!!

おでかけ・・・・雨の日のスーパー探し

たいくつで・・

 表題を目にし、緊急事態宣言が出ているのに!!!????
と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
地味なおでかけ記事ですの。
ご容赦を!!

 身内に不幸がありまして、先週後半より、ばたつく数日となりました。
土曜日の通夜、翌日の葬儀でして、私たち夫婦は通夜参列後「美幌」という町から戻ってまいりました。
義母はそのまま宿泊。
葬儀後は、叔母さんご夫婦の車で「常呂」まで戻って来るので私がそこへ迎えに行くことになっておりました。
夫は稚貝放流のアルバイト中!
早朝2時3時に起きてはサロマ湖に出動の日々。
常呂から義母を連れ帰るのは私の役目となったのです。

常呂・・・難解な読み方の地名であるこちら・・。
読めますでしょうか???
カーリングチーム「ロコソラーレ」の活躍で、知る方は増えたと思いますが・・。
「ところ」
と読みます。

チーム名の「ロコ・ソラーレ」は
「ローカル」と「常呂っ子」から「ロコ」、
イタリア語で太陽を意味する「ソラーレ」に由来します。
地元常呂から太陽のように輝きを持ったチームになるよう、
「太陽の常呂っ子」という意味を込めて名付けられました。

(ロコソラーレのホームページより)


義母の故郷でもあります。
町村合併の折、北見市に組み入れられた町です。


 しとしと雨が降る肌寒い日曜日。

この私の任務に娘と孫がついて来ることになりました。
外にも行けず、どこにも行けず、退屈していたのです。
ほとんどがドライブタイムです。
「一緒に行きましょう。」


行ったところで、めぼしいところはありません。
晴天であればワッカ原生花園を散策もできますが、なんたって雨降りです。

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(写真は常呂町観光協会HPより)

常呂市街

 とりあえず常呂市街へ。
「スーパーで買い物するわ。」
と娘。
牧場農家のご飯作りを仕事としている娘は、いつでもいつでも”次のメニュー”に頭を巡らせています。
「とりあえずスーパー」という発想が染み付いている感じ。

「スーパーね。」
「あるのか???」
コンビニと「ニコット」なる中規模雑貨店はあるものの、スーパーはいずこに・・???

昔「スーパーまるちよ」っていうのがあったな?
私の記憶に残るその店はとっくにありません。
とりあえず商店がありそうな旧市街地へと車を進めました。

娘が携帯ナビで検索した店へと車を近づけるも、そこに現れるのは廃墟となった家屋や店舗跡ばかり・・。
古びて淋しい通り。
人の気配すらありません。



細い路地をあがると目の前にオホーツク海が広がりました。
暗い空を映した寒々とした海。
荒涼とした景色です。
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通りに戻り、しばらく進むとありました。

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スーパーが・・。


その名もえいじろう
大丈夫か???
瀕死の状態なのではないか??
この外壁を見るとそんな心配も湧き起こります。
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大きな倉庫は昔の名残りか?現役か??

それでも駐車場には車が数台止まり、出入りする動きも見てとれます。

中へ!!

 入ってびっくり!!


生花あり、青果あり、鮮魚あり、肉は少々色が悪かったけれど種類は豊富でした。
ラムチョップまであったわ!!

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魚売り場!!ガラスの浮き玉のディスプレイが風情をかもし出しておりますね!
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カスベなんてご存知かしら??エイのことですよ。エイのひらひらの部分です。






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天井には造花のつたが・・。
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この紅白の市松模様・・。
昭和の世界をしっかり保持したまま、この店は生きていたのでした。

ただのスーパーに入ったでけですのに、何だか興奮いたしました。




帰路での見つけもの!!!!


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そんな町の片隅に、民家に挟まれるようにしてあった喫茶店『しゃべりたい』
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こちらおしゃれ!!
入り口の写真だけを撮って、そして離れました。



その後、義母を迎えに行き、湧別に戻ってまいりました。

樹上の亡骸

 刺激的なタイトルを付けてしまいましたが、まずは、我が庭の花々をご覧いただきましょう。

2年前に庭の花を紹介する記事を多く書きましたので、記事にしなくても良いかな?と思ったのですが、春がきて庭が彩られるとついつい写真に収めたくなるのです。
するとやはり、収めたものをお見せしたくなるのです。
おどろおどろしいタイトルは、吉村昭氏の『大黒屋光太夫の感想の一部となります。
花々の写真の後に書きますよ。

咲き始めた花たち

 春になっても晴れやかで気持ち良い天候が少ない当地ですが、次々と花が咲き目を楽しませてくれます。
それらは早くも盛りを終え、今は次なる花に代変わりするところです。

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花の写真を貼り付けて満足!!

実をいえばもうちょっと綺麗に撮りたいのですがね。
そろそろ表題の記事に取りかかりましょう。

それぞれの冒険譚

 冒険譚と名付けたものの、大黒屋光太夫の体験を「冒険」と呼んで良いものか?

江戸時代、航海中に破船し漂流。ロシアに渡り、大陸の西端に至り、再び東端の港から、日本へ帰国した大黒屋光太夫の行程のスケールの大きさは間違いないものですが、これは彼が積極的に選び、歩んだものではないからです。

ロシアは流れ着いた地であり、その後訪れた土地も連れて行かれた土地であり、そこで選ぶしかなかった道だっだのです。その結果が最終的にこの行程となりました。
彼は冒険を目指したわけではなく、ただひたすらに帰郷を望みその思いを捨てなかった志の結果が、これだったのです。

井上靖おろしや国酔夢譚に続き、
吉村昭氏の『大黒屋光太夫を読みました。
事実を元にした作品ですので、ストーリーの流れは同じものの、作風そのもの、更には作品に組み込まれた場面や、主人公光太夫や仲間たちのキャラクターにも違いがありました。

その違いを楽しく味わうことができました。

わたし、どちらかといえば井上氏の作品の方が好きかな。

樹上の亡骸

 
 今回話題にするのは吉村氏の『大黒屋光太夫』なのですが、主人公の光太夫ではなく、脇役も脇役の馬についてです。

ロシアという広大な土地、厳寒の土地の旅において、無くてはならなかった乗り物であり、動力であった馬のエピソードが、印象に残ったのです。

 光太夫たちは、オホーツクからヤクーツクへの旅の途中で、樹木の上にひっかかった馬の死骸を目にしました。

太夫にとっても、それは思い出すのも恐しい情景であった。樹木の高い梢の近くに、骨と体皮だけの馬の死骸がひっかかり、脚と体皮があたかも干された干瓢のように垂れさがっていた。

旅の途中で、動けなくなった馬はそのまま打ち捨てられます。

いたしかたないことではあります。

冬であれば積もった雪の上に倒れるわけです。
春になり、雪が解けて樹木が伸びてゆきますと
その死骸は、枝にひっかかったまま持ち上げられてゆきます。
樹木は育ち、死骸は干からび、数年後には樹木の上の無残な姿となるというのです。

仲間の一人新蔵は、ロシアでの生活が長くなる過程で悩むようになりました。

帰国の望みは薄く、かなったとしても先のことである。
病に侵されるや、みるみる命の灯火を弱らせ亡くなった仲間の姿を見てきた事実。
信仰を持たぬまま亡くなれば、まともな弔いさえしてもらえない。
厳冬期に亡くなれば、凍土を掘り返すこともできず、遺体は野ざらしとなる。
その姿が樹上の馬たちのものと重なって感じられ新蔵は悶々と悩むのでした。

身体を壊し、苦しい日々を送るうち、死んでも弔いを受けられないであろう今の自分の有り様に苦しんだのでした。
故郷へ帰る希望はほとんど無いに等しいことに比べ、いずれ身体を壊して死ぬであろう恐怖は目の前にあり、新蔵はロシアの信仰を受け入れます。

それは、日本へ帰る道を自ら断つことを意味します。

干瓢のようになって晒される馬の亡骸と、新蔵の信仰を結びつけたストーリーとなっておりました。
”樹上の亡骸”のイメージは、私の心にも刻みこまれました。

新蔵のその決意の後程なくして、帰国実現の道が開ける・・・吉村昭氏の著作では、このような展開が続きます。
もうひとつ。

氷化する馬

 これも強く残る描写でした。
厳冬期、馬にそりを付けて道を行く。
馬を交代するための駅が要所要所にあり、乗り継ぎ乗り継ぎしながらロシアの、広大な土地を進みます。

 積雪は一層増していて、橇一台に馬二十六頭つけて、翌朝、出立した。二列になった馬は、雪道を力強く橇を曳き、御者は絶えず掛け声をかけ鞭をふるう。馬の体からは汗が噴き出して湯気が立ちのぼり、駅について走るのをやめると、汗がたちまち凍り、体毛は氷で白くおおわれていた。

 宿屋について汗に濡れた体毛が氷化する馬は、すぐに暖かい建物の中に引き入れられたが、それが間に合わず倒れる馬もいた。鼻の先まで白くなってかたく硬直し、宿屋の者がその足に綱をかけて道からはずれた場所に曳いてゆき、放棄した。

おお哀れな馬たちよ!



このエピソードを、ご紹介したかったのです。

こちら、井上靖の『おろしや国酔夢譚』と、吉村昭氏の『大黒屋光太夫』を読んだ方のブログです。

blog.livedoor.jp

目にとまり・・・そこから・・・

目に止まった新聞記事

 北海道新聞日曜版に、「日曜navi」という
紙面があります。
道内各地の景色と、それに因む歴史が紹介されています。
ある日の記事がこちらです。
根室漁港の景色。
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添えられた文章のここまでを読んでストップ!
このページを引き抜き保存いたしました。

次に行ったことは??・・・・予想がつきますよね。
そう図書館です。
おろしや国酔夢譚を借りてきました。

新装版 おろしや国酔夢譚 (文春文庫)

新装版 おろしや国酔夢譚 (文春文庫)

  • 作者:井上 靖
  • 発売日: 2014/10/10
  • メディア: 文庫

新聞記事の続きを読むことを封印して、井上靖氏によるこの作品に没入いたしました。

 10代のころ、井上氏の『しろばんば』を好んで読みましたが、他の作品は読んでおりませんでした。
『おろしや・・ナンチャラ』(何と読むのやら?という状態)
作品タイトルは度々目にしたものの、「好みでないだろう」、「読みづらそうだわ」と勝手に思い込み、遠ざけていました。

 しかし、その日の新聞記事が、そんな私の背中を押したのです。
それというのも、北方の島や国への興味が、私の中で未だに残っているからでしょう。
kyokoippoppo.hatenablog.com


毎晩毎晩その日の仕事や、すべきことを終えて布団に足を突っ込む瞬間の幸せよ!
その時開く本が楽しいものなら幸せは倍増するのです。
おろしや国酔夢譚』は、1782年伊勢白子の浦を出航した船乗りたちの運命を描いたものです。
彼らの船神昌丸は、暴風により舵を失い漂流、はるか北の島アムチトカ島へ流れ着きます。
未知の異国ロシアで過ごすこと10年。そこでの暮らしを経て帰国するまでの物語です。


想像をはるかに越える寒さ、
言葉も通じない異国・・・・そこで生きていく知恵を身につけ、言葉を覚え、帰国を訴え続けた船頭大黒屋光太夫

仲間をひとりふたりと失い、希望と絶望の波を越えながら、光太夫はロシアの西端の都市ペテルブルグにまで行き、当時の女帝エカチェリーナに謁見し、帰国の手助けをお願いします。

 その望みはとうとう叶えられます。
が、その時既に12人の仲間は他界しておりました。(「幾八」は漂着前に死亡)
残る5人のうち、ひとりは凍傷で片足を失っており、不自由な身体となったことをきっかけに土地の信仰を受け入れておりました。
洗礼を受け、ロシア人となっていたのです。
その庄蔵の他にもう一人、新蔵も洗礼を受けてロシアの民となっていました。
新蔵も病がきっかけではありましたが、二人に限らず漂流民たちは、長きに渡り彼の地で暮らすうち、その暮らしが身体に染み込み、馴染みつつあったのです。
そんな頃にようやく帰国実現の扉が開きました。
庄蔵と新蔵は、もはやロシア人であるとして叶いませんでした。
そうでなくとも、キリシタンが禁じられている日本に彼らが暮らせる場所は無かったのです。

日本のうちかや?

 さまざまな準備の後、「エカチェリーナ号」がロシア東端のオホーツクを出港したのが1792年9月13日。
北海道根室の港に至ったのは10月9日のことでした。


井上氏はその地を見た「小市」に
「俺は日本へ来たというより、アムチトカ島へ連れ戻されたような気がしてならぬ。ここも日本かや。日本のうちかや」
と語らせています。

道新日曜naviで私が目に留めた部分です。
伊勢出身の彼らの目には、根室の風景が、まるで流れ着いたロシアのアムチトカ島と重なって感じられたのでしょう。
自分の知る日本のものとは、まるで違って見えたのでしょう。

 その小市は、ふるさとの土を踏むことなく根室滞在中、壊血病により死亡しました。
とうとう残ったのは光太夫と磯吉の二人きりとなりました。

 鎖国政策を取っていた日本にあって、日本人引き渡しさえも、様々な手続きが必要でした。
鎖国政策は1639年~1854年まで)

ロシアが望んだ国交、交易の成果も乏しく、長崎への入港許可証を持ち帰るに留まりました。

 箱館(本文のままに記述)での手続きを経て、二人はようやく日本側に引き渡されました。

役人の後をつき従う光太夫と磯吉の足は靴を履いており、その耳には役人の草履が地面をたたく音が入ってくる。
磯吉が呻くような声を出しました。
後に磯吉はこのときのことを次のように語ります。

虫の声が聞え、ひたひた地面を叩く草履の音が聞える。そうした中を自分は歩いている。何とも言えず妙な、懐かしい、落ち着いた気持ちだった。漂流前までは自分は確かにこういう国で生きていたのだと思った。そしたらふいに根室で死んだ小市の顔が浮かんで来た。

そして、そのあとしゃしゃり出るように次々と仲間の顔が思い浮かび、磯吉は堪らなくなって泣けてくるのでした。
太夫にしても、この日の夜は終生忘れられない思いを持ちました。
しかしそれは、磯吉のものとは異なるものでした。

この夜道の暗さも、この星の輝きも、この夜空の色も、この蛙や虫の鳴き声も、もはや自分のものではない。確かに曾ては自分のものであったが、今はもう自分のものではない。前を歩いて行く四人の役人が時折交わしている短い言葉さえも、確かに懐かしい母国の言葉ではあったが、それさえもう自分のものではない。自分は自分を理解しないものにいま囲まれている。そんな気持ちだった。自分はこの国で生きるためには決して見てはならないものを見て来てしまったのである。アンガラ川を、ネワ川を、アムチトカ島の氷雪を、オホーツクの吹雪を、キリル・ラックスマンを、その書斎を、教会を、教会の鐘を、見晴るかす原始林を、あの豪華な王宮を、宝石で飾られた美しく気高い女帝を、─ なべて決して見てはならぬものを見て来てしまったのである。光太夫は絶え入りそうな孤独な思いを持って四人の役人のあとに従い、どこへともなく歩いて行ったのであった。

印象に残る描写です。
ロシアで暮らした時間が、どうしようもなく彼らを変えてしまっていたのです。


そしてここを読む私までもが、列記されるロシアの知名や風物に思いを馳せるのです。

この場面に至るまでに読んできたページの中で語られたロシアでの日々、人との交流が生々しく甦るのです。


他国を見て知って戻ってきた日本人は、もう漂流前の船乗りでは無くなっていたのでした。

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学級図書にあった『これは真実か!?日本歴史の謎100物語』にも、大黒屋光太夫は紹介されておりました。
ロシアの服を着た、光太夫と磯吉の絵が載っています。
日本人は彼らの姿を見て、大いに異質なものを感じとったことでしょう。

桂川甫周の『漂民御覧之記』には、
「更にこの国の人とは見えず、紅毛人の形に髣髴(ほうふつ)たり。」と記されているそうです。

そういう存在として舞い戻った二人にとっても日本は、よそよそしく遠い存在に映り、元の印象に戻ることはなかったのかもしれません。

 もちろんこれは、史実を元にしながらも井上靖氏が描いた物語です。
彼らのその後については諸説あるようですが、
江戸にあった薬草植え付け場で暮らし、そこで没したということだけは確かなようです。
生活の保証こそされたものの、半幽閉状態で暮らしたと『おろしや国酔夢譚』には記されています。



続けて吉村昭氏による『大黒屋光太夫』も読んでみます。

大黒屋光太夫(下) (新潮文庫)

大黒屋光太夫(下) (新潮文庫)

  • 作者:昭, 吉村
  • 発売日: 2005/05/28
  • メディア: 文庫
大黒屋光太夫(上) (新潮文庫)

大黒屋光太夫(上) (新潮文庫)

  • 作者:昭, 吉村
  • 発売日: 2005/05/28
  • メディア: 文庫

めいそう・みょうばん・おかたづけ!!

 定期的に報告しているミョウバン結晶の様子に加えて、瞑想と、最近はじめたポイ活お片付けについても、定期的にご報告してゆくことにいたします。

瞑想と名付けてよいのか?

 「瞑想」というものに興味を持ち始めて以来、毎朝欠かさずに朝の15分間を、それに当てています。
・・・・が、これを「瞑想」などと呼んで良いものか?

頭の中には色々な思いがのぼってきて、ただの、「目をつぶってじっとしている」だけの時間に過ぎません。
それに対する対策として、数を数えてみたり、簡単な唱え言葉を心で繰り返したりしてみました。
しかし、大抵いつの間にか、何か別のことを思い出していたり、考えていたり。
はてな』も強敵でしてね、
このことを、どう記事に書こうか?
あのことは、どう書いてみようか?
などという「迷走」は、私の定番の脱線のコースなのです。
全く進展というようなものを実感できておりません。
ただ、欠かさずやる。
未だにその段階に留まっておりまする。



ポイ活お片づけ

ポイ活お片づけに関してはこちらを・・。
kyokoippoppo.hatenablog.com

 いずれは捨てるつもりのノートに、毎日何を捨てたか?捨てなければそれに代わる何をしたか?をメモしております。
朝一番にどんなにささいなものでも、何かを処分できれば、もうその日は目標達成となります。
がそれをやれずに夕方を迎えてしまうこともありまして・・
そんなときはメルカリ出品をしたり、不用布を切ってウェスにしたりしてその日のポイントを強引に達成いたします。
そのような作業をしなくても、メルカリに出品したものが購入されたことにより労力無しで2ポイントゲット!!
となる幸運な日もありました。
お休みの日は、改めてメルカリに出品できるものを探して出品したり、私の部屋に積み上がり散らかっている布に手を入れたりします。
先日は瓶の中に無造作に突っ込まれていた超端切れたちを・・・・・



超超超端切れたちを・・・

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・・・・・・・捨てませんよ。
アイロンかけて平らにして棚に重ねて置きました。、
そして瓶を処分しました。
これによってわずかながらスペースができましたので、これは2ポイントです。

赤い布たちが入ったもうひと瓶も、近々2ポイントに変換されることでしょう。





ゼロの日を作らないという最低条件は、なかなか良いですよ!
家の中が片付いたようには全く見えませんが、それでも1ミリくらいは進んだ!と納得てきるからです。
現在のポイントは、80点です。

ミョウバン現在の様子


とんがり君
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六角君

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美人さん

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とんがりやら、六角やらの説明はこちら・・。
kyokoippoppo.hatenablog.com
 
  ーー*ーー*ーー*ーー
 
 町の一大イベント「ホタテの稚貝放流」が始まっています。
夫は幼なじみに頼まれてしばらくの間アルバイト。
午前2時やら3時やらに起きてサロマ湖に出動です。
ほーほっほ!!
夫の朝ご飯もお昼ご飯も心配いらず!!
私にとってはうれしいひとときですのよ!!!!!

出会った一冊

抱っこして!!!

 前回は、次男の子育ての過程で大変苦労したことを書き、その出来事が私の星回り(サタン・リターン)と関係している可能性についても書き添えました。
kyokoippoppo.hatenablog.com

実際どんな風だったのか??
ー●ー●ー●ー●ー

 次男のぐずりは、たとえばこんなことで発生しました。
お菓子の袋を、ママでない人が開けた。
「ママに開けて欲しかった。」
と始まるのです。
親切にも袋を開けてくれたばあちゃん(義母)は、
「誰が開けてもおんなじでしょ。ほら、食べなさい。」
と優しく言うもグズグズグズグズ・・・・
「開けちゃったらもう、戻らないのだからがまんしよう!」
と私。

納得しない。

グズグズグズグズ・・・・。
それを見ている大人は
「いい加減にしろ!」
って気分になるのです。
私は、そんなムードに周りを引き込む息子の態度に困り果ててしまうのでした。
ー●ー●ー●ー●ー

 怒りからは怒りしか生まないだろうと思えばこそ、私は何でも言い聞かせてわからせようと躍起になるのですが、わからせようというこちらの思惑が突出して現れることもしばしばでした。

次男の行為に対して、
「まずはごめんなさいを言おうね。」
という私。
まずは「抱っこちて!」
という次男。
「先にごめんなさい‼️」
「だっこお!」
「まずはごめんなさいだよ!」
「だっこお!」
しがみついてくる次男に眩暈を感じる程の怒りが湧き、その身体を引き離し、果ては突き飛ばしても、
「だっこお!」
次男は泣きながらしがみついてくるわけです。
そして、そのうちしっこをもらす。
「ちっこもぐしたあ!」

らちがあきません。

 私はまずは、抱っこをして息子の気持ちを受け止めるようにしました。
抱っこして、語り聞かせる作戦です。
すると息子は抱っこされながら私の口をふさいでくる。
抱っこはされてもお話は聞きません!というふうに・・・。
だっこしてやるからおいでと招けば、
抱っこされてやるから怒らないで、というふうに次男から条件が出される始末。

まあ、誰が見ても下手なしつけ。
次男のわがまま、甘えっ子ぶり、面倒くささは拡大する一方でした。

そんな時期に手に入れて読んだ本が、「アリス・ミラーという人の書いた『魂の殺人』でした。

過激なタイトルです。
そして、決して読みやすい本ではありませんでした。
それでも辛抱強く読み進め、分かったことは、
「幼少時代のみずみずしい感情の発露を、養育者は禁じてはならぬ!!」
という著者の主張でした。
かなり乱暴な要約です。アリス・ミラーの主張の詳しいところは、この記事の最後に引用貼り付けいたしました。

自分に向けられた矢印

 大人にとっては不都合であったり、不愉快でもあった次男の感情でしたが、これを根絶やしにする必要は無いのだとまずは思ったわけです。
ただし、だからといって息子の要求を全て飲み込む必要はないのです。
私は、姿を現すであろう息子のぐずりを恐れ、(人の目があるところではなおのこと)先取りするように、状況を調整することをしがちでした。
「こいつともめるのは、やっかいだ。」
との思いから、そういう状況を回避するように動くことが増えておりました。
次男の「わがまま」は、このように、私によっても作られていたのです。
感情の発露は認める・・その姿勢を保ちながらも、彼の思い通りのことをしてやることはない。これは別のことなのだ。
そのように、線引きをするようになったのです。
なったのです・・・と書いたものの、そうすんなりとはいきませんでした。

その後も次男育ての苦労は続きましたし、悩みを道連れにしながら、何ともカッコ悪い恥ずかしい状態を晒すしかなかったのです。

さて、
実を申せば、この本との出会いは、次男をどうしようということではなく、自分はどうだったのだろう?
ということに向かいました。
そして夫はどうだったのだろう?と。

※このあと過去記事貼り付け貼り付けが続きます。読み飛ばして下さいね。私が私のために貼った記事たちです。

私と夫の育ちは両極のように違っていたものの、幼少期素直に感情表現をしてこなかったという一点においては共通するのです。
kyokoippoppo.hatenablog.com

この本との出会いによって私は、新たな学びの扉を開きました。

kyokoippoppo.hatenablog.com

自分のサタン・リターン時代の試練であり、そこから得た学びだったように思います。

12室の土星

 
 さて、ここから先はかなり自己流の当てつけに等しいかもしれない私の解釈です。

私がこの本を手に取ったのは次男誕生後のことですが、この本の存在を知ったのは彼の誕生前のこと。
切迫早産の疑いで一週間ほど入院したのですが、病院に置いてあった雑誌の1ページにこの本の紹介が載っておりました。
興味が向かい、その時、本のタイトルをメモしたのでした。
つまり、次男がこの本との出会いを作ったわけです。
そして『魂の殺人』は、私のサタン・リターン期の試練の助けとなり、その後の学び(といえば格好良いのですが、じたばたとした悪戦苦闘であります)になりました。
私29歳。
その時生まれた次男も同じ場所に土星を持ちます。
そして、その場所は次男の12室。
第1室が誕生の場所であることを考えれば、それは誕生前の場所。
切迫早産のときに、私のためにこの本を用意してくれたようにも感じるのです。

ここに始まった私の学びについては、また日を改めて書きましょう。


幼少期
小学生のころ、
中学生のころ、
高校時代、札幌時代本当に色々やらかしてくれた次男。
数年前も私に対して厳しいことを突きつけてきました。
kyokoippoppo.hatenablog.com
kyokoippoppo.hatenablog.com
これらは、ボチボチと思いついた時に書いてゆきましょう。


 f:id:kyokoippoppo:20210511182939j:plain:w530:leftそんな次男と長女から、母の日のプレゼントとして、高級シャンプーが届きました。
私が普段使っているものの10倍以上はするお値段。
アナツバメの巣からできた製品なのだとか・・。
優しい言葉もかけてもらいました。


ありがたいね!嬉しいね!
長男は常に生活苦に見舞われているので、そっとしておいてもらっています。
それも含めありがたい。



最後に・・
アリス・ミラーの主張について。
Wikipediaからの引用です。
アリス・ミラー(スイスの心理学者、元精神分析家。幼児虐待とその社会への影響に関する研究で知られる。 )

臨床経験の豊富さ及びその質の高さと、その著述の多さでは、世界的に注目されている。日本でも多くの本が訳出されている。ミラーは、人間社会の暴力性の根源を、幼児に対して加えられる暴力に求める。三歳までの子供は、親をはじめとする大人に対して全く抵抗することができず、自分でその場を離れることもできない。それゆえ、その間に幼児に暴力が加えられた場合、生き延びるためには、自分に暴力が加えられることを「正しいことだ」と肯定せざるをえない。このような形で暴力を肯定して屈服した子供は、その屈辱や悲しみを隠蔽し、その上に「正しい」人格(偽りの自己)を構成する。しかし、隠蔽されても屈辱や悲しみはそのまま生き延びており、それが絶えざる不安を惹き起こす。大人になってからも、それは一向に減少することなく継続し、何らかの機会にそれが他者に対する暴力として発揮される。特に暴力の対象となるのが、抵抗される心配もなく、またその暴力の行使を「しつけ」として正当化しうる自分の子供である。このような暴力の連鎖が、犯罪や反社会的行為の源泉であるとする。

「暴力」の定義

ミラーが危険性を指摘するのは、単に物理的な暴力に関するものばかりではない。子供を突き放したり脅迫したりするような、言語や態度による暴力もまた、同様の悪影響がある。これは特にいわゆる「成功者」に広くみられるものであり、彼らは子供のころから条件付の愛情しか与えられなかった者が多いという。親から真の愛情を与えられず、何か親を喜ばせたときだけ少しだけの「愛情」を与えられるという育ち方をした者は、他人に気に入られたり、褒められたりするために、大変な力を発揮することができるようになり、社会的成功をおさめることが多い。このような人物は、不安を紛らわせるために、他人を自分の思い通りに操作することに喜びを感じ、これが政府や組織による暴力に帰結する。しかし、このような形での達成には、なんらの満足をも伴わず、不安は決して解消されず、ほんの少しの成功の陰りだけで、大変なダメージを受ける。

ナチズムの分析

ヒトラーとその支持者を注意深く観察し、ナチズムが子供への暴力の一つの表現であると考える。というのも、ヒトラーの世代が子供だったころ、シュレーバー教育に代表される非常に厳格で暴力的な教育方法がドイツに広がっており、子供たちは家庭でも学校でも激しい暴力に晒されていた。ヒトラーも父親から日常的な殴打を受けて育っており、彼の政策は自分が受けた暴力を、全人類に対して「やり返す」性質のものであり、ドイツの多くの国民も、そのような政策を自分自身の衝動に一致していると感じて、支持したのではないか、としている。